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京大を志すまで(1)

 仮面浪人体験記の書き直しを行うべく、たまにnoteで受験であったことを書き出していこうと思う。何があったかを時系列順に思い出しながら受験生活を振り返っていく。

 ここで一応自分の経歴を述べておくと、
2020年4月 高3になる/コロナ禍が始まる
2021年3月 京大理学部落ち(-140/1200点)
2021年4月 駿台大阪南入校
2022年3月 京大農学部落ち(-50/1000点)
2022年4月 北大理学部合格(後期/生物専修)
2022年7月 北大休学
2023年3月 京大農学部合格(+50/1000点)
という感じになっている。
 
 それではまず京大を志すまでについて書き出していく。

小学校受験

 私は大阪生まれ大阪育ちだ。専門学校卒の父と母のもとに生まれた。だから私の受験において、父と母が既に京大卒で…とかだった訳ではないし、勉強を強いられるようなこともなかった。ただ父と母は大学受験に疎く、特に母は本当に受験のことを何も知らなかった。
 あと、3つ下には弟がいる。私の受験にはあまり関係ない。

 5歳の頃、祖父からの勧めで塾へ入れられて小学校受験をすることになった。当時はなんのために塾へ通っているか私はあまり分かっていなかった。ただ、なんだかんだ全ての始まりはここなんじゃないかと思う。

 幼稚園の終わり頃、「大阪教育大学附属天王寺小学校」という国立かつ小中高一貫の小学校に合格した。
 実のところ塾での成績はかなり悪かったらしく、さらに私はそのことも受験のこともよく分かっていなかった。しかし、ある日ウンチを踏んで絶望していると、母が「明日は試験だからウンチを踏むのは運がついて良いことなんよ!」と喜びだして、ウンチ踏んで喜ぶなんて明日何かとても大事なことがあるに違いないと子供ながらに悟った。
 翌日、来たるべき何かに備えていると会場へ連れて行かれそのまま受験したところ、ウンチの甲斐もあってか合格してしまったのだ。

 当時はヤケに家族が喜んで、特に祖父母が嬉しそうに「賢いねえ賢いねえ」と言ってくれるので、自分は賢いのかもしれない、などと少しだけ思っていた。


小学校中学校

 小中の間は何も考えずただ楽しくダラダラ過ごしていた。この頃からなんとなく京都大学への憧れがあった。というのも、「とうきょうだいがく」「きょうとだいがく」「わせだ」「けいおう」などは幼稚園児でも知っているぐらい有名だったからだ。ただ、憧れは持ちつつも自分が京都大学へ行けるほど勉強出来る気はしなかった。

 小学校高学年の頃、生徒の半数ほどが私立の名門中学を受験すべく塾へ入ってガリ勉し始めた。すると、塾での鬱憤を晴らすかのように彼らは学校で暴れ始め、徐々に学年が荒れていった。当時は毎日「今日はどんなことが起こるんだろう」とワクワクしながら小学校に通っていたが、彼らの狂気を目の当たりにしていると、そんな彼らと同じくらい勉強した奴らが最後に競い合う大学受験で勝ち抜けるなどとは思えなかった。

 やりたい夢が見つかるでもなく、行きたい大学や行けそうな大学が見つかるでもなく、将来のことなど考えたくもなかったので考えないようにしながらやはりダラダラ過ごしていた

京大を志すまで(2)へ続く

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