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#17 ホワット・ザ・ワールド・イズ・ウェイティング・フォー/ザ・ストーン・ローゼズ

中2の頃に兄とお年玉を合わせてSHARPのミニコンポを購入した。レコードプレイヤー、チューナー、ダブルカセットのこじんまりしたコンポだった。ただ、兄の部屋にあったため、残念ながら私の使用はかなり限定的だった。よって、エアチェックの主戦場はAIWAのダブルラジカセ、ということになる。

2つ違いなので私が高2の時に、兄は進学のため札幌に行った。ようやくミニコンポを独占できる僥倖にたどり着き、好きなようにレコードが聴けるようになったが、兄が夜中にレコードをかけながらビートルズを熱唱する声が聞こえなくなって、少しさみしかった。

89年、私も札幌に来てしまった。進学でも就職でもない。なんのあてもないのだ。3週間ほど兄のアパートに厄介になりながら、バイト探し、部屋探しの日々。兄はとにかく機嫌が悪くいつも言い争いばかりしていた。居候の身としては、おとなしくするしかない。

「ロッキング・オン」で煽られたストーン・ローゼズというバンドの登場は、60年代ロックと80年代後半を同時に追いかけていたわたしにとって、きわめてまれな役割を担っていた。ビートルズやボブ・ディランによって毎年のようにロックの革新的な表現が生み出され、順序だててロックの成長を理解しようと必死だった頃だ。

「ロッキング・オン」がむやみやたらにはやし立てる。≪マッドチェスターとザ・バーズの融合≫。マンチェスターはあの頃の私の聖地だった。ザ・スミス解散~モリッシー・ソロ、ジョニー・マーとマット・ジョンソンのザ・ザ。ニュー・オーダーは【テクニーク】で頂点に立っていた。「エレファント・ストーン」のプロデュースは、ニュー・オーダーのピーター・フック。アルバムは、たしかCISCOで購入したはずだ。レモンジャケット。イイ曲ぞろい。程よくポップで一緒に歌いたくなるメロディー、このバンドには人懐っこさがあった。

続いて出た「ホワット・ザ・ワールド・イズ・ウェイティング・フォー」がとにかく好きだった。ジョン・スクワイアの豊潤なギターフレーズ、ドラムのレニとベースのマニが奏でる唯一無二のグルーヴ。90年には、古巣のインディーレーベルFMリボルバーに殴り込み、ペンキをまき散らかすという事件を起こす。3年前にRECした「サリー・シナモン」を無断でリリースしたことに抗議したものだった。そして、シルヴァートーンを辞めるための長い裁判のあと、晴れてゲフィンとの長期契約を経て、バンドは姿を消す。

かくも長い不在のあと95年、2nd【セカンド・カミング】に合わせて来日ツアーがあった。なんと札幌に来るというのだ。当時、地方勤務だった兄と行く約束をしてチケットを2枚確保した。サッポロファクトリーホールだ。しかし、ジョン・スクワイアが腕を骨折したというニュースが入り、公演はやむなく中止となる。

わたしのローゼズ体験は空しく消えたが、イアン・ブラウンが時々ステージに立っていることを聴くと微笑ましい気持ちが沸き上がり、リアム・ギャラガーとジョン・スクワイアのアルバムを聴くと、私が聴きたいのはコレではない、あの時に聞いておくべきだった、と強く感じてしまうのだ。


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