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#11 風に吹かれて/ボブ・ディラン

ディランのリスナーになってもう長い時間が過ぎたが、やはりこの曲から始めねばなるまい。中学1年生の英語の教科書は、今でこそ笑える内容が満載だ。“馬の展示会に行こうよ、エレン!”日本の中学生には何のリアリティもない例文である。

教科書の後ろに楽譜付きで、とある曲が掲載されていた。“Blowin‘ in the Wind”、ボブ・ディランの「風に吹かれて」だった。ピーター・ポール&マリーの全米2位バージョンが、ドラマ金妻で使われていたので、当時ラジオでもよくかかり、曲自体は認識していた。英語の教科書なので訳詞があったような気もするし、なかったような気もする。“どれだけ~すれば、〇〇だろう”、という同じ言い回しの繰り返しが続き、答えは風に吹かれている、というやや陶酔気味の歌詞に少し引く。

中2になって初めて購入したディランのLPが【フリー・ホイーリン】だった。NYにきてやっとデビューしたばかりのディランは、まだまだ若手。グリニッチ・ビレッジで毎夜のようにステージに上がっていた頃。彼のベーシックなルーツはロックンロールであって決してフォークではない。ウディ・ガスリーの音楽に出会い、表現方法としてのフォークに開眼しただけである。

当時のディランは新聞記事や時事ネタをフォークソングの意匠でカタチにする能力にきわめてすぐれていた。決してプロテストソング、トピカルソングを意識的に社会に向けて撃っていたわけではないし、最初から偉大な詩人であったわけではない。オデッタの「ノー・モア・オークション・ブロック」が下敷きになっていることは映画【ノー・ディレクション・ホーム】で知った。

クラブ「ガスライト」で出来立てホヤホヤのこの曲を披露するや否や、仲間たちにこぞってカバーされてしまう。よくも悪くもこの曲によってディランは時代の寵児となり、「風に吹かれて」は公民権運動のテーマ曲として、プロテストソングの代名詞として時代を超える名曲になってゆく。

“どれだけの人が死んだら、あまりにも多く死に過ぎたとわかるのか?”、“人の自由が許されるまでに、どれだけ見ないふりをしていられるのか?”。時事ネタやニュースを引用していくうちに、ディランの歌詩は民衆のかわら版としての機能を有していく。しかし、その辺のかわら版ではない、そこにはディランの批評性、言い回し、シニカルな視点が随所にちりばめられており、誰がやってもこうはなり得ない。

何故なら、彼はヤバいかヤバくないかの忖度がないのだ。自分の興味関心に真っすぐに表現する、その正直さが彼を唯一無二にしてきた。【フリー・ホイーリン】には、問題作「ジョン・バーチ・ソサエティ」が収録されるはずだった。TVでも歌おうとしたこの曲が入っていれば、ディランの命を脅かした可能性もある。

社会課題に向き合うディランと、ポップスターになる前夜のディラン。腕を組み歩く恋人スーズ・ロトロがディランの詩作に影響を与えたと言われている。その最愛の彼女と別れ、ディランはジョーン・バエズの元に向かう。そしてさらに、エレキギターを手にして未踏の進化を遂げていくことになる。友よ、その答えは風に吹かれている。


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