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日日蹴日「人生を変えたTarzanとNumber」

ありがとう太郎、ありがとうスギ

フットサルに明け暮れ、バイトで稼いだお金を洋服に費やしていた大学4年生。とくに目標もなく、さりとてスーツを着て働く自分が想像できずにいた。

そんな時だった。当時、アルバイトをしていた塾の塾長に紹介されたのが雑誌Tarzan。特集は「スポーツまわりの仕事」だった。

「塚ポン(ボクのあだ名)、どうせ、普通に就職はしないんでしょう?これを読んでおければ」

ここ何十年と会っていないけど塾長の太郎は、ボクとって大きな存在であることに変わりはない。仕事へのスタンス、人生の楽しみ方など学んだこと、真似しことは数知れず。なかでも人を巻き込む力は、ある意味宗教的で、真似しようにもできない、彼の強烈な個性だ。

人を見抜く力もある。ボクのモヤモヤっとした当時の思いを的確に読み切り、人生を変える一冊を届けてくれたのだから。

太郎に紹介されたTarzanをバイト帰りに書店で購入。貪るように読んで、その日のうちに決意した。スポーツで生きていこう。それも書くことで、スポーツに携わっていこうと決めた。

そう決める以前に、ラジオ日経のスポーツライター講座に通っていたけど、真剣に受講していたとはいえず、とにかく形から入ろうという程度のものだったが、師匠・藤島大との出会い、武藤先生のジャーナリズムに接し、Tarzanがさらに拍車をかけてスポーツライターを目指すことにした。

といっても、就活では日韓ワールドカップの影響もあり、いわゆる優秀な学生もマスコミに流れてきたことで、スポーツ新聞社などを受けたけど箸にも棒にも掛からなかった。そこで落ち込んだかと言えば、そうではなかった。そもそも高倍率を勝ち抜けるとは思っていなかったからだ。

まんまと社会に弾かれたものの、どうすればいいかもわからず。相変わらずフットサルとバイトの日々。不安も楽観もなく、ただただ楽しかった思い出しかない。授業はなかったし、かわいい彼女はいたし、好きな洋服も買えたからだ。

衝撃的だったスポーツ・グラフィック・ナンバー

その存在はなんとなく知っていた。高校卒業後、ボクは公立大学に合格しながらも東京への憧れが捨てられずに、良心に頼みんで浪人させてもらっていた。なんともワガママな息子である。それを許してくれた両親の寛大さに、親となった今は感謝しかない。ありがとう。

栃木には残念ながら浪人生向けの予備校はなく、地元・栃木から大宮まで東武線と宇都宮線で通っていた。満員電車の車内で、唐突に友人が語り出したのが、あの伝説の「江夏の21球」だった。あの嬉々とした表情は忘れられない。

友人に紹介された「江夏の21球」は、その日の夜、NHKで放送された。釘付けになった。スポーツライティングのパイオニア、山際淳司さんと江夏豊のやり取り、近鉄を封じ込めた江夏とチームメイトたちの巧みな心理描写。どれもが鮮烈で、たちまち虜になった。

ボクを一瞬で魅了した「江夏の21球」が掲載されていたのが、そう「スポーツ・グラフィック・ナンバー」だ。ゼミ友だちのスギから「これ、読んでみて」と手渡され、この雑誌の存在を知った。

写真がとにかくカッコよく、また文章も秀逸だった。Tarzan同様に電車の中で時間も忘れて没頭した。ちょうど帰省のタイミングで購入したのだが、八王子から栃木まで社内はナンバーを読むことに費やされた。いつもは長く感じる旅路も、あっという間だった。読者を掴んで離さない。こういうことか、と実感したのは、この時がはじめてだった。

Tarzanで生きていく方向性だ定まり、目的地はナンバーに決まった。ナンバーには署名記事を書くことは現時点では叶っていないが、2度ほどゴーストライターとして記事を寄稿できた。

ゴーストであっても目標としていた、スポーツライター憧れの媒体に書けた喜びは筆舌に尽くしがたいものがあった。ひとつ掲げた目標を達成できたのは、サッカーがボクを育んでくれたからだと思う。

サッカーには感謝しかない。

おもいのままに。続けます。今日も呼吸ができた。ありがとう!

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