見出し画像

京大を志すまで(2)

今回は高校時代について書き記していく。

高1高2 


 高1高2の間、もう学校の授業なんてロクに聴かずダラダラダラダラと過ごしていた。
 (数学の時間は寝る。英語と国語も寝る。古文漢文は1ミリも分からない。社会は教科書をパラパラめくって時間を潰す。理科は班ごとに席が分かれるので友人らと喋る…。)

 中学の途中から英語と数学は塾にも通わせてもらっていた。だがこちらも全く授業は聴けていない。時計の針を眺めてはその動きの遅さにうんざりしていた。

 どうにも昔から"授業を聴く"ということが苦手だった。先生1人に対して集団で受けているのが良くない。自分に向かって話されている気がせずにボーッとしてしまうからだ。板書が追いつかない。教科書の何ページを見ているのかも分からない。課題を聞き逃す。だからやらない。ノートを持ってくるのもいよいよ忘れる。ああ恐ろしい。

 周りの生徒たちはおよそ全員が授業についていけている、そんな気がしていた。そのことにモヤモヤしつつも、追いつかねば!と焦って頑張るのも億劫で、何も考えないようにしていた。


大学受験と学力

 ただ高校に入るとやはり大学受験の話題を耳にすることが増えてきた。阪大や神大が賢いらしい、早稲田や慶應は大阪の人たちがあまり目指さない、関西では同志社とかが凄いらしい…などなど。
 
 この頃になると学校での私の成績はかなり悪くなっていた。中学でもダラダラしていたが、高1高2はその比にならないくらい怠惰に過ごした。その結果、学年160人中で130〜150番くらいの順位になっていた。
 どうやらうちの高校は年に5〜10人くらいが京大へ行くらしかった。阪大や神大は12人前後ずつ、大阪市立大や大阪府立大にはそれぞれ15人ずつくらい。残りは医学部か私立か浪人か…よく分からなかった。

 実のところ、勉強をとことんサボっていたからこそ、本気を出せばなんとかなるだろう、とも少し思っていた。ただそれにしても成績が悪すぎる。先に挙げたどこの大学へも行ける気はしない。他の大学を探してみる気にもならない。やりたい学問が見つかることも叶えたい夢が見つかることもなかった。

 当時、阪大医学部を目指して高1からずっと勉強に励んでいる友人がいた。彼を見るたびに焦る気持ちが湧いた。ある日彼から「お前はどこ目指すん?」と聞かれ、「さあ、何も考えてないなあ」と答えた。何も考えたくなかった。考えない、そう、できるだけ何も考えないように過ごしていると、やがて高3になってしまった。


高3春/コロナ休み 

 高3になる直前の春休みに新型コロナウイルスが流行り始めた。そして3月から5月の3ヶ月は高校や塾へも通えず、、、というより外出することがほとんどなかった。

 このコロナ休みでいよいよ受験について考えることを強制された。友人と話し合ってではなく一人でのんびり考えられたのはありがたかったが。

 まず大学を受験しない選択肢はなさそうだった。他にやりたいこともなかったからそう思えた。
 それはそうと、目的もなく大学へ行くのも親に申し訳なかった。そもそも中学から塾へ通わせてもらっているのに授業をロクに聞いていない罪悪感が凄まじかった。
 色々と考えた結果、今から本気で勉強して大阪市立大か大阪府立大に進学するのが一番良い、という結論に至った。これで親にも恩を返せる。受験期間中に学びたい学問を見つけよう。生物学が好きだから、生物系で絞れるといいな。
 そうと決まれば勉強するしかなくなって、ついに参考書を開き始めた。しかしあまり熱は入らなかった。

 結局コロナ休みは人生初の昼夜逆転カス期間と化した。お試し3ヶ月版みたいなものだ。のちに何度も何度も経験することになった。
 昼過ぎに起きて飯を食べる。1,2時間だけ参考書や問題集をめくる。余った時間にYou Tubeやアニメを見続ける。それだけだった。脳みそが溶けていく感じがした。

 当時は「青チャート」「一対一対応の数学」のⅠAⅡBを見ていた。英語は「Next Stage」で文法を学びつつ「システム英単語帳」で単語をやっていた。英国が苦手すぎるのと生物学が好きだったので理系に進むつもりでいたが、理科をやっている場合じゃなかったのでこれは放置した。
 
 勉強ができなかった理由はなんとなく分かっている。大阪市立大や大阪府立大へ自宅から通っている自分を上手く想像できなかったからだ。正直なところ、志望校について考えれば考えるほど、脳裏にうっすらと京都大学が浮かんできていた。特に詳しくもなければ強いこだわりなど当然なかったが、やはり微かに憧れがあった。

 アニメは「涼宮ハルヒの憂鬱」「らき☆すた」「けいおん!」「日常」などを見ていた。なんとなく京アニ作品ばかりを追っていた。向き合いたくなかったが、京都への憧れがアニメ選びに影響しはじめていた。
 
 

登校再開

 高3の5月下旬になってようやく高校や塾へぽつぽつ通えるようになってきた。
 受験生らはみんな休みの期間でかなり勉強していると思っていた。自分との差がまた広がっている気がして登校するのは苦しかった。しかし、案外みんなも勉強できていなさそうで少し安心した。

 通い始めてから2週間ほど経った高3の6月、ある友人から「お前大学どこ目指してるん?」と聞かれてしまった。それまでずっと聞かれないように立ち回っていたが、いよいよ答える時が来てしまった。そして「大阪市立大かなあ」と答えた。なんとなくモヤモヤした。5分後、別の友人からも「どこ目指してるん?」と聞かれた。「京大やわ」と答えた。

 自分の成績で京大志望なんて名乗るのは恥ずかしくおこがましいことだと思っていた。だか言ってしまった。驚かれるし馬鹿にされるとも思っていた。しかし友人の反応は「えー京大なんか、まあ頑張らんとなあ、俺ら…」というものだった。友人も自分と似たような成績なのにコロナ期間中で結局京大を志望したようだった。大変嬉しかった。さあ、こうなった以上は各々馬鹿みたいな目標を掲げて一年切磋琢磨しようじゃないか…。のちにどちらも2浪した。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?