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工場日記

1、シモーヌ ヴェイユ

高校生の時分だったか、「工場日記」という、どこかの革命家?が書いた本を読んだ記憶がある。読み終えた訳ではなくて、難解のあまり途中で放棄したような気がする。
さて、この「工場日記」を書いたのは一体誰なのか、この記事を書き、推敲していく内にふと考え始め、過去を摺り寄せてみることにした。当初、ローザルクセンブルクかと思って、彼女をググって見たが、ヒットしない。改めて、タイトルそのままで引いてみたら、著者はシモーヌヴェイユだったことが判明した。
若き哲学教師シモーヌが、市井のうごめく底辺の人々が受けている疎外状況を身を以て経験しようと、一介の女工になる。1930年代フランス、当然ながら劣悪環境下で厳しい労働と激しい疲労に苛まれるが、そんな毎日をすごしながらも、人間性を破壊する社会の下層を、身を以て知る事になる。というのがあらすじらしい。

さて・・・・「厳しい労働」と言う語句で思い出しただけで、これから書く記事は、特に思想も哲学もない。
前置き長すぎ、なんか、ホントにすまん!

2、マイ「工場日記」

私は6月末を以て、(おこちゃまからじじばばまで知っている)超のつく大会社を辞した。そうして7月から、今までいた会社の孫請けといった、上級社員が手を出さない、おこぼれ仕事を請け負っている、小さな会社に入った。
私は毎日、やや薄暗い鉄サビ臭い作業場のなか、鉄の粉塵にまみれながらの、厳しい肉体労働に就いている。プラントから排出される重さ60キロほどの鋳造品、その周囲にできている襞(ヒダ)状のバリを、圧縮空気で動くグラインダやエアハンマーを使って、手作業で落としていく作業である。振動工具を一日中、ずっと固く握っているものだから、仕事を終えても、両手が小さな痺れとともにじんじんと痛むのがつらい。慣れていないせいなのだろうが、工具を使っている、と言うより、寧ろ工具に使われている、振り回されていると言った体で、余計に握りしめるものだから、疲れも増し、夕方になるとグッタリしてしまう。作業の速さも、仕上がりも、横で作業している先輩とはまるで比較にならない。情けない限りだ。

3、吟じます

ただ、時折「こんな仕事は、常に損得を考えて判断するヤツには、到底出来んだろうな」と思ってニヤリとしたりもするが、「作業が遅い!」「仕上がりが雑!」など指摘されると、まあ、その時はメッチャ凹む。ただ少し経って「優しくされるのもありがたいが、今時、厳しくしてくれる人なんか少ないからな、これもありがたい」と思わなくてはあかん、などと、ちょっと改心する。
シモーヌヴェイユさんは、工場労働から何を教訓化出来たかよくわからないが、夕方、仕事を終えて私は「どんな仕事であれ学ぶところ多し、これでいいのだ!わはは」などと、メンズビオレボディシートを、奮発2枚引き抜いて、顔や肩口をフキフキしながら一句詠むのである。

「夕暮れの夏でしたや、じんと痛む手をさすって見上げる」ちくわ山頭火