われ山に向かいて目を挙ぐ 3

日頃のどろどろと蠢く鉄火場の社会に身を窶(やつ)して過呼吸しながら生きていると、時に無性にその場から逃避したくなるのは皆同じではないか、私も結局のところ目を閉じて死んだ妻を思ったり泣いたりする事で逃避に代えているし、尚且つそれらを縷々と書きなぐり自慰に代えて安心している。余りに勝手な自らに閉口するのだが、私が確かに存在しているという証明はこの他にはないのだ。

3、妻に手紙を出しに行く

もちろんこの社会のなかで負け犬以下となり澱(おり)をすすり襤褸(らんる)をまとって生きてはきたがそれでも家族の幸福を願う気持ちは上辺にいる王族と変わりはない。殊に私は妻の残した二人の子を見るとき、ときとして彼らが人生の大きなイベントに立ち向かっている辺りを垣間見ては怯えおろおろとする。
昨年のある春の日、子供のそんな場面をみた私は一つのアイデアを思い付いた。そうだ亡き妻Yに手紙を出すのだ。と、どこかで聞いたようなアイデアだと一笑に付されるかもしれないが、愛する人が死に納棺の際に便箋と封筒を入れておくという話を聞いたことがあって、しかし出す受け取るの方向が違うじゃないか、自分が天国の妻に手紙を出したいのだ、どこまで自分本位なんだと思いつつも、いいアイデアだと納得したりもできた。
ややあって別のある日、わが子の将来にどうにも関与できないと悟った私は、厚かましくもよろしく頼むなどと図々しいお願いを書きなぐった端切れを持ち、天国への手紙を出しにポストへ向かった。
ポスト。そう、例の場所、私と亡き妻Yとのデート場所でもあり、めそめそと自分を慰撫する場所でもあり、かっこよく言えば天国への入り口、今日の目的地、つまりポストなのだ。私のアイデアとは亡き妻の墓に行き、墓石をそっとずらして手紙を骨の近くに落とすというものだ。早速でかけた。
「ただいま」
霊園についた私は妻Yの眠る墓石にたどり着くなり声をかけてみたが、むろん返答はない。「ただいまって言ってるじゃんか、返事しろよ」と怒ってみてもYは何も答えない。ときに見る妄想の中のYも、こうして会いに来てみても妻のYは答えない。ただこちらを見て微笑んでいるだけだ。
私は周囲を見渡し誰もいないのを確認すると、やおら墓石をどけ始めた。
皆同じなのだろうが、霊園の墓穴はコンクリートの四角い筒が地面に埋められていてその後ろ半分に掛かるように墓石をかぶせてある。手前の半分は実は敷石をかぶせてあるだけでその上に線香台を載せてあり、儀式の時はその敷石をどかせば、という次第。
こんなことがあった。
妻Yが死んだときの話。私たちが32歳。
Yの入ったお棺をを焼き場で焼いてもらい骨にしたのち、木の骨箱にいれ持ち帰る。小さくなってしまった彼女。それからの屛息した日々、私は実は彼女の小さな可愛い骨の欠片をフィルムケースに入れて少しの間持ち歩いていた。それは意外にも私の父が提案してくれたのだった。「T(私の名)よ、寂しかったら骨箱から小さな骨を拾ってケースにいれいつも持っているがいい」と。
早速私は小さな白い欠片を持ち歩いては見たが正直、鈍感短慮のせいか、いいやその行為自体で彼女がそばにいる実感も湧いてくる事もなく、しばらくして骨箱に戻してしまった。
さて墓石の前半分に敷かれた石をどかし中をのぞいた途端、私は息を飲んだ。
穴の底には真っ白い「それ」が、昨日入れたばかりといった形を保ったままそっと寝ていたからだ。小さくなった彼女自身は真っ白いままだったのだ。年月の経過を無視して、真っ白く残っていた彼女自身。
汚れていない真っ白の彼女。若くして死んだ妻はそのままだった。
私はそうして「白い色」に経年によっても変わらないものがあるという新鮮さを感じながらも、持参した端切れをポトリと穴の隅に落とした。

投函。
投函!!

「もう安心だ」そう呟く最低親父の私。詰まらぬ些事などに拘泥している私がばからしくなってきた。泣き虫の私にしてはその時は少し笑っていたのかもしれない。泣いてもいない、むしろ爽やかな気持ちでいっぱいになった。
「また来るね」敷石を戻した私はそう言ってその場を離れた。
春は真ん中。樹々は青く辺りは優しい空気に包まれている。霊園を後に浅薄な私は悠揚としてひとり呟く。
「もう安心だ」と。