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「エッセイ」抜け落ちた感情

ちょっと悲しいお話しが続いちゃった。
さて、今夜は?



三歳で実の母と別れたので、私は家で「一人遊び」をする事が多い幼少期を過ごした。
おままごとやリカちゃん人形遊び、塗り絵、お絵かき……etc
一人だけど、周りにはいつも見守ってくれる祖父母や父が居た。
声を掛ければ返事をしてくれる距離に居る大人達、人の気配が分かる生活音、そんなものに囲まれた安心感のある孤独の中で私は育った。

結婚してからも、友人の多い主人はよく外出して留守がちだった。
私は家で、また一人遊びをしていた。
パソコンしたり、ゲームをしたり、ブログを書いたり……
でも「帰って来てくれる人」の存在があるのは、やっぱり真の孤独ではなかった。


主人が亡くなった時、私は初めて本当の「孤独」と言うものを味わった。
寂しくて寂しくて、地球上に独りぼっちのような気になっていた。
力付けてけれる両親も友人も居るのに…心底「寂しい!!」と思った。
その感情をなんて言えば、いいのか分からない。
絶望や喪失感にも似ているが違う。とにかく寂しかった。
寂しくて寂しくて、常に誰かに居てもらっているのに寂しかった。
自分が薄っぺらな枯葉のように感じた。
あの時、一生分の「寂しい」を味わったような気がする。

立ち直るのには、相当な時間が掛かった。


それが……
ここのところ、どうも「寂しい」と言う感情が、自分の中からスッポリ抜け落ちている事に気が付いた。

↑上記が今の私の職業ね。


何故、気が付いたかと言うと先日
「息子夫婦がお盆休みで出掛けちゃって、一人で寂しくて寂しくて飲みに来たの」
って女性のお客さんが言った時
(あれ?寂しいって何だっけ?)
妙な不安が私を襲った。
思い出せない「寂しい」って感情。



隣に立っているミユちゃんにそっと聞いてみた。
「ねぇ、私、どうも『寂しい』って感情が抜けちゃったみたい。前は確かに持ってた筈なのに…」
「はっ?なんじゃ、そりゃ?」
「うーん、今、一人暮らしだけど寂しいって思わなくなっちゃったんだよね。一人で清々してるって言うか」
「……」
「あっ、一人で居る時に雷鳴ったり、地震が起きたりした時は、そりゃ心細いよ!!」
「それは『怖い』じゃないの?」
「そうか、ヤバいな…作文書くのにこういう細やかな感情が抜け落ちるの」


それから私は「寂しい」を探した。
何処へ行った?私の「寂しい」
一生分、寂しかったから無くなっちゃったの?
それとも、ダーちゃんが持っていっちゃったのか?
私が泣かないように……

でも作文書くのには、絶対必要だよな…
「寂しい」
このお盆休みにずっと一人で居たり(台風だったからね)、哀しいドラマを一人で観てみたり、色々やってみたが鈍感になった私の心の中に「寂しいさん」は居ないらしい。

あ〜、ダメだ!!これじゃ(泣)


そんなこんな或る日、
私は財布を開いた。
中には漱石さんが数人…






「寂しい!!」



あ!これか……
何だ、割りと近くに居たのね。

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