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何をするか、誰と共有したいか、共有したいと思ってくれる人がいるということ。

同じ本を何度も読む
とか
同じ映画を何度も見る
とか

結末を知ってても、それでも同じものをみてしまうときがある。たとえば、数年の月日が流れてストーリーが朧げになっているときとか、お勧めしたい誰かと一緒にみたいときとか。

この週末最初の夜は、W杯の決勝戦をフルで観戦して、もうひとつの夜はネットドラマを一気見して、そのテンションで歌を歌った。

W杯の決勝当日は友達とLINEでお喋りしながら自宅で一人観戦をしていたのだけれども。どうやら彼は仕事が忙しかったようで、観戦できなかったとのこと。

でも、あの試合はハイライトじゃなくてフルで観るからおもしろかったんだと力説して、フル観戦を勧めてしまった。勧めてしまったからには一緒に楽しもうと画面を眺めていたら

「リアルで全部観戦したんでしょ?なのに、初めて観るみたいなテンションで画面に喰いつけるのすごいよね。」

と感心されてしまった。メッシのゴールも、エンバペのハットトリックも、PK戦も全部全部、結末を知っているにも関わらず息を飲んで見守ってしまう。そして、優勝した瞬間のあのスタジアムの盛り上がりは、何度観ても泣いちゃいそうになる。

あと、一緒に観ていた人が自分もサッカーをプレーする人なので、おもしろいパスとか展開を何度もリプレイしては興奮していたので、「これが、おもしろいパスなのか!」とひとりで観戦していたときには気づかなかったようなプレーにも注目できて、ほんっとうに楽しかった。

翌日は、彼が最近ハマっているというドラマを教えてもらったので、お願いして1話からもう一回一緒に視聴した。

互いにどちらかは直近に試聴していたから、次に何が起こるのかわりと鮮明に記憶しているコンテンツだったけれども、それでも「おすすめしたい」と一緒になって画面を眺めては興奮したりキュンキュンしたり、それらを共有できるのって、ひとりで見るのとはまた違うおもしろさがあってすごく好きだなぁと、そんなことを考えたり。

ドラマを見始めたのも夜だったので全話は見られなかったのだけれども、そこから話が盛り上がって、高校・大学時代にそれぞれ別の場所で聴いていた同じ音楽を一緒に楽しんだ。

「聴覚障害者に音楽は楽しめないんじゃないか」という点について、彼は昔から「一緒に楽しめる方法があるならなんでも試す」というスタンスでいてくれるので、聴き取りやすい音量にしてくれたり歌詞がうろ覚えの曲は歌詞カードを検索してさりげなくポインターで追ってくれる。

高校卒業くらいから良聴耳の聴力がぐんと落ちたわたしは、大学〜大学院くらいの間に流行った音楽はほとんどきけていなかったのだけれども、夜の研究室で研究の合間にそうやって音の世界をまた教えてもらって数年。今ではすっかり補聴器とiPhoneを Bluetoothで繋いでSpotifyの音楽を聴いたりしている。

もともと音楽も歌うことも大好きだったから、【おもしろいものは共有しようよ、できる方法で】と提案してくれて、自分の声がうまく聴き取れなくて音痴なわたしの歌も否定せずに一緒に歌ってくれる人がいるというのは、すごくすごく救われたなぁと思っている。

SpotifyやYouTubeで音楽を楽しむどころか、この年末はあるアーティストさんのライブに行く予定までたてちゃっていましてね。ふふふ。楽しみだなーー。

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