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あわび

じつは5月辺りに不安障害になりました。軽症です。
みんなの前で元気に振舞ってる時は本当に元気な時だから安心してね。本当のことしか言わないから、なにも気負わないでね。みんなだいすきです。あなたも。

原因は分からないけど、きっと年末におばあちゃんが亡くなったこととかちょっと忙しかったこととか、脳ミソにガタがきたんだと思います。

誰も悪くないのよ。

症状は動悸とか、漠然とした大きな恐怖とかです。
今までは死にたいって言いながら生きてたのに、急に死ぬのが怖いと思って、なんだそんなことかと思うかもしれませんが非常に怖い思いをしました。
いえ、まだ怖い思いはしています。一日に3回ほど。

思ったことと、あったことを書こうと思います。
溺れている中でアワビを見つけるために。



おばあちゃんに会いたいです。
死んでも会えるかわかんなくなってしまった。
もうあの「あー」ってうめき声も聞こえないし、シワシワでガリガリの手も触れなくなってしまった。部屋を開けた時と骨を拾った時の匂いが一緒だったことを強烈に覚えています。別に特別好きじゃなかった、少し苦手だった、私が拒んだおばあちゃんに今更会いたいです。私の弾いたビオラは聞こえていたでしょうか。


タオルハンカチが手放せなくなりました。
涙脆くなって、1日に1回は必ず泣いてしまうような人になってしまいました。いえ、子供の頃もそうでしたから、戻ったという方が正しいかもしれません。体に力がこもる分の圧力と吸収された涙の分で帰る頃にはタオルハンカチの形がギョーザみたいになっています。そういえば、書いていて思い出したけどおばあちゃんもそんなのを握っていました。


ハンカチを握ってなんとか駅に着いた日でした。
人が倒れていて誰も声をかけないものだから「大丈夫ですかー」って腕を叩きながら声をかけました。
ドキドキさせない為に先にオチを言っておくとその人は生きていたんですけども。
私が話しかけた時は返事がなくて、黒目が少し曇っていて、半開きの口が、亡くなった祖母と重なってその日は1日泣いていました。駅員さんが話しかけてスっと起きたところを電車の窓越しに見つめました。


人に優しくなりました。人への嫉妬心が薄れ、癇癪がおさまりました。でもその分食欲が落ちました。少し元気になれば、すぐ人に嫉妬するしすぐ人に当たります。何が正しいか分からないです。
どうすれば良いか、分かりません。


出来なくなったことがいくつかあります。
動画を見ること、電車に乗ること、暗い場所にいること、大きな音を聞くこと、ひとりになること、閉鎖的なところにいること。ゲームも少しだけ怖い。
やらざるを得ないことばかりですから、何とかやっています。おかげで単位の出席日数がスレスレです。
続いていたTOEICの勉強は単語帳一周半して止まったままです。
できるよう(やるよう)になったこともあります。
早寝早起き、ラジオを聞く、適切な食事。素直になること。
心がいい意味でも悪い意味でも柔らかくなったと思います。本当に、子供になったみたいに!


変わらなかったことは、まわりの世界です。
大学は5回欠席したら落単する。私は3回休んだ。小さな子供ともふもふの動物はかわいい。ロリータもかわいい。電車は決まった時間に走る。親は優しい。弟は頑張っている。同級生も頑張っている。おばあちゃんは亡くなったし私もやがて死ぬ。ラジオにお便りは採用されないし、となりのトトロはいい映画。思い出の中の桜も紫陽花も綺麗。7月になった。
変わらないでくれてありがとうね。


数字の7が好きですから、ついでに今日の日記を書きます。ラッキーセブン。
生死に関わることばかり日夜考えていたら「今私がどうしてここに在るのか、どうしてこの時代に意識があるのか」とデカルトみたいな考えをしていました。「我思う故に我あり」に辿り着くのは納得というか、そこが最終地点というか。
私の所属するゼミでは今スピノザを扱っています。(スピノザについてのわかりやすい解説はきっと他の人がしてくれているよ)
こんな状態の私は度々スピノザの考えに救われているのですが、今まではただただ受け取るだけで精一杯でした。でも今日、中動態について考えて、少し納得したことがあるのでここに残します。中動態は受動態でも能動態でもないものです。

「私が望んで産まれたわけでも、母が勝手に産んだわけでもなく、私に命が宿った。だから生きたい。中動態的な思考を持つことで、能動的になる」


あ〜、今日があってよかった。
今生きれてよかった。この文をかけてよかった。
全部が私で、私が全部だ。
そこに良い悪いもない、私だ。あ〜、よかった。
私が私で、よかった〜。

あわび

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