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京都に呪われた人びと

 たまにいます。京都で学生時代を過ごして呪われた人。
 京都を離れて何年もたっているのに、これといった目的もなく京都に遊びに来て、これといった目的もなく街中をぶらぶらして、これといったこともせずに帰っていく。私もその一人として、呪われてるってどういうことかご説明したいんですが、そうするとディティールがぽろぽろとこぼれ落ちてしまいます。だから、「ああ、呪われてるんだな」と思った日のことをお話しします。

  夏休みが明けて、でもサンダルはまだ手放したくないぐらいの季節。終わりが見えてきた学生生活と少し生臭い鴨川デルタ。私はそのとき、大学の友達と、将来どんな法律家になりたいかという話をしていました。
 出世レースで勝とうとか勝てるとか、そういう野心はもとよりありません。全国転勤も東京の人混みも疲れてしまう。普通の人の思いをくみとって法律の言葉に変える仕事がしたい。そうは思っていましたが、私はまじめに京都で弁護士になることを考えたことはありませんでした。それどころか、弁護士になることさえろくに検討してはいませんでした。

いつか一緒に京都で弁護士やる?」

 それを思いついたのが私か友達かは、もう覚えていません。  でも、言われた途端、京都を離れるのが惜しくなりました。天下国家を語った鴨川。昼寝に明け暮れた吉田山。講義の合間に潜り込んだお寺。半分は脱線していた法律の議論。そういうものを手元に残したくなってしまったのです。

 名前もないたくさんの思い出は色あせて消えていきます。それでいいと言ったこともあります。思い出は思い出の中にあるからこそ綺麗なんだと。友達のほとんども、あの頃一緒に見た景色を心の小箱に仕舞い込んでこの街を離れていきました。私もまた東京か大阪か、はたまた地図でしか名前を見たことのない街にいるんだろう。たまに戻っては思い出のかけらを見つけて「あの頃の京都は」なんてぼやいたりするのかな。そう思っていました。

 でも、私はその道は選ばないことにしました。この街で弁護士になると決めたのです。きっとあの日、私もまた京都に呪われたのでしょう。

     だから私は、京都で弁護士をしています。

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