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どうかあなたと友達でいられますように

友達ができたのは何年ぶりだっただろう。

私には長い間友達がいなかった。できなかった。理由はたくさんある。 
その理由の一つが、中学生の時に味わったほのかな苦しみだ。


もとから私は友達を作るのが苦手で、苦労と努力が必要な人間だった。
それでも友達を作ろうと必死だったのは、そうしないといじめのターゲットにされるからだ。
私の出身はとても田舎で、一人でいるとそれだけでいじめられた。もともと私がいじめる側から見ていじめやすい人間だったのもあるだろう。
私は保育園、小学校といじめられ続けた。小学校の高学年になるともはやいじめられるプロになってしまっていたような気がする。

そして迎えた中学の入学式。
結論から書くと、私は中学に入ってすぐにいじめのターゲットになった。
いじめられるプロであり、様々な人に様々な方法でいじめられてきた私だが、今までのいじめとは決定的に違うことがあった。
それは、私があの教室の中での絶対の王者。
いじめっこ達のリーダーの女子、彼女に対して一目惚れをしていたことだ。

今でもその時のことは鮮明に思い出せる。朝の光。制服姿の彼女。揺れる制服のスカートとその短く切り揃えられた髪。その全てが目に焼き付いてずっと離れない。
夏の日差しがよく似合う、向日葵のような女の子だと思った。
自分は女として生まれた存在であり、彼女も女であること、相手が自分をいじめている相手であることなどから当時はその気持ちに対して真剣に向き合わずにいたが、今思えばあれは一目惚れであり、恋に落ちる瞬間だったと思う。

そこからはもう必死だった。
いじめから抜け出したいという思い。彼女に好かれたいという思い。
しかしどうしたらよいのかわからず途方にくれていた日々。
ある日、思わず転機が訪れた。
席替えで、彼女の隣の席になったのだ。
もちろん彼女は私の目の前であきらかに嫌そうな顔をし、「最悪!」と言って周りの子たちに慰められていた。
彼女のそんな姿をみて素直に落ち込んだが、これはチャンスなのだと燃えてもいた。

席替え初日に気合いを入れて教室にいくと、私の席には彼女の友達が座っていた。自分の席を奪われて座ることのできない私が立ち尽くしていると「邪魔。どっかいって」と彼女に言われた。ダメかもしれないと思った。
それでも何故か私は折れなかった。手に入れたチャンスを活かせぬ日々が続いた。
しかし得られたものもあった。
どうやら彼女は面白い人が好きらしい。彼女の周りにいる人を分析すると容姿が淡麗な人、もしくは明るいお調子者だった。
前者の人間になることは不可能である。ならば、後者の人間になろう。

その時から私は私を殺した。新しい私に。いじめられない私。彼女を笑顔にできるような私になろうと思った。

そこから、ピエロとしての私が生まれた。
まず、授業中に先生に指名された時はわざと珍回答をするようにした。初めは周りの困惑やフォローしようとして上手くいっていない先生の姿がとても辛かったが、次第に私はそういうキャラとして認知されるようになった。
音楽の時はわざと音痴に歌うようにした。周囲の人が面白がって私に様々な曲を歌わせた。私はその度にわざと音の外した調子で返した。
ここらへんのことの詳細はまた別に書きたい。
とにかく、私の一途な思いと努力の結果はあらわれる。
私はいつしかいじめのターゲットではなくなっていて、彼女の笑顔と、彼女の隣にいる権利を得た。

彼女の隣にいることを許されるだけでいい。
…そうはならなかった。隣でいることでしか知ることができない彼女を知りたかったし、彼女の隣でいつづけるための努力も必要だった。
彼女に向ける感情は純粋な恋心だけではなかった。いじめられた時に植え付けられた苦しみと、再びそれを味わうかもしれないという恐怖心もあった。
彼女の隣にいることで、良いことも悪いこともたくさん知った。
彼女の友達だと私が思っていたいじめっこたちは、彼女がいないところで彼女の悪口を言い合っていた。
それでも、彼女の前ではみんな友達の顔をする。彼女にいじめられないために。
いじめられていた時はいじめっこたちは安全地帯にいると思っていたが、その子たちも私と同じ生存競争のなかにいるのだと知った。
この狭い教室で、みんなが彼女に好かれようと、嫌われまいと恐怖に縛られ必死に生きているのだと知ってしまった。

私たちは彼女に対する恐怖を共有していて、コミュニティの中心であり頂点だった彼女だけがその共有の外にいた。

彼女こそが、孤独な存在だったのかもしれないと思った。

もちろん、彼女の周りではなく彼女自身を知ることもできた。
彼女はとても頑張り屋で負けず嫌いだった。常に上を向くその向上心は輝いていたし、私が一人でいると「こっちに来なよ」と声をかけてくれる優しさがあった。
私が隣で感じた彼女は絶対の王者ではなく、普通の女の子だった。
なぜ彼女があの狭い教室の王者でいたのか、知れば知るほどに不思議だった。

彼女は年頃の女子が普通に悩むことに悩んでいたし、コンプレックスを抱えていることも知った。
そして彼女は普通の女の子がするように、恋をしていた。
彼女には常に彼氏がいた。彼女との話題は恋愛の話ばかりだった。わたしはいつも彼女と彼女の彼氏の話を聞く役目だった。
彼女の恋人の話をきくのは辛くはあったが、恋をする彼女はとても可愛らしかった。

ある日、彼女とふたりきりで彼女の彼氏の話をきいていた時に、彼女に「(私の本名)は、好きな人いないの?」ときかれた。
その瞬間に胸を駆け巡った思いに蓋をして、今はいないのだと笑って誤魔化した。
いま思えばとても残酷な問いだったと思う。
彼女はその後も色々と私に質問したが、やがて再び自分の彼氏の話をし始た。
私は安堵と、少しの後悔を胸に己の役割に徹した。

その日から、彼女の恋愛の話を聞いているのがとても辛くなってしまった。
その頃から精神が不安定になっていたのもあると思う。
どんどん私の状況は悪化し、小児科の先生には精神科の紹介状を渡され学校を休むように言われた。
そのまま不登校になり、私は学校に復帰しないままで、彼女に会わないままで中学校を卒業した。


あれからいろいろあった。
いろいろあってから私は再び新しい道を歩み始めた。
さまざまな人と触れ合うことはあっても友達ができることはなかった。
自分の恋愛指向はよくわからないが、中学生の時の経験から、どうやら同性(女性)に恋をしてしまうと苦しいらしいと学んだので、女性に対してはなんとなく距離を置いていた。
それでも、新しい場所での心細さはあったし、友達という存在を求めていた。

そんな中で、話しかけてくれた女の子がいた。
とても優しく、穏やかな良い子だった。ピエロが染みつき自虐をよくする私に対して、そんなことないよ。と一つ一つ訂正して肯定してくれる、とても良い子。
素直に友達になりたいと思った。その女の子に勇気を出して自分から話しかけて挨拶をした。その女の子は笑顔で応えてくれた。
春の優しい風がよく似合う、撫子のような女の子。
その女の子は私を友達だと言ってくれた。その女の子にとって私は数多くいる友達の一人でしかないのだろうけれど、とても嬉しかった。

その女の子と話していると幸せで満たされる。しかし、同時にとても不安で苦しくなる。
私はその女の子に対して恋をしてしまうのではないのだろうかという不安。恋をしてしまったら、友達ではいられなくなるかもしれない。自分が苦しくなって、その子と距離を置くかもしれない。
その女の子に優しくされると、微笑まれるととても苦しくなってしまう。
行き場のない、色も感触も複雑で捉えられない感情がぐるぐるする。


このnoteを書いたのは、誰かにこの世にはこんな苦しみがあることを知ってもらいたかったからだ。
必ずしも恋愛指向が一致する相手と恋に落ちるわけではない。もちろん、一致する相手と出会えることは、または一致せずとも尊重できることはとても素晴らしいことだと思う。
しかし、そうでない場合も確かに存在する。
多いとか少ないとかではなく、確かに、ここにある。
必ずしも同性の人が自分と同じ恋愛指向とは限らないし、同性だと思った人が同性とも限らない。
決めつけてしまうことが誰かを傷つけるかもしれない。しかし、気を使っていては生きづらい。
決めつけられて傷つくこともあるし、、気を使われることが逆に辛い場合もある。
まだまだ公表しづらい世の中だと思うし、そんな中で公表される方々には心から尊敬する。
私は自分のセクシュアリティも恋愛指向もよくわからない。
誰に打ち明けて、誰に相談すれば良いのかもわからない。
まだ自分の中で結論の出ていないことばかりではあるけれど、それでも書きたかった。
どんな境界もなく、全ての人があらゆる関係を築くことができたら素敵だと思う。

ここまで読んでくださってありがとうございます。

少しでも息のしやすい世界になりますように。
あなたと友達になれますように。

願いを込めて。