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「ありがとう」#「シロクマ文芸部」


「ありがとう」
今まで生きてきた中で一番愛した男に私が最期に贈った言葉。
苦労ばかり掛けられた結婚生活だったけど、最期に「さよなら」だけは言いたくなかった。
今まで7年半、病室から家へ帰る時は必ず
「じゃあ、また明日ね」
おまじないのように言い続けた。でも、もうその「明日」は遂に来なさそうだ。

だんだんと平坦になっていく心電図…最期の時が迫ってくる。
その時、何を貴方に伝えたらいいのか、正直いって私は分からなかった。
でも「耳」だけは最期の最期まで生きているって医師が言っていた。
何かを貴方に伝えなきゃ。


「ありがとう」
この言葉が自然と私の口から出てきた。

出逢ってくれて、ありがとう。
愛してくれて、ありがとう。
お嫁さんにしてくれて、ありがとう。
幸せだったよ、ありがとう。
……
愛してるよ

想いをこの言葉に託して、冷たくなっていく貴方に贈った。


「ありがとう」
主人の愛犬 ゴンが逝く時も私は自然に言っていた。

今までありがとうね、ゴンちゃん。
二十年も生かせちゃって、ごめんね。
ダーちゃんに会えなくて、ごめんね。
ダーちゃんと私を癒やしてくれて、ありがとう。
お疲れ様でした、ゴンちゃん。

私にとっての本気の「ありがとう」は、今まで悲しくて辛い別れの言葉でしかなかった。


現在、私はカラオケスナックを経営している。
だから毎日、お客様がお帰りになる時は
「ありがとうございます」
を言う。
「ありがとうございました」
とは決して言わない。クラブなどでは常識らしいが、相棒のミユに教えてもらうまでズブの素人の私は全く知らなかった。
また、いらしてくださいねの意味合いを込めて、縁起を担いで過去型にはしないものらしい。
私達が店で「ありがとうございました」を言う時は、とても嫌なお客様にもう二度と来ないでくださいという時だけだ(苦笑)

「ありがとう」
日常生活でも普通に使うから、多分、他の職業の人よりも多く使っていると思う。それでも、なんだか悲しい言葉だった。私にとっての「ありがとう」

多分、私が逝く時は誰も傍に居なくて、自分の人生に「ありがとう」を言って孤独に終わるんだな……なんて一人想像をはたらかせていた。

それが…
noteの街を知って、皆と「文字」だけの繋がりのはずなのに、その後ろに居る温かな人達を知って、営業トークじゃない、別離の言葉じゃない「ありがとう」が言えている自分に気が付いた。


記事を読んでくれて、ありがとう。
スキをしてくれて、ありがとう。
フォローしてくれて、ありがとう。
コメントをくれて、ありがとう。

noteの街が私に新しい「ありがとう」をプレゼントしてくれた。

顔が見えなくても、いいじゃない。
手を繋ぐ温もりが感じられなくても、いいじゃない。
だって、その代わりに温かな「心」は伝わってくるから……
其処に皆が居てくれるだけで、本当に幸せな気持ちになった。

此処に来て私の拙い記事を読んでくれる皆のおかげで、私の悲しい「ありがとう」は、本来の感謝の気持ちにやっと変わることが出来た。
ううん、もっと楽しい「ありがとう」になった。

「ありがとう」は「さよなら」なんかじゃないと教えてくれた皆。

ありがとう!!


これからは元気に明るく大声で言えそうだよ。

ありがとう、皆
私と出逢ってくれて、本当にありがとう。



小牧幸助さんの企画に参加させて頂きました。
よろしくお願いいたします。





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