見出し画像

2024年3月 美波 日本武道館

マネージャーさんから連絡が来た時、これは夢なんじゃないかと何度も思った。寒すぎる夜の中、上着も着ずに外へ出た。耳に当てている携帯電話がさらに冷えて耳を凍らせていた。寒さなんてどうもよかった。狂ったように願っていたことが起こっていたから。
何度も夢じゃないかと確認をした。頬をつねったり、目をこすったり、左すねを右足で何度も蹴ったりした。
悶えるほど痛かった。



1,佐野夜のはじまり

7年。
彼女が僕に与えた影響は計り知れなくて、辛い時も悲しい時も、嬉しい時も楽しい時も、常に彼女の音楽が身近にあった。彼女の音楽家としての半生を、同じ時代で生き、目の当たりにしている今がとても幸せだ。彼女の音楽に触れる為に、僕はずっと生きている。
7年の中で彼女は、僕たちが想像している以上に成長していた。2017年、「渋谷eggman」という小さなライブハウスを埋め尽くし、初めてのワンマンライブを大盛況で終えてから、同じ「渋谷eggman」でわずか2年後の2019年、メジャーデビューを発表した。

ライブを行うたびに大きくなっていく彼女を客席で見ながら、本当にこの人はかっこいい人だなと思った。ただただかっこよくて、何度も痺れた。それは今でも変わらなくて、言ったことを必ず実現させていく行動力も、ステージの真ん中で輝きながら歌う彼女の力強さも、なにより生きていくことへの肯定力に何度も背中を押された。彼女の音楽にこれからも触れながら生きていたいと思った。それと同時に、「いつか」僕もそちら側で生きたいと思った。それが佐野夜のはじまりだった。


2,自己表現の世界

その頃からカメラを始めとし、自己表現の世界へと足を踏みいれた。
いつか」彼女と共に肩を並べながら生きたいという夢を胸に秘めながら。

続けていく上で何度も辞めそうになった。
本当に実現できるかどうかなんて正直ギャンブルのようなものだし、ましてや自分に実力がないと成し得ないことだからだ。

続けていく上で何度も辞めそうになった。
創作のために就職せず、「クリエイターだ。」といえば世間に許されそうな気がして、こんなことをやっているんですと伝えては、「へぇ、そうなの?だから?それはお金になるの?お前には何が出来るの?」と、拳のような言葉をサンドバックのように受け止めていたからだ。
僕は何も言い返せなかった。

続けていく上で何度も辞めそうになった。
あいつはカメラを通じて女を食ってるとか、あいつは女と繋がる為にカメラをやってるんだよ、とか根も葉もないことばかり言われ続けたからだ。
陰口や悪口が聞こえてくるその度に耳を塞ぎ、凌いでいた。

いつしか、人の前に立つことも人の目に触れることも恐れるようになっていた。

沢山の人の目に触れることや、あらゆるSNSで数字を得ることは、承認欲求を満たす要因にもなるし自信にも繋がっていく。ただその数字の裏で、沢山の人の目があることを忘れがちになる。
街を歩いているだけで人の目を気にしてしまうほど心も体も狂ってしまって、人を極端に嫌い、遠ざけてしまうようになった。
刹那的な快楽の為に、金もないのにギャンブルへと走り、お酒を飲む量もタバコの本数も増えていた。
刹那的な快楽は、長期的に苦しむ要因になるということをゆっくりと学んでいった。

ちょうどそのあたりで、コロナウイルスが流行り出した。自制自制の日々が続いた。あの頃のSNSは嫌いだった。賛否両論どころか、誰が何をしても「否」の文字しか浮かばない世界だった。世界中が狂っていた。弱さも振りかざせば暴力だ、言葉のウイルスをみんなが振り撒いていた。でも誰も間違っていなかった。誰かを責めたてて誰かに怒りの矛先を向けないと、誰も正気を保って生きていけなかったからだ。時代は残酷だった。
何を糧にして生きていけばいいのか見失っていた。苦しかった。こんな世の中よりも水の中の方がまだ息が出来る気がしていた。
東京都在住者限定LIVEが渋谷eggmanで行われた時、どうして誰も寄り添うことが出来ないんだと関西から思いながら、それでも何も出来ない何も動けない自分の弱さと未熟さを恨んだ。


3,あらゆる覚悟

2023年3月。
彼女が日本武道館での公演を発表した。メジャーデビューから5年。ファンにとっての夢でもあったし、もちろん彼女が音楽を続けていく上での夢でもあったと思う。武道館公演が近づいて、わくわくしているファンを想像するだけで胸が高鳴っていた。

その時に書いたエッセイ。興味があればまた読んでみてください。

マネージャーさんから連絡が来た時、これは夢なんじゃないかと何度も思った。寒すぎる夜の中、上着も着ずに外へ出た。耳に当てている携帯電話がさらに冷えて耳を凍らせていた。寒さなんてどうでもよかった。狂ったように願っていたことが起こっていたから。
何度も夢じゃないかと確認をした。頬をつねったり、目をこすったり、左すねを右足で何度も蹴ったりした。
悶えるほど痛かった。

そこからは僕だけでは精査出来ない話が多く、省略しながら書き続けるけれど、思いを理解してくれたスタッフの方々が僕を選んでくれた。

公演当日の朝方まで眠れなかった。ただでさえ、彼女のことを好きで見にきてくれている多くの人の目に触れるだけで怖いのに、調子に乗っているんじゃないか、とか、実力もないくせに誰なの?と思われそうで酷く怯えていた。バカにされてきた過去が脳裏をかけめぐり、独り苦しんでいた。
でも、「彼女に携わる」という列車がもうすぐ定刻通りにくるのに、この切符だけは破るわけにはいかない。いくらお金を出しても買えないこの切符を手放すわけにはいかない。この日までに固めてきた「あらゆる覚悟」を無駄にしたくなかったし、なにより、彼女の顔に泥を塗るようなことは絶対にしたくなかった。

少し眠り、当日の朝を迎えた。昨晩までの大雨とは打って変わり、気持ち良いほどの快晴。晴れさせてやるから、お前は頑張れよ、と太陽に背中を押された気がした。九段下の桜は咲き始めていて、買ったばかりの眼鏡から差し込む陽の光があたたかく、とても美しく見えた。



4,オフィシャルカメラマンとして

ファンの方と一緒に撮る紫色のBIG 373 STEIN BEARを抱きかかえ、撮影現場までスタッフさんと一緒に向かった。外はもうすっかり春だった。SNS用に、目印のぬいぐるみを抱えた僕の写真を撮るやいなや、すたこらさっさとスタッフさんは僕を置いて行ってしまった。

(かなり不安だった)(正直もうちょっとそばにいてほしかった)
(いや本当にもうちょっといてくれてもよかったんじゃない!?)

その時の僕、死ぬほど手と声が震えていた

スタート時は緊張のあまり手が震えていたけれど、撮影が始まれば徐々に空気感に慣れてきていた。あれだけ怯えていた人の目も気にしなくなり、今までの経験を活かしなんとかこなせていた。
最悪の場面(例えば緊張で倒れてしまったり、精神的に追いやられて逃げてしまったり)を想定し、何度もシュミレーションをしてからこの場にやってきたけれど、微塵たりとも心配なかった。
年齢関係なく沢山の方が来てくれて、時間の都合上ほんの少しだけれどファンの方々とお話することができた。みんなの笑顔がこれ以上ない程キラキラしていて、沢山の笑顔に囲まれすごく元気をもらえたし、そのおかげで最後までやり遂げられた。あたたかった。

美波さんが大好きでやまない方々にむけて、シャッターを切る。公演前の前哨戦、映ってくれた方々が最高の気持ちで公演に迎えられるよう精一杯務めさせていただいた。なにより楽しかった。カメラをやってきてよかったと心から思えた。

いつか、武道館で写真を撮ってくれたやつがいたなあとふと思い出してくれたら嬉しい。みんなの心に僕は少しでも居られたでしょうか。
改めて、お越しくださったファンの皆様方、本当にありがとうございました!また必ず会いましょう!

撮影させていただいたお写真は、美波スタッフさんのインスタから見ることが出来ます。ハイライトに全て載せていただいているのでぜひご覧ください!


5,最高のステージ

撮影を終えて、楽屋に戻った。ずっと太陽の下にいたせいか、軽く熱中症になっていたことを後になって知った。今自分の体が熱いのか寒いのか分からなかったけれど、そんなことはどうでも良いぐらい楽しかったし、最後までやり遂げた達成感と、安心感によって心も肩もすとんと軽くなった。

公演はチケットを購入していたので、南東の二階席で観た。客席に座り、周りを見渡した。小さなライブハウスを満席で埋めた1stワンマンから7年、あれからこの景色が見れるのかと思い馳せた瞬間、これまでの記憶が脳内を駆け巡って泣きそうになった。まだ初心だった頃の僕や、ファンの人たちと朝まで遊んだこと、泣いたり笑ったりしてきたことを思い出すとすぐそこまで涙がやってきていた。公演前に泣いている限界ヲタクが居るぞと思われたくなかったので必死に堪えた。かなり耐えた。本当に耐えて耐えた。

しかし、公演開始2秒でそれは崩壊した。だめだった。無理無理。全然耐えられる訳なかった。

仕事として日本武道館に来ている以上、私情は持ち込まないようにグッと抑えてきた。美波さん、マネージャーさん、関係者の方々へ挨拶する時も、なるべく感情を抑えて抑えて抑えこんでこの仕事に望んできた。それは強力な反動になって涙に変わり、滝のように目から溢れていた。

ただただかっこよかった。美波さんも、バンドメンバーも、裏で支えるスタッフの方々も、全員かっこよかった。本当にその一言に尽きる。
この日の為に、様々な試行錯誤と調整をしてきただろう。問題も沢山あっただろうし、ぶつかりあいもあったと思う。スタッフの方々が全身全霊で美波さんを支え、美波さんが全力で歌い、魂を送り届ける。その魂は美しく優しい波に変わって、会場にいた全ての人を包み込んでいた。

ほんの少しでも良いから、僕もスタッフの1人として美波さんの背中を支えられたかな。そうだったらいいな。

最高のステージだった。あの時の景色も、記憶もずっと忘れたくない。
これまでに僕が言ってきた、「いつか」美波さんに携わりたいという言葉が、「これからも」美波さんに携わりたい、に変わった瞬間だった。

そして、「いつか」美波さん本人を撮りたい。

この言葉を心の真ん中に置いておきながら、これからも活動を続けていきます。

6,プロの現場を見て肌で感じたこと

武道館公演の裏側を見て感じたことは、美波さん、そしてスタッフの方々のレベルが段違いで、圧倒的に高いことだった。
今のままじゃ絶対に追いつけないどころか足元にも及んでいないと実感したし、自分の実力の無さを痛感した。撮影に関する知識や、それらに付随するありとあらゆるスキル、こなしてきた場数や超えてきた壁の数も、比べ物にならないと肌で分かるほど、空気も匂いも全てプロの現場だった。
そもそも僕の考えが甘すぎる。ファンからオフィシャルカメラマンという立場になり、有頂天気分になっているようじゃ一生続けていても変わらない。地に足をつけて、もっともっとやらなきゃいけないし、もっと撮らなきゃいけないし、もっと自分から動いていかなきゃいけないし、もっと作品をつくらなければならない。この業界で生きていくことは簡単じゃない。適当にやって続けていけるような甘い世界ではないし、もっと本気で向き合わないといつまで経っても置いていかれる世界だ。そして、今の僕を見て、後ろからやってきているライバルに背中を刺されるわけにもいかない。
これから先も続けて繋がっていきたいと思うのなら、死ぬ気でやれ。もっと動き続けなさい、俺より。

またあの人たちの中で生きていたいと思った。すごくかっこよかったしずっと痺れていた。憧れるには十分すぎる、もはや悔しいと思うことすら烏滸がましい。

7,最後に

クリエイターとして忘れることができない最高のご機会をいただきました。
美波さん、メインビジュアルを描いていらっしゃるかずきおえかきさん、「アイウエ」を共同制作されたSAKURAmotiさん、ギターの大塚さん、美波さんの影響でギターを始めたむトさん、ヘアスタイリストの安富さん、衣装担当のおふちゃん、撮影チームの方々、僕のような未熟なカメラマンを選んでくださり支えてくださった全てのスタッフの方々、そして何より最後の最後まで丁寧に打ち合わせしてくださったマネージャー様、全てが光栄で、全てが夢のようでした。多大なるご支援を賜り、厚く感謝申し上げます。
またご一緒できるよう邁進してまいりますので、これからも何卒佐野夜をよろしくお願いいたします。

長い文章ですみません、ここまで読んでくださりありがとうございました!
これからも頑張ります。少しでも成長できるよう4月を死ぬ気で生きます。

2024年3月の1ヶ月記録でした。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?