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#12 イッツ・トゥー・レイト/キャロル・キング

エアチェック小僧をしていると、毎日のように未知の音楽との出会いがある。

当初はFM誌のみでの対応を余儀なくされていたが、ヒアリング情報の洪水の中で文字表記での正誤確認や、系統だったアーティストの情報整理が難しい。それらの参考図書としていくつかの書籍を物色した。

重箱の隅のようなディスクガイドが乱造される20年以上も前の話だ。油井正一の「ジャズ・ベストセレクション」とともにロック分野での愛読書となるのが、渋谷陽一の「ロック・ベストアルバムコレクション」だった。ちなみにどちらも新潮文庫である。

中学時代のイロハはほぼこの文庫本頼みであった。ラジオで時々かかっていた「イッツ・トゥー・レイト」は、ピアノを中心としたアンサンブルが魅力的だった。この曲を含むアルバム、キャロル・キング【タペストリィ(つづれおり)】もこの本で知った。旭川でLPを探した。さすがの名盤、すぐに見つかる。

窓際に猫と一緒に座っている彼女の柔らかいまなざしそのままに、どことなく儚げな印象のアルバムである。アンサンブルに耳がいったのは後年になってからだが、ダニー・クーチ、ラス・カンケル、リー・スクラー、クレイグ・ダーギらセクションは、ジェイムス・テイラーのバックとしてもおなじみだった。

10代からジェリー・ゴフィンとともにヒットメイカーとして活躍し、コンビ解消後はチャールズ・ラーキーと西海岸に移る。そこで、ラーキーの旧友クーチと出会いシティを結成、クーチからJTを紹介され、合縁奇縁の連鎖が続く。

この曲のグルーヴの肝はリー・スクラーのベースだが、間奏パートのキングのピアノとクーチのギターが奏でるユニゾン。このユニゾンは「イッツ・トゥー・レイト」に限定された編曲ではなく、これがアルバム全体に通底する厚みの印象の源流となっている。わたしのキャロル・キング史でいうと、ここからシティを経て70年代ソロをたどり、60年代のプリル・ビルディング時代へさかのぼり、ようやく彼女自身がアメリカのポップス史であることを知るのである。キャロルはずっと信じた道を続けていた。ただそれだけのことだ。

80年代のナウヒッツを聴き、背伸びして60年代ロックをかじっていた私は、70年代初頭、ヒットの潮流がここまで内省的に変化したことに衝撃を受けた。クリーム、クリムゾン、ツェッペリンのすぐ後に、なぜ「つづれおり」が受け入れられたのか。物事には順番がある。公民権運動を考え、平和を考え、ベトナムを考え、他者に思いを馳せた60年代から、自己を思いやる時代に変わろうとしていたのだ。

一般的にミーイズムとか、シンガーソングライターの時代と言われているが、そうではないと思う。自己も広い解釈でいえば他者の一人であるのだ。他者を思い、突き抜けた先に自己があった。ただそれだけなのだ。


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