日記/珈琲とくるまの娘
珈琲を飲みながら宇佐美りんさんの「くるまの娘」を読んでいる。京都河原町にある「生きている珈琲」という珈琲専門店。’’スモーキングブレンド’’という珈琲で、煙草を吸いながら飲むのに適しているらしい。普段は冬場でもアイスコーヒーを頼むほど猫舌、でも今日は気分でホットの珈琲を飲んでいる。冷ましながら飲む珈琲は久しぶりだ。私は食事の時、水をがぶがぶ飲むタイプの人間。冷えているものの方が喉が潤される感覚があるし、口が乾くようなこともない。
熱い珈琲はかなり口が乾く。そしてかなり濃くて、かなり苦い。氷で冷え、薄まった珈琲を飲む方が好きだけれど、熱いうちに口に流し込む珈琲も悪くないなとも思う。
普段はサンマルクやドトールなどのチェーンのカフェでコーヒーを飲むことが多い。いや本当はタバコが吸えてコーヒーが飲める店にしか行かない。奈良市内にあるカフェはタバコが吸えるカフェが少ないように感じるから、チェーンのカフェに行くことが多い。そういったカフェで飲むものは、「珈琲」というよりも「コーヒー」に近い。そしてそこで吸うものも、「煙草」ではなく「タバコ」に近い。感覚的な違いだし、一部の層からは反感を買いそうだから多くは言えないけれど、分かってくれる人がいる事を願う。
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もうすぐ珈琲がなくなりそう。
宇佐美りんさんの本を読むのは今回が初めてで、本好きの友人達が口を揃えて読んだ方がいいと言うので、京都河原町にある丸善書店で、昨日の夜に購入した。
珈琲が届くのと同時に本を開いたので、まだ50ページ程しか読めていない。まだ全ての章を読みきった訳ではないが、読んでいくにつれて文章を書きたくなったのでMacを開いて文字をせっせと今打ち込んでいる。影響されやすいなと我ながら思う。いや、刺激を受けやすいと言う方が正しい。
本や活字を読むのはとても労力がいる。そして書き残すことも労力がいる。極度の精神不安定の時は、全くと言っていい程文章が読めなくなるし、書けなくなる。それどころではないと心が反応している、そしてそれを全身で感じる。書ける時にこうして書いておかないといつか忘れてしまう、今この場で肌が感じている空気と宇佐美りんさんの言葉が残っている今のうちに書かないと書けなくなってしまう。これは能動的に、そして衝動的に思いのままに書き残す。
心が不安定だと自覚出来ている時に読む本は悲しくて暗い本が多い。心が穏やかな時に読む本は優しい本が多い。今その時に必要としている「ことば」を身体と脳が欲しているのだなと思う。人間というモノは面白い、自分のことは自分が良く分かるというけれど、こうして後になって自覚するのだから。
「くるまの娘」はこれからどうなっていくのだろう。続きはまた次の珈琲専門店で読むことにする。それにこの日記もね。
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