第226回 朝日名人会

第226回 朝日名人会

春風亭いっ休 やかん
柳家小はぜ  道具屋
蜃気楼龍玉  親子酒
入船亭扇遊  鰍沢
〜仲入り
柳亭市馬   味噌蔵

20230121
有楽町朝日ホール


朝日名人会は気になるときだけお邪魔しているのですが(仲入り長いのと、座席選択も微妙にむつかしくって)、龍玉師匠、扇遊師匠、市馬師匠と続いて、しかも前方が小はぜさんとあれば、参加しないわけにはまいりません。

わたしはまだ、小はぜさんをこの規模のホールで拝見したことがなかったので、それも楽しみで。勝手にお祝いのような気持ちも持ち寄りつつ。

扇遊師匠の「鰍沢」もすごく楽しみにしてました。

「最後まで人間の女だった」と書いたのは、これまで聴いた「鰍沢」のお熊は、夫が死んでからの切り替わりが凄まじいなと思っていたからで。

だって、殺そうとしているときに「おおーい、旅人ォー。忘れ物だよォー」って呼びかけるの、すごくないです? 呼び止めるのに、普通、そんな風に取り繕えます?? 

あれに「なんとしてでも殺す!」というお熊の意志を感じて。夫が亡くしてすぐ、そちらにスイッチ切り替わるの怖すぎるんですよ(しかも自分のミスなのに)。この時点でお熊は「鬼」になっていると、わたしはずっと思っていたんです。

↑これはさん喬師匠版を聴いたときの感想

扇遊師匠版は「忘れ物だよォ」とは言わずに「おぉーい」と一回(多分一回だった)だけ呼んでいたんですよね。

前段でも、何か隠し事があるような底の深さは影を潜めていて、可愛らしさすらある。
なぜ今この雪山にいるんだろうという経緯の不可思議さより、花魁だったという事実のほうに納得感があるような。なので、卵酒のくだりもそこまで妖しさは漂わない。
夫が死んだときも「因果なモンだね」の言い方が割と軽めに聞こえたのも印象的でした。現在の寄る辺を失ったショックはあるけど、夫その人への情はそう特別深くはなさそうな言い様。

後から改めて思い返していて、旅人を追いかけているときのお熊は、「仇を取る」と飛び出したはいいけど、まだ殺意はそこまで伴っていなくて、引っ込みがつかなくなっているようにも思えました。ちょっと違うけど「道成寺」ならば、まだ完全に蛇にはなりきっていないんだろうな、と。

言動にはそこまで一貫性がない人物だから、流れ流れて結局今ここにいるのだという点に帰着しそうで、これは歌舞伎や文楽などお芝居のほうでよく見かける人物造形のようだな、なんて思ったりして。

そんなお熊の生身の人間ぽさの残る描写もあってか、聴いている側も、背後から追いかけてくる存在の得体のしれなさに想像が膨らむというより、ただただ、命からがら逃げる旅人の視点に付き添っているような感覚があった。

わたしにとっては、いつもとは少し異なる感覚の「鰍沢」ですごく面白かった。扇遊師匠が演ずる女性、もっと聴いてみたいなァ。

トリは市馬師匠の「味噌蔵」。磯節のい〜い喉に耳がシアワセ。市馬師匠って、そのお姿を拝見するだけでもなんだかお目出度い。

この少し前に「味のれん」という精鋭の二ツ目さんの会で、お弟子さんである市寿さんの「味噌蔵」を聴いていて。番頭さんが最初からわりと旦那への反感を隠さないのが面白いなと思っていたんですよね。
市馬師匠で聴くと、番頭さんのあの笑いに、より積年の恨みが見え隠れするようで、味わい深かった。いやもう、奉公人たち、そろそろ限界だったんじゃないですか?泣

わたしくし野暮な現代人なので、「味噌蔵」を聴くと(もちろん楽しんではいるのだけど)、旦那の倫理観にうう〜ん? となってしまいがちなんですよね。おかみさんの実家に向かうくだりとか、定吉とか年若の子たちにだいぶ悪影響ありそうなんだもの。なので、どがちゃがのあたりは、かなり奉公人たちの肩を持っちゃう。

けど、市馬師匠の旦那は、反射的に怒りつつも体の芯がフニャリと脱力している感じを受けて、ちょっと気の毒にもなりました。信じられない状況に遭遇したときの、今ひとつ状況を呑み込みきれていない、あの感じ。
鯛のお頭付きを見たときのリアクションとか、真に迫っていて可笑しかった。おかみさんの実家で見た鯛も、自業自得とはいえ当人は食べてはいないんだから、かわいそうだよね。笑

人の好さそうな市馬師匠がやっているから、というのもあるのかもしれない。日頃、奉公人たちを厳しく抑圧してまで、己がしみったれ精神を貫いてきたのに、たった一夜で……という哀れがあって、いっそう面白かった。
でもやっぱり、ちょっと、ざまあみろ。笑
旦那はもう少し奉公人を大事にしてください!!w

* * *

4月は雲助師匠の「花見の仇討ち」だし、前方で朝之助さんも出られるから、ぜひ行きたいな〜。

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