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私小説。習作の。

ちょっと吐き出し用で快くない文章ですが頭から出してしまいたいのでご容赦ください。
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鬱病で寝転がっている時に妻から通院に付き添いたいとの申し出があり私と先生の会話を聞いた、中身は今週の調子はどう?いやぁ……だめです……のようなもの、後にどのようにすれば早く快方に向かうかと先生に訪ねのだけど、睡眠と食事と運動というような内容が返答としてあり、その時には通院してから何ヶ月も経っていたのでウェブで調べたりしたことの答え合わせや補足を得たいのかと思いとても感謝していた訳です。
そこから私は引き続き寝転がって幻聴や金縛りにあいながら毎日を過ごしていると仕事終わりの妻がえらい剣幕で声を張り上げ、お前は運動しろといわれたのにベッドから一歩も動かず食事をしろと言われているのに飯も食わずにいるが一体病気を良くしようという意志はあるのか子供たちも気を使っているし妻の両親も心配しているし皆に迷惑をかけている自覚はあるのかと尋ねて、というより分かっている答え、謝罪し悔い改めて先生の仰る事に励みます、を私から引き出すための設問を発したのだった。
そうは言われても私は始終念仏のようなものが聞こえるし体は指一本も動かないような緊張状態で何とか薬を飲んで気絶しては薬効が早く現れてくれないかと願うばかりで呼吸もしているのかどうか分からない有様だったので返答もできずに妻が部屋に入ってきたときと寸分変わらぬ体制で身じろぎもせずにいると反応のない私に苛立った妻は返答を求めるために声を上げるのだけど私の状態は変わらぬことはないし、なんなら余計に念仏の音声は増していくし妻の声圧で体は押し固められて状況は悪化するだけであった。
妻の声を何度か浴びる内になんとか手の小指を動かせるようになったので、そこからなんとか全身の緊張をねじ伏せてとにかくも大声が怖いということを伝えると、こちらの方がどうなるか分からない人間がいるので恐怖を感じているお前の感じる恐怖など比べるべくもない、ということを散々伝えて部屋から出ていき、私は幻聴を聞いてる内に気絶してその日は終わる。
翌日か翌々日には普段と同じ様子で接してくれるようになったので、調子の良い時は家の前を歩いたりしてはおり出来うる限り投薬以外の治療を自ら行う意志があることを伝え迷惑をかけていることを謝罪して一段落となる。

別の日に調子が悪く夕食が作れない、本来はベッドから起きられるようになってからは私の役割、時にそのような調子であるので夕飯も食べられないという事を伝えると彼女の逆鱗に触れてしまったようで、食べないでどうするのか死ぬのかそのまま食べずに死んでしまうのか、ということを声高に責められてしまった。
こちらとしても食べられる日は以前に比べれば遥かに少ないが飯を口にしているし、もちろん死にたくはないので通院も投薬治療も行っているのだが傍目に見てはやはり死にたいように見えるのなら死にたいのであろうよし死ぬかと自分の中で死への情熱が湧き上がってきて久しぶりの心持ちに嬉しくなり上下を着替え靴下を履きメガネを掛けそうなった時に身元が分かったほうが良いと財布をポケットへ突っ込み携帯は諸々の暗証番号などが保存されているので手続きに必要になるからと置いていき靴を履いて鍵を開け鍵を閉めゆっくりと夜道を歩きだし何処で何を使ってどうするかを考えながら国道に沿って規則正しいリズムで街の方へ移動しているとその内に死ぬならこんな事も出来るしあのような事も可能であると様々な発送が湧いてきて、先の情熱と同じくこの時期には全くなかった意欲というやつ、これだけやりたい事があるのであれば今日は実行するのに良い日ではないなと思いいたり4時間ばかりの散策を終えて帰宅し入浴し、急に家を飛び出したことを妻に詫びて薬を飲んで寝入ったのだった。

そこからは心持ちの切り替え方のようなことも分かって、少しでもこれから先の事を考えて体を動かせるようにしてなるべく毎日散歩にでかけ体力をつけ、変更された薬の効果もあって何とも不思議に前までの普通の通り動けるし考えられるし飯も食える状態になった今日この頃、急に上2つの出来事が思い出されたのと同時に、その時点では自分が悪いと思っていたものの現在では崖っぷちに立つ人間に蹴りをいれるような所業ではないのかという思いが日に日に募り、この先また怪我や病気や老化で動けなくなった折にも同様の事柄が起きるのだとしたらその時は死ぬか、もしくは殺されるのではないかと考えるに離れた方が自分のためだという結論に達してしまった。

その時の彼女の精神的負担など色々と考えてみるのだけれど、一昨年に彼女が大病で入院手術しその後何ヶ月も自宅療養であった際には仕事の合間に家事全般を黙々と行っていた自分を省みるに確かに負担ではあったが弱っている人間を追い詰めてよいとは思えずに後4年後に下の子供が高校を卒業する時期をそれと定めて、それまではまずは職業学校で技術を身に着け稼ぎのある身となり家事は全般文句の出ないようにこなして持ち家の所有区分は全部差し上げて別れてしまおうと目標を打ち立てた。

自分を肯定できるものがないので相手の不満はこちらが動いて解消してきたのを順調と思ってきたが考えるに私の不快とするところを相手が把握しないまま、一応そこそこ不満は伝えていたのだけど相手の行動を変容もしくは矯正することになると都度却下されてきていたのを思い出した、一方的に要望だけを叶えてきたのであれば関係は歪なものになるのに耐えて合わせる事を愛情だと思い違いをしていた出来損ないの試行錯誤も過ちがハッキリとしたが気づくのが遅すぎたのは彼女にとても申し訳なく思う。

何のことはない、母が父に行っていたものをロールモデルとしてしまった、家族の関係として間近でみて離脱させようとしていたのに、のだと自分では上手くやれているつもりでも結局は同じ轍を踏んでしまっていた。
父・夫というものが強権を以って衝動的に動くものであれば、その逆として本来であれば民主的な関係性を築くべきであったのに元の封建的な主従関係を男女さかさまにしただけで上手くいったと思っていたなんて馬鹿な話ではあるけれど主観とは恐ろしいものである。

とりあえず目標まで着実に日々を過ごして人生なるものを送っていきたいと思う。

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