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後ろ髪

先日の夕方のこと。妻は、夜7時キックオフだという地元サッカーチームの試合を応援しに、仕事先から直接スタジアムに行ってしまった。
暇になった私はそれでも一旦帰宅したものの、あれれ、する事ねぇなぁ、持て余した時間をつぶすべく、季節用品棚に並び始めたキャンプ用品を見にでも、と近くのホームセンターに出かけた。
入り口から入って大きな通路を進むと、白いセーターを着たひとりの女が、こちらに向かってくる。
4年前に婚外でつきあっていた元の恋人だった。
「元」恋人の立ち位置からすれば、彼女を見かけても、物陰に隠れ静かにやり過ごすのがセオリーだとわかっているのだけれど、ほぼ「ばったり」といった体で現れたものだから、さすがに今回は隠れようもない。
「こ、こんにちわ」
「あ、ちくわさん!」
挨拶をして、その場で立ち話をした。どのくらいだったろう、10分くらいかな?15分くらいかな?中央通路の棚近く、他のお客さんの迷惑かな?と思いつつも話を終わらせたくなかった。お互いの近況などを話し聞いたあと、スーパーで私の妻を見かけたと話す彼女に、私は思い切って、
「あなたの方が100倍可愛いですよ」
その一言を言った弾みで、少し勇気が出てきたのか、私は続けた。
「手を、手を触らせて欲しい」
緊張で汗ばんでいると躊躇う彼女だったけど私は彼女の手を取りそっと握ってすぐに放した。
「今は、これで幸せですよ」私はそう告げた。と言うかカッコつけた。
これ以上話を続けられずに、会話も途切れ、彼女との久しぶりの再会が終わったのである。

ああ、やっぱり私は、今でもこの女を愛している。

加齢臭と口臭と汗臭を撒き散らしつつ、薄汚れた襤褸を纏っては、街を右往左往している、悲しい老爺の私が、現実の姿なのだが、流石に何の予感も前兆も準備もなく彼女に会って、途端に「恋する中学生」になってしまった。心臓が喉から出そうなくらい緊張し、頭の毛細血管の2、3本は切れたんじゃあないかくらい血圧も上がり、もしかしたらおしっこもちょっとチビったかもしれん。店の通路で狼狽おろおろとし、近況報告とは言え、いったい何を話しているのか自分でもコントロール出来ていないのが分かった。
でも、今こうしてnoteに書いていると、なぜあのとき彼女をご飯に誘わなかったのか、おそらくは彼女もこのあと独りで食事をする、私も嫁は夜遅くまで帰宅しない。この付近には何軒かレストランが点在している。せめてお茶でも誘えば、と今更ながら後悔の念でいっぱいになる。

と、ここまでは女々しい感傷的な文体で書いてみたものの、当の彼女は、「ちっ!じじいに絡まれかけて、あぶねぇあぶねぇ、面倒くせぇじいさまだなあ」と呟いたような蓋然性が高いと思われ、でなくとも、「ちくわさん!太宰治にかぶれすぎて、外に女を作りたかっただけでしょ」と見透かされている気もして、何だかもやもやが頭を一杯にしている、そんな早春の夕暮れ時なのであった。

 panda express

フォーチュンクッキーの通り、この先、私は賢くなるのだろうか?


後日談
彼女を帰らせてまで買いたかったのは少しお高めの一人用クーラーボックス。買って帰ってきて数日後開けてみたら、新品箱入りなのに、使用感ある少し汚れたイマイチな物だった。
大切な恋人を誘うことをしなかった天罰、ちっ!!