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算命学余話 #R79「故郷を捨てる行為」/バックナンバー

 国際ニュースでは、南米からの移民がキャラバンを組んで米国へ向けて北上中という報道が連日続いています。当時者である米国の大統領は世界中の「良心」から嫌われているようなので、この移民集団を応援し物質的にもサポートする人々の活動なども同時に好意的に報道されています。しかし移民たちの行為の是非については誰も論じていません。
 去年・一昨年辺りはこの種の集団移民がアフリカから欧州へ北上して、ゴールのドイツはともかく、通過地点にすぎない東欧諸国などは露骨に迷惑顔を見せていました。通り過ぎるだけの移民らの行儀がお世辞にも良いとは言えなかったからです。よく躾けられて、「ご迷惑おかけして申し訳ありません。静かに通ります。汚しませんから通過をお許し下さい」という態度だったら、東欧の市民らも嫌悪を示さなかったのではないでしょうか。そこに人種差別はないように思われます。あったのは他者に対する礼儀と気遣いの欠如だったのでは。
 日本の「もったいない」という言葉はその精神と共に国際語「モッタイナイ」としてアフリカなどにも浸透していると聞きますが、日本の工事現場によく掲げられる「ご迷惑おかけして申し訳ありません」看板とお辞儀のイラストも世界に広めることはできないものでしょうか。これをプラカードにしてデモ行進したら、周辺住民も唾を吐いたりしない気がします。どうして現在使われているプラカードは「死ね」だの「反対」だの「〇〇しろ」だの、礼儀も気遣いもない険悪な言葉ばかり連ねているのでしょう。こんな不作法な人々の要求する姿を、デモが批判している対象者はもちろん、無関係な第三者が見て、同情を寄せてくれるとでも思っているのでしょうか。方法からして間違っている気がします。

 以前、日本と海外を比較するテレビ番組で、どうして日本人はデモをあまりしないのかが議論されたことがありました。その時の日本人の反応は、歴史的に学生運動における挫折や敗北でデモの無力を知っているからであるとか、やってもいいけど効果が期待できないからやる気も起きないからだとか、社会人らのそれらしい回答にまじって、学生が「デモはイケてないから」と言い放ったのが印象的でした。
 この回答は素直だと思います。要するにカッコ悪いと思うからやらない。デモ好きな国の外国人は反発していましたが、国はそれぞれ歴史が違うのだから、価値観が一致しないのは当然です。或いはこの学生は、盆踊りなんぞカッコわりぃから参加しねえ、と言い放つ類の生粋の江戸っ子だったのかもしれません。デモと盆踊り。拡声器とプラカード。街の真ん中で自己主張を叫ぶ。何やら似ている気がします。

 私はかねてより意見表明している通り、移民には反対の立場です。それは日本についてだけでなく、世界のどこの移民についても同じです。その根拠は算命学にあります。
 今回の余話のテーマは、日本の将来にとっても他人事ではない移民についてです。とはいっても、算命学が移民という行為・現象を100%否定しているわけではありません。場合によっては肯定しているのですが、ではどういう場合に反対だったり賛成だったりするのか、その根幹にある理屈は何なのかを考えてみます。なお、移民については過去に『算命学余話#U94』で総論を述べていますが、今回の内容はそれを掘り下げたものになります。

 算命学の認める移民は小さくは転居であり、中くらいでは家系からの脱出、大きくは国からの脱出です。そしてそうした転居なり脱出なりが正当性や妥当性を帯びるには、いくつかの条件が必要です。
 まずは宿命天中殺。特に生月中殺は家系から中殺を受けているため、生家に留まることは自他ともに無理を生じます。川の流れに棹を差して生きるようなもので、こんな細い棹にしがみついて生きるよりは、流れに身を任せて流れていき、流れ着いた先で新生活を始める方がよい、というのが算命学の考え方です。小さな転居や大きな移民も、基本的にはこの考え方に当てはめることができますが、ここでは中間をとって家系で話を進めます。後で大きな移民につなげます。

 宿命天中殺が次男三男であったり娘であったりするなら、さほど問題にはなりません。独立するなり嫁ぐなりして家を出れば済むことだからです。しかし長男だとすれば、それは少々問題です。長男がすんなり家を出てくれて、次男が家を継ぐというのなら、まあ穏便ではありますが、長子相続であった歴史が長い場合は気の流れ方が変わるため、その転換点から何らかの支障がしばらくは生じるようになります。

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