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PS版真・女神転生1 やってみた

【子どもの頃買えなかったゲームをやってみる 3】PS版真・女神転生1

メガテンという呼称は小学生の頃に聞いたことがあった。ダークな雰囲気で面白いようだ。気になってはいたが、ゲームを売る習慣がなかった自分にとってはやったことのないシリーズに手を出して外すというのは致命傷だ。少ないお小遣いから選ばれるのは、やったことのあるドラクエやパワプロの新作であった。大人になった今、ペルソナシリーズも3・4・4G・5・5Rと手を出した今、今こそ手を出してみるときがきたのではないか。PS3を起動、ありがとうゲームアーカイブス、そう思いながらポチったのであった。


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無常な世界とストーリー

主人公の見る夢から始まるストーリーは、主人公が目覚めるとともに形を変えた世界が訪れる事で始まる。よくRPGで見られる「世界が破壊される」のような出来事やまたは「大きく形を変えて元の世界と見分けがつかないようになる」のは物語の中で一度くらいの事のように思う。世界が大きく変化すると、物語の途中まで行けた街に行けなくなったりするなどして、やり込み的に戻れなくなる転換点が生まれる。または大きな変化=山場であるから世界が崩壊するのは後半の方の盛り上がりどころに置いた方が良いのだ。メガテンにおいてはそういう事は一切ない。起伏というよりもうねりに巻き込まれているような感覚になる。自分の住んでいる街を突如として悪魔が跋扈するようになったり、行った先の街自体が壊滅してしまったり、自身が死んでしまったり、状況がめまぐるしく変化する。主人公の目的も、その時々やゲームの進め方によってどんどん変化していく。息をつく暇もなく主人公の身に災厄が降りかかる。物語の流れが早すぎて、事の起こりはいつも唐突に感じられる。それなのになぜか引き寄せられるようにプレイを続けてしまう。悪魔的なゲームである。

ビバ悪魔交渉

RPGで一番楽しい事のうちの一つが、敵を仲間にする瞬間だ。これは、ドラゴンクエストモンスターズ テリーのワンダーランド 通称テリワンを小一で買ってもらってしまった時から体に植え付けられた観念である。魔物のエサを使って祈る瞬間と、狙っていた魔物が仲間になる瞬間の喜びは忘れられない。メガテンでは、悪魔と交渉する事で仲魔にしたり戦闘せずに穏便に済ませたりすることができる。これがとても面白い。悪魔は気まぐれで、お金をくれたら仲魔になるというので気軽に渡してみたらそのまま去って行ってしまったり、こちらが「人間」であることに同情してなんの見返りもなく仲魔になってくれるなど単純に魔物の餌を放り投げていればよかったあの頃とは違う世界を教えてくれる。これは交渉なのだ。この悪魔ならこうすればうまくいく、そういう予想が立てづらい作りになっていて、だからこそうまくいったときが面白い。わざとそうなっているのかは知らないが、人間タイプの敵はがめつく感じられる。何回お金をせびられて、渡した瞬間去られたことか。「まだ足りませんねー」に出し渋ると「ならば死ぬがいい!」のコンボである。

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その中でも、メシア教徒メイガスは特にがめつく感じる。しかも強いので、戦うと厄介なのであまり会いたくない敵だった。後々強くなってメイガスからマッカ(お金)を巻き上げられるようになったときにはニヤリと笑ってしまった。(精霊を作るために合体素材にもしてしまった)

ビバ悪魔合体

悪魔は交渉して仲魔にするだけではなく、悪魔同士を合体してさらに強い悪魔を作ることもできる。これが楽しい。新しい悪魔を作っていくとまた新しい悪魔が作れる。その繰り返しで、戦力アップをはかっていける。世代を経るごとの能力の継承のような概念は存在しないので「どの悪魔か」が強さに直結していてシンプルだ。プルシキ、ヤクシニーあたりはかなり長い間使っていた。とにかく状態異常攻撃が強いのでプルシキはバインドボイス、ヤクシニーはセクシーダンスがとにかく重宝した。この二体がいなかったらストーリーを進めるのを諦めていたかもしれない。ほぼ全ての悪魔が金縛りと色仕掛けに弱いのだ。

ロウ・カオスの揺らぎ

ロウとカオス、秩序と混沌というのがこのゲームでは重要である。主人公のイベントでの選択や戦闘時の行動にひもづいて、ロウ値が変動する。秩序よりの行動をとれば(仲魔と同じ種類の悪魔を見逃したり、ロウ属性の宗教であるメシア教の教会を利用するなど)ロウよりに主人公の属性が偏り、反対に過激な選択肢を選んだり、ロウよりのボスを倒すなどするとカオスよりに偏る。どちらが「善い」というわけではないが、ロウであるかカオスであるかはたまたニュートラルであるかはストーリー上で大きな意味を持つ上に、悪魔合体で作成できる悪魔にも属性があり、反対の属性の悪魔は作成しても召喚できない。私はロウの思想にもカオスの思想にも賛成できなかったので、苦労してニュートラルにしてストーリーの終盤を迎えた。最後のダンジョン「カテドラル」でそれぞれの属性の派閥に属する悪魔等から「日和見主義」や「迷ってばかりで結局悪影響を及ぼす」というような言葉を受けた。派閥に属さないということは全てを敵にまわしてもやってくという強い決意なのである。ロウ、カオス、それぞれの悪魔をちぎっては投げちぎっては投げ、それぞれの大将の首を獲る。中途半端な善悪論を捏ねたりせず、気に入らない奴は全員殺ってしまう。実力行使至上主義のニュートラルルートであった。小気味よい。

まとめ

どうして遊んでしまうのか、何にハマっているのかわかるようで分からないゲームだった。遊ばせる力が強いゲーム、と言えばいいのだろうか。引き込まれて、いつの間にか終わらせていた。強烈な引き込む力がこのゲームの魅力と思う。続編の2も少しやってみているのだが、1にあるこの引き込みが全然感じられない気がする・・・。大きなシステム的な変更があったわけではないので、ストーリーにそういう力があったのだろうか。先が見たい、というほど多くが語られるわけではなかったストーリーだが、説明されない分想像して補ったり楽しんだりできる余地があったのかもしれない。謎、がどんどん先に進めさせる。そういう面白いゲームだった。

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