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「エッセイ」病葉に込めた想い

ダーちゃん(主人)が亡くなる一年程前のお話し。
※私の主人はくも膜下出血で植物人間となり7年半の闘病の末に亡くなった。


「療養型病院」のICUは最初に手術をして頂いた日本赤十字病院のICUとは大分違っていた。
真新しい設備は何も見当たらない。
心電図のモニターとポコポコと泡を立てている酸素吸入器が、主人の「生」が続いている証のように弱々しい音を立てているだけだ。

『この病院のICUに入ったら出る時は死んだ時だけ』

介護やお見舞いの人達から、私はそう聞かされていた。所謂「看取り」をする場所だった。

六年の歳月が主人を別の生き物のように変えてしまった。屈強だった身体は痩せ細り、肩も腕も脚も変形していた。歯並びは内へ内へと曲がり口を閉じるのも困難な状態になった。意識のない「寝たきり」は、どんなにリハビリをしても身体が硬直していくを防げなかった。
何時間に一回、体位交換を行っても弱った身体には「褥瘡」(じょくそう)が出来てしまう。
じゅくじゅくと腐っていく背中が痛そうでたまらない。
「なんとかしてあげて下さい」
訴え掛ける私に医師は
「大丈夫ですよ、もう、そんなに痛みは感じません」
穏やかに答えた。
優しい先生だった。この医師が後に私と主人との「最期の時」を作ってくれた。

大病を経験した人や病人を看てきた人なら分かると思う。私は心の中で密かに「願かけ」をした。

病室から見える大木に一枚の病葉が、ヒラヒラと風に揺られて付いていた。
「あの病葉が自然に落ちたら、きっと此処から出られるからね」
死ぬという意味ではない。此処から「生還」出来るという意味だ。今まで沢山の奇跡を起こしてきたダーちゃんなら、きっとこの病院の言い伝えも敗れるに違いないと信じていた。

O・ヘンリーの「最後の一枚」の逆を考えたわけだ。
あの最後の一枚は画家が生涯に遺した最高傑作だった。画家は大嵐の日に一枚の葉を描き、樹の枝にくくりつける。大雨に打たれた老画家は肺炎をこじらせて亡くなってしまうが、「最後の一枚の葉が落ちたら死ぬ」と思っていた少女は、その葉を見て生きる希望を得て助かる。

あの葉っぱは、元気な健康な葉だった。
だから私は「病葉」自然に落ちれば、主人のこの状態を病葉と共に持っていってくれると考えた。

病室で何も出来ない私は、来る日も来る日も「病葉」に願いを込めていた。人が知ればバカみたいと思うかもしれない。
でも人間って、何かにすがって生きているものじゃないかな…… 

ある日、「最期」になるかもしれないとダーちゃんの友人Yがお見舞いに来てくれた。

「早く治って、此処から出ろよ」

明るく話すが眼は真っ赤だった。

「俺、ポルシェ買ったんだぜ!中古だけどな。治ったら乗せてやるからさ〜」

ポルシェに車椅子が乗らない事は彼だって分かっている。

「じゃあ、またな」

『また』は、ないかもしれない事も。

私は病室から外の駐車場を見下して、去って行くYに手を振った。

「Yちゃ〜〜ん!!ありがとう!!」
「おう!」

グキッ、コケッ

振り返って後ろ向きに歩きながら、手を振るYちゃんがコケ…コケなかった。

事もあろうに私が「願かけ」をしていた病葉が残る大木を支えにしてコケる寸前で、体勢を立て直した。

「あ、あ、あ~!」

「大丈夫、大丈夫」と照れ笑いを浮かべるYちゃん。
違う!お前じゃない!!
私が心配してるのは、葉っぱだ!

「大丈夫だよー!」
笑いながら再び手を振るYちゃん。

頼む!お願いだ、止めてくれ。
体重約75キロ(sanngo目検)がユッサユッサと大木を揺らす。

ポ、ポロリ〜、ヒラヒラ〜

「あっ……」

来る日も来る日も乙女の祈りを捧げ続けた病葉が、散っていった。さよ〜な~ら〜〜
自然に落ちたら治るよね、きっと治る…

ブルンブルルーー

快音を響かせYちゃんのポルシェは走り去って行った。にこやかな笑みを残して…

こ、このバカチンがーー!!


この時、何も知らないYちゃんに細やかな殺意を抱いたのは一生の秘密だ(笑)


数日後、医師は私に言った。
「ご主人の回復力は凄い。一般病棟へ戻れますよ」
良かった。
あの時、Yちゃんに呪いの藁人形を作らなくて(笑)
一般の病室に戻ると介護仲間のおばさん達が拍手で出迎えてくれた。
「おかえり〜、凄い凄い!」
私はお腹の中で舌を出しながらピースサインを出した。
『Yちゃん、ごめんね、ありがとう』

一生そばにいるから、一生そばにいて 一生離れないように一生懸命に

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