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FX名人伝

資本主義の最期を告げる鐘が一向に鳴る気配をみせず、冷え切った夫婦関係のようにだらだらと、ただだらだらと資本主義が続いていた二千某年、@kishoと名乗る男が金持ちになろうと志を立てた。FXなら手軽だろうと考え、Yahoo!ファイナンス(なんと、二千某年になっても、Yahoo!ファイナンスは続いていたのだ!)のドル円チャートの掲示板を物色しているうちに、なにやら、中島敦の『名人伝』に出てくる弓の名人のようなアカウントを見つけた。その名も@hieiという。その響きは、文学的に、いかにも怪しげではあったが、@kishoはこのまたとない(と思われる)チャンスを逃してはならぬと思い、早速、@hieiへDMを送った。

@hieiはこの初心者にリプライで、まずブルーライトを浴びろ、と命じる。律儀な性格の@kishoは言われた通り、まず自分の目に向けて、明るさMAXのスマホ画面を限界まで近づけた。ただ、そうこうしているうちに、いかんせん、腕が疲れてくる。なので、よく、馬の前にニンジンがぶら下げられている絵があるとおもうが、あれと同じ発想で自分の顔の前にスマホをぶら下げられる装置を自作し、@hieiに命じられたその日から、実直に、24時間365日、起きているときも、はたまた、寝ているときも、スマホを自分の目の前に吊るし続けた。

二年の後、ブルーライトを浴びすぎた彼の目は、ついに白目の部分が、ブルーハワイ味のかき氷みたいに、いかにも不健康そうな青に染まった。ふいに、子供の時分遊んでいた遊戯王の『青眼の白龍(ブルーアイズ・ホワイト・ドラゴン)』のカードを、机の引き出しの中に大切にしまっておいてあったことを思い出した。はやる気持ちを抑えつつ、引き出しを開け、カードを取り出す。そして、カードの中の『ブルーアイズ』の目の青さと鏡の中の己の目の青さとを見比べてみる。うれしいことに、断然、自分の目の方が青い。それでも一抹の不安を拭えなかったので、今度は、妻に問うてみる。妻も、自分の目の方が明らかに青いと言う。これに自信を得た@kishoはすぐさま、自分の自撮り写真を@hieiに送る。(妻はこれに対し苦笑するよりほかなかった。)

晴天の霹靂ならぬ、突然の青目の写真が送られてきた@hieiは、驚く間もなく次のリプライを送る。ブルーライトに耐えまくって、白目が青目になっただけではまだ足りぬ。次にはチャートを視ることを学べ。チャートを視すぎて、本来、縦軸が価格で横軸が時間の二次元平面であるはずのチャートに奥行きが生まれ、百次元空間まで見えるようになり、一階微分、すなわち価格の増減を予測するのが本質であるところのトレードにおいて、先を読みすぎてチャートの千階微分まで感じられるようになったら、そのことを私まで知らせなさい。その日を境に、@kishoのスマホの画面には四六時中、Yahoo!ファイナンスのドル円チャートが灯るようになった。

チャートを見ること三年、@kishoはついにあらゆるものの奥行きはおろか、奥行きの三百乗まで見通せるようになった。例えば、ツイッターに投稿された、バイナリーオプションで三億円を稼いだと喧伝するスクショ画面が、ただ単にHTMLのソースコードをコピーした後、それを少しいじっただけのものだとすぐ分かったし、YouTubeでインタビューに答える、新進気鋭ベンチャー企業のキラキラCEOの心臓も虱のように小さく見えた。あと、インスタでおもんない投稿ばっかりしているのに、フォロワー数がやけに多いインフルエンサーの、まさにそのフォロワー数が、業者によって水増しされているのも、火を見るより明らかだったし、街で散歩しているとき、建物に使用されているコンクリートの水セメント比までもが手に取るように分かった。そんな@kishoにとって、一分後のドル円レートを言い当てることなど、灘中の算数の第一問を解くより容易い。

@kishoは早速、一分後のドル円レートについて、自身の見立てをSNS上に投稿してみた。@hieiは即座に「いいね!」をつけ、「でかしたぞ」とコメントする。一分後、果たしてドル円レートは@kishoの言う通りになった。

目の基礎訓練に五年もかけただけあって、(その代償として@kishoはドライアイになってしまったのだけれども、)本格的にトレードを始めた彼の取引成績は異次元というよりほかなかった。@kishoが円を買えば、円高に動き、反対にドルを買えば、ドル高に動く。もはや、@kishoがチャートを追従しているというより、チャートが@kishoに追従している、と言った方がふさわしい有様だった。

地動説が天動説を覆したとき以来の衝撃!まさに、@kisho的転回が起きていた。彼と逆のポジションをとるトレーダーの利益はたちまちにして蒸発し、そのせいで自己破産に追いやられた者がどれほどいたことか。もちろん@kishoは、密かに内部情報を得る、裏で相場を操縦する、といった法に触れるようなことは一切していない。ひとえに炉火純青の域に達した@kishoの視力こそがなせる技であった。

今や、師の@hieiから学び取るべきスキルもなくなった@kishoは、ある日、ふと良からぬ考えを起こす。彼は思った。もはやドル円取引において己に敵すべき者は、日銀をおいて他に無い。己の伎倆がいかほどのものか、ひとつ一国の中央銀行相手に挑んでみたい。彼は、その異次元のトレード技術を以てして築いた巨財を軍資金に、前代未聞の為替取引をしかけた。

@kishoの絶技により、直ちに、為替レートは縫い針のように乱高下を繰り返すようになる。そんなことをされては沽券に関わる日銀は、これを抑えるため為替介入に動く。しかしどういう訳か、いくら日銀が為替介入を行っても糠に釘で、一切効き目がない。それもそのはず、@kishoの千里眼ならぬブルーハワイ眼は、もはや日銀の為替介入のタイミングまで見破れるようになっていたのだ。日銀内の専門家たちがその脳みそを振り絞って構築した、時間、価格、先物価格による最先端の三次元予測モデルも、@kishoの三百次元眼を前にしては、あと一歩どころか、あと二百九十七次元の逕庭があった。あたかも日銀をあざ笑うかのように、日銀が円売りに動く一秒手前で、@kishoの円資産は全額ドルに振り向けられ、逆に日銀がドル売りに動く一秒手前で、@kishoのドル建て資産は芸術的に円に還る。

ところで、「神の子」と呼ばれた、かのメッシを以てしても、サッカーのルールを乗り越えることまではできなかった。同じく、為替取引というゲームにおいては、日銀こそがルールである。通貨発行権を有する日銀の辞書に「負け」という文字はない。なぜなら、通貨の番人、もとい通貨賭博の胴元たる日銀は円を刷ることによって、いくらでも円安に誘導することができるからだ。対してこの場合、@kishoはメッシ、すなわち、一プレイヤーに過ぎない。まったく不公平甚だしい角逐であるが、ルールが敵とあっては仕方ない。@kishoにできるのは、ただルールに則り、一戦必勝で勝ち抜くことだけである。テレビ朝日系サッカー日本代表中継よろしく、@kishoは「絶対に負けられない戦い」の最中にいた。

ある日のこと、そんな@kishoにも一瞬の隙が生まれる。それは、全資産を再び円に振り向けた後、一息つこうと、妻にナイショでアダルトビデオを鑑賞していた時のことだった。スマホの通知画面に「日銀、円売りに動く、為替介入か」という文字が踊る。「しまった!」と@kishoは思った。しかし、もはや後の祭りである。大魔神佐々木のフォークもおっかなびっくりの空前絶後の円安が日銀によって人為的に引き起こされ、@kishoの所有していた円は一瞬のうちに紙屑と化した。

このときはじめて、@kishoの心に、アダム・スミスの言うところの「道徳感情」が湧き起こった。俺は今まで何をしていたというのか。ただ単に他人の損失を餌にして、己の利潤を貪っていただけではないか。国家から見たら、俺など、何の付加価値も生まないニートにすぎない。否、もっとブルシットに言えば、上から振られた仕事をさらに面倒くさいものにした上で、無批判にそれを部下に受け流す、おつむの足りない中間管理職以下の存在だ!かくて、良心の呵責に苛まれるようになった@kishoは、以降、トレードに手を染めることを自ら愧じた。

他方、「金融政策の独立性」を武器に@kishoを凌駕した日銀の方も、彼の全財産を「無」にするための副作用として、円安に誘導しすぎてしまっていた。なにふりかまわずカネを刷った結果、日本円はハイパーインフレを起こし、当然の帰結として、紙幣の原材料となるミツマタの価格も高騰した。ついには、一万円札一枚あたりの原材料費が額面価格の一歩手前、九千九百九十円というところまできていた。事実、貨幣という国家による偉大な詐欺がばれる瀬戸際まで日銀は追いつめられていたのである。しかし、土俵際のところで、日銀と円は踏みとどまった。@kisho(が経済的に)亡き後、ミツマタ価格は心置きなく反落し、通貨発行益は元通り確保され、再び欺瞞に満ちた平和な貨幣経済が戻ってきた。

このようなことがもう二度と起きてはならないと考えた日銀は、@kishoに新たな目標を与え、その気を転ずるにしくはないと考えた。日銀は@kishoを本店に呼び出し、こう言ってやった。実は、お前とこうして干戈を交える五十年前、同じように中央銀行に中指を立ててきた闘士が一人いた。年老いた今では荒川の河川敷に隠居しているが、そのお方は行内でファン老師と呼ばれている。老師の技芸に比べれば、お前のトレードや弊行の為替介入など、ほぼ児戯に類する。もし、あなたが、FXとかそういう誰でもできる安逸な取引ではなく、取引を超越した至芸なるものを会得したいというなら、これからファン老師の許に行って修行してきなさい。

@kishoはすぐさま荒川に向かって旅立つ。しかしこのとき、日銀によって完膚なきまでに叩きのめされていた@kishoは、もちろん、公共交通機関を利用できるだけの資力すらなく、とぼとぼと徒歩で九時間かけ、やっとのことで荒川河川敷までたどり着いた。そこで彼を待ち受けていたのは、いちごシロップのように柔和な目をした、それでいて、モモンガのようにすばしっこそうなホームレスのおっさんだった!その赤い目を一目見て、@kishoは、赤福餅が全然赤くないことを知ったとき以来の衝撃を覚えた。

「老師の目は、なぜ、いちごシロップのように真っ赤で、うるうるしていて、とびきりキュートなのですか?私のドライアイ・ブルーアイズとは大違いです」

「愛じゃよ」

「愛?」

「そうじゃ、愛じゃ。カネより大切なもの、それは愛じゃ」

「何をおっしゃる?見るからに、河川敷で誰からも相手にされていない風なのに!」

「その昔、ワシには愛すべき妻と子どもがいた。しかし、愛にかまけて健康保険に加入していなかったが最後、ワシが盲腸になった際、手術代が全額自己負担で、一家の全財産を使い果たしてしまった。それで、妻と子どもに愛想をつかされ、夜逃げされたのじゃ」

一瞬、某消費者金融のCMのような、愛(という美辞が)あふれる話に騙されかけた@kishoであったが、目の前にいる浮浪者然としたおっさんの、赤貧洗うが如き眼差しにふと我に返り、たちまち強烈な不安に襲われた。すると、自分でも信じられないことに、手が勝手にポケットのスマホを取り出しているではないか。あれほど自戒していたというのに、思わずトレード画面を起動している情けない男がそこにはいた。

「不安なようじゃの」

馬耳東風に徹しようと、@kishoは無視を決め込んでトレードを続ける。

「汝、未だトレード・ウィズアウト・トレードを知らぬ」

老師の声が耳に入ってこないよう、@kishoはトレードに全神経を傾けた。彼の腕は衰えていなかった。気づけば須臾にして十億の利益を上げていた。

「そうやって、お前が貨幣を稼いで、稼いで、稼ぎまくって、仮にこの世の全貨幣を我が物にしたとしよう。そうなったとき、ちり紙とも電子パルスともつかない、お前だけが『財産』と称する記号を、誰が今更、手に入れようと思うか?」

ファン老師の語りが耳をつんざく。

「将来的に『無』になるものを必死にかき集めてどうする?カネの先物価値は『無』じゃ、愛しか勝たん。お前は今、この世の道理を悟ったじゃろ。悟ったのなら、授業料として、今すぐその『無』を私の口座に送『無』しなさい」

@kishoは膝から崩れ落ちた。老師の言う通りである。観念した@kishoはこうべを垂れて、スマホ決済のQRコード画面をファン老師に見せる。ファン老師は一言「おおきに」と呟くなり、それをスキャンする。再び@kishoが顔を上げた瞬間、「無」を手に入れホクホク顔の老師の表情を見て、彼は、トレード以外にも「無」を稼ぐ方法があるのを知って慄然とした。

「しまった!これがトレード・ウィズアウト・トレードの手口か」

時すでに遅し。ファン老師は扇風機のように回転し始めたかと思うと、モモンガのようにひょうと風に乗って、@kishoの前から飛び去っていった。@kishoは再び無一文になった。

最後に、@kishoのその後にまつわる興味深いエピソードを一つ紹介して、本寓話を締めたいと思う。それは、@kishoが日銀の為替介入にやられ、そして、ファン老師の「トレード・ウィズアウト・トレード」にもしてやられた四十年後のことである。

おカネというものに心底うんざりした@kishoは奥多摩のそのまた奥地へと移住し、それ以来、自給自足の生活を送っていた。しかしそれでもなお、@kishoがひそかに復讐を企んでいて、臥薪嘗胆の日々を送っているのではないかと危ぶんでいた日銀は、@kishoが陰でこそこそトレードをしてないか、四十年ぶりに職員を派遣して確かめようと思った。

@kishoの奥多摩宅を訪れた日銀職員は、かつて日銀をあと一歩のところまで追いつめたレジェンドに敬意を表するつもりで、一万円札を差し出した。さあ、お手並み拝見といこう、この伝説のトレーダーは一万円を元手にどこまで資産を増やせるというのだろうか。すると、次の瞬間、日銀職員はとんでもない光景を目にする。

@kishoは差し出された一万円を見るや否や、それを口の中に入れ、むしゃむしゃと咀嚼し始めたではないか!なんと、四十年もの間、庭に生い茂っていた雑草ばかり食べていた@kishoは、人間の胃袋では到底消化不能とされていたセルロースまでもを消化できるようになっていた。たしかにおカネは「鋳造された自由」であり、その使い道には無限の可能性がある。しかし、文字通り「食っていく」ために現金を消費するとは!日銀職員はここに、おカネの使い方の深淵を覗き見た心地であった。

帰店早々、この日銀職員は総裁に紙幣廃絶を建議する。翌日、彼の建議は満場一致で受け入れられ、即日、日本は完全キャッシュレス社会に移行した。以来、紙幣はただ博物館の中でだけお目にかかれる蒐集品になったという。


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