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2024年4月 心の在り方



1,まだ淘汰される側の存在

2024年3月30日。ずっと憧れだった美波さんと、お仕事を通じて携わらせてもらってから1ヶ月が経った。今でも鮮明に思い出せるあの現場の匂い、空気、温度全てから、自分が圧倒的に実力がなく、まだここに居続けられるような存在ではないとことごとく実感したと同時に、これまで続けてきたカメラで、あの場に居られたことを自分で誇りにも思う。
ただ、だらだらと続けてどうにかなる世界ではない。あの環境の中で生きるためには覚悟も責任も伴う。いつでも僕はまだ淘汰される側の存在だから、未来でまたこの1ヶ月記録を読むであろう自分への戒めとして、再度ここに記し残しておく。
そして、あの環境を肌で感じられたことはこれからの自分の財産にきっとなるはずだし、財産にしていかないといけない。またあの空間に戻るために、圧倒的な実力差による悔しさを感じているのならさっさと動くべきだし、行動に起こすべき。撮って作れ、毎日少しづつでいいから誰よりもやれ。
これからの自分を信じて進んでいきたい。やってきてよかったと、続けてきてよかったと自分で思えるような人生にしていきたい。
そして、このnoteやSNSを見てくださっている方々にとって、何か勇気や自信を与えられる存在になりたいし、クリエイター同士一緒に作品作りもしていきたい。まだ見えない未来で繋がる縁に期待して、今自分ができる精一杯を費やし、これからも生きていきたい。


2,僕から与えられるような人生

武道館公演前での撮影をきっかけに知ってくださった方々、知り合いなど、想像していた以上の方々から連絡をいただいた。
2024年1月の1ヶ月記録の最後に書いた、
誰かから与えてもらったものの方が多い僕の人生を、僕から与えられるような人生に変えていきたい」
という言葉に、ほんの少しでも近づけたんじゃないかなと思う。これからも続けて、与えてもらった恩を、ここまで見守ってくれていたという感謝を沢山返していきたい。まだまだ足りない。


3,悔しさほど原動力になるものはない

連絡をくれた中で、道は違えど創作、表現、何かを目指している知り合いからの連絡がいくつかあった。僕からすればライバルで、同士でもある彼らにとって、少なからず何かを与えられた存在になれたのかもしれない。その何かは彼らにしか分からないし感じられない。勇気か、誇りか、感動か。
もし僕が逆の立場だったとしたら、間違いなく悔しさに溢れている。そして彼らもきっとそうだと、むしろそうであってほしいとさえ思っている。

なぜなら、「悔しさほど、原動力になるものはない」からだ。
創作や表現の世界においてもそう、スポーツの世界や社会であっても、自分より前に進んでいるやつの背中を見ることほど悔しいことはないだろう。生まれ育った環境が違くても、続けたいと思えるほどのことを知るきっかけが早かろうが遅かろうが、表現者という括りの中から、誰かが前に進む瞬間ほど悔しいことはない。
これらは僕の本音で、過去の僕が感じてきたことでもある。


4,過去の自分と今の自分

クリエイターになる前、僕はずっと前を進む人の背に向かって、嫉妬に塗れた石を投げてきた。ひたすら羨ましかった。だから、進んでいく人の背に向かって石を投げ続けていた。最初は投げれば当たっていた石も、知らない間に遠くなっていた背中に当たらないようになっていた。一矢報いたいと思いながらも、行動せず、立ち止まったその場から石を投げる自分が居た。

しかし、本来石を投げるべき相手は自分自身だった。自分に対して石を投げなければいけなかった。自分のことは棚に上げては保身に走り、自分だけは大丈夫だと。進んでいく人の背中はどんどん離れていくのにも関わらず、自分ならどうにかなると思っていた。それに気づけなかったのは自分の立場や実力、なにより自分の現実を知らなかったからだ。というよりも、現実を見たくなかった、認めたくなかったということの方が大きかった。

自分自身を問うた。淘汰されるべきなのは自分だった。それから少しづつ自問自答をし、自分自身を見つめていくようになった。
その間にも先を進もうとしていた彼らは挑戦していた。挑み、失敗を重ねながら少しづつ進んでいた。誰かに揶揄されようが気にせず、自分のやるべきことをただ淡々とこなしていた。それが清く、潔く人生を生きていると思った。
僕がこれまで投げていた石に、彼らは目もくれず、ひたすら進んでいた。少し前まで彼らがやっていたことを知らなかったのに、知っていけばいくほど魅了され、むしろ彼らのようになりたいと思った。図々しいと思う、でもこのままの僕じゃダメだと、彼らのようにならなければいけないと思った。
それから、少しづつ動くようなった。人のことを揶揄する前に、自分はどうなんだ?と問題提起ができるようになった。

挑戦している人に魅了されるのであれば、自分も挑戦し続けないとただの憧れで終わってしまう。
作品を生み出す過程で得られる苦しみ、辛さ、表現者として彼らのことを理解するためには、彼らと同じような苦しみと向き合い、自分も表現者になる必要があった。
なぜなら、自分自身が同じ苦しみを味合わないと、表現者として彼らの心や言葉、作品に対して、傾聴することは出来ないのではないかと思うからだ。


5,同じ苦しみと向き合う

これまでに経験してきた、誰かにバカにされてきたこと、お前には何も出来ないと言われたこと、お前はどこにいっても通用しないと言ってきた大人たちの言葉。言われた時は悔しくても、これらは全て僕自身の糧となって未だに心の中で燃え続けている。見てろよ、見返してやるぞという気持ちも湧いてくる。
しかし、揚げ足を取ろうとする人たちの為に生きている訳じゃない。なによりも自分自身のため、憧れの表現者の背中に追いつきたいからである。肩を並べながら生きていきたいという存在の背中があるのであれば、石を投げるのではなく、同じ苦しみと向き合いながら追いかけるべきだ。

そして、背に石を投げたり、揚げ足を取るという行為は、常に後ろにいる人間がすることである。そして、その石のほとんどは「嫉妬」が大半で出来ている。後ろを見ていても+になることなどない。


6,誰かの悔しさになりたい

僕はこれから、死ぬほど恥をかくだろうし、死ぬほど怒られるだろうし、死ぬほど指を差され、笑われ、バカにされるだろう。僕はそれらに抗いながら、泥臭く生きていこうと思っている。必要のないプライドも、変な見栄もいらない。その覚悟があるからだ。自分はそれでも出来ると信じているからだ。

あの日、あいつらに見返してやった、と思うのと並行して、打ちのめされるほど新たな悔しさを得た。上には上がいる現実、諦めさせるには十分すぎる圧倒的な技術に表現力。僕が居なくても十分に成り立つ沢山の大きな背中が前を走っていた。そのおかげでまた新しい人生を生きられる気がした。ひたすらに悔しかったからだ。僕はこれからも彼らの背中を追って、肩を並べながら生き、いつかは追い越したい。
それだけでなく、「佐野夜」という名前が通用する何者かになっていきたい。その先で、誰も通ったことのない道の先頭を歩いてみたい。

そして僕は、誰かの悔しさになりたい
その悔しさから生まれた作品で、次は追いかけさせてほしい。圧倒的な作品を作ってほしい。でもできればそうしたくはないから、僕もひたすらやり続けて逃げます。僕も圧倒的なものをつくりたい。

今月の1ヶ月記録はやってきたことというよりも、主に「心」の変化について綴りました。心以外で言えば、これまで続けてきたことも継続していますし、新しいことにも挑戦しています。
特に4月はこれまでよりも「心」が成長した1ヶ月だったなと思いました。

もうすぐGWです。
暇があれば先日アップした短歌集「明け方の港、朝霧」も詠んでみてくださいね。↓



さらに成長した佐野夜で居られるよう5月を生きます。また来月。




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