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シンパシーとエンパシー

先日、宮本亞門さんが講師の勉強会に参加した。
4回の講義はそれぞれテーマに分かれていて
生きること、死ぬこと、健康や仕事など
演出家という亞門さんが投げかける
人生の様々なテーマに向き合う場である。

その中でシンパシーとエンパシーについての話があり
日々の自分のコミュニケーションを振り返る契機ともなった。

日本語ではシンパシーもエンパシーもなんとなく
「共感」という言葉を使ってしまうが
その二つは明確に異なるという話。

亞門さん曰く、シンパシーは
主観的に、同情や感情で寄り添うこと。

一方、エンパシーは
客観的に他者の立場になり状況を冷静に分析し
何が他者にとって良いかを考える力だという。

シンパシーやエンパシーについて更に調べていたら
ブレイディみかこさんがわかりやすく
定義を記載していたサイトを見つけたのでメモを取った。

自分で誰かの靴を履いてみること

シンパシーとは
1)誰かをかわいそうだと思う感情
  誰かの問題を理解して気にかけていることを示すこと
2)ある考え、理念、組織などへの指示や同意を示す行為
3)同じような意見や関心を持っている人々の間の友情や理解
エンパシーとは
他人の感情や経験などを理解する能力
(オックスフォードの英英辞書サイトからの引用)


つまりシンパシーは「感情」が占めており、
エンパシーは「能力」に寄るところが大きい。

シンパシーは自分が主観的に相手の気持ちに触れ
その人に対して抱く同情や寄り添う気持ち。
シンパシーをしている時の自分の感情も
相手への共感とともに自然と湧き出て揺れ動く。

他方エンパシーは、自分が同情するかは別として
誰かの感情や経験を知的に理解するという能力。
能力なので鍛えることのできる力。
想像する力でもある。

たとえば世の中で起こっている争い事に対して
そんな状況はかわいそうだと主観的に思うことはシンパシー。
一方で、なぜそのようなことが起こっているのかを
当事者の靴を履いてみて、理解しようと想像力を働かせるのがエンパシー。

国同士、会社や教室の中、また1対1の関係性でも
他者との関わりがある以上は、
シンパシーとエンパシーの履き違いが起こりやすい。

相手には相手の言い分がある。
自分の靴を履いたまま相手を知った気になるのではなく
他人の靴を履いてみることで見える景色や考え方がある。

もちろん相手の靴を履くことはできても
靴を履いている足は自分のものなので、
完全に相手の理解は難しいかもしれないが
相手の立場を想像することはできそうだ。


組織の中のコミュニケーションも同じである。
自分と同じような境遇や考え方の人にはシンパシーを抱きやすい。
考え方が似ていればシンパシーだけでうまくいく。
そうだね、いいね!でことが済む場合も多い。
また理念にシンパシーを抱き、
共感していた方がその組織で働きやすいだろう。

他方、大枠の組織理念に共感をしていても
中にいる一人ひとりは多様な関心と強みを持っており
それが築かれた経験や環境が異なる。
多様な個性がシンクロするには、
シンパシーだけでは不十分である。

組織内の多様性の醸成に有効なエンパシー。
想像力を持って対話をし、相手の声に耳をかたむけ
分かり合えないことを前提に理解しようとする努力。

そういうエンパシーの力を
一人ひとりが高めていける組織でありたい。

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