酔った勢いその1 いわゆる「活動家」への疑問
この頃「LGBTに関する世間への啓蒙」なるものが流行っている。
いわゆる「活動家」の行為が功を奏して、ゲイへの偏見は拭い去られつつある、らしい。
その行為が無意味とは言わない。様々な偏見-「ゲイはなよなよしていて、オネエ言葉で話し、女装好き」-というイメージの打破に一役買って頂いた筈だから。
しかし、そのおかげで救われるのは、元々「ハッテン場やSNSを通じて同じ立場のゲイと出会い、それでも一部の無理解なオトナのせいで結ばれない同性愛カップル」だけだ。
そういうことをする勇気のないゲイ連中にとっては、彼らの活動は全く無益か却って邪魔なだけだ。
少なくとも私は、コンドームも付けずに肛門を弄くりまわして感染症を蔓延させる行為に恐怖心を抱いている。
皆、しばしばAIDSやそれに伴うサイトメガロウイルス、カポジ肉腫、ニューモシスチス肺炎、B型肝炎、アメーバ赤痢...様々な感染症に侵され凄惨な最期を遂げる。
活動的なゲイの人々-今時の言い方なら「陽キャ」?-の皆さんはそんなことを何一つ考えず楽天的に生きているか、はたまた平均寿命より遥かに若くして死んでもよし、とする根性があるのだろう。
そんな覚悟のない臆病者にとっては、彼らの動きは驚異であり脅威でしかない。
セーフセックスならば話は別だろうが、細菌まみれで本来性器を挿入されることなど想定されていない器官への性交などおぞましいとしか言いようがない。専門知識を持つものにとっては特に。
或いは不細工、デブorヒョロガリ、三次元の恋愛に興味なし、などの理由で彼氏を持つことの叶わぬゲイにとっても、彼らの動きは脅威となる。勿論私もこの中に入る。
「活動家」の活動は「ゲイこうあるべき」という思想を一般人に広める役割しか持たない。彼らの広めるイメージはこうだ。
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ゲイとは、「お洒落で女子心も分かる、本来幸せな一生を送れる人の筈なのに、中高年の異性愛者の無理解のせいで愛する者と結ばれぬ可愛そうな人々」であり、だからこそその様な「あと一歩で救われる人」を救わなければならない。
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ありがたいことに、世間にはゲイに対してこのイメージが蔓延している様だ。
そんなイメージと反して、「単にゲイである」という以外はノンケのオタクと何ら変わらないゲイも多数いる。彼らにとって、ハッテン場でヤりまくる連中は「性的志向が同じである」という以外何一つ共通点は見出だせないだろう。
非モテのゲイにとって、やれお洒落だの女子心が分かるだの、そんなイメージは自分と全く合致しない者が多いであろう。
果たして、「活動家」はゲイ全般にとってありがたい存在なのだろうか?
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