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集中力(遺伝)×オタク(気質)によるかもしれない説


実家への1週間の帰省を終えて、東京に戻ってきた。何事もなく普通に生活している姿を親に見せれたので少しは安心したかなと思う。
医者曰く「通常の復職条件(たくさん寝て、食べて、仕事に前向きになる)はすでにクリアしている」ので、すごく正気で元気なのだ。
なのに、わたしがわたしのことを把握していないばかりに「元気モリモリな休職」という謎の状態に至る。

とはいえ、急いで仕事に戻りたいかと言われるとそうでもない。自分でコントロール不可な領域に支障がでてしまったので、いまの状態で復帰すると何かやらかすことは必至だし、そうしないように何倍も気を張り続ける毎日に逆に滅入る、という負のループが目に見えている。

だからこの数ヶ月を焦ったとて、意味はない。それよりも「自分を把握すること」を覚えるほうがこれから先の人生において重要なので、この休みはしっかり休むべきなのだ。

帰省中、改めて両親に「過集中により脳がパンクしたっぽい」という話をした。
すると父と母が「「お父さん/お母さんも集中力ある」」と名乗りをあげてきた。(なぜ…?)
我が家は全員バスケットボール経験者のスポーツ一家だ。なので大体のことをバスケットで説明する傾向があるのだが、まあバスケットはとにかく頭を使うので集中力が必要だという話をしてきた。

「たしかにそうだね~(なぜ張り合ってくる…?)」なんてゆるい相づちをしながら、そういえば中学の試合でゾーンに入ったことあるなと思い出した。
マジで本当に周りがスローモーションに見える。相手の予備動作がわかるから動きやすい。視野も広くなって、自分の指先の力のかかり具合までわかるし、足も腕もとにかく軽くて疲れない。

その試合の詳細はあんまり覚えていないけれど、とにかくめちゃくちゃ気持ち良かった!!!という記憶がある。試合に勝った負けたとかではなく、その状態であることが最高
だった。すごく空腹な状態で食べる高級寿司一貫目くらいの幸福度と同じくらい。マジで。
(*ゾーンと気持ちよさ関係ある?と思って、いま調べてみたら「脳に快楽物質が分泌される」らしい。なるほど…。)

そんな話をふざけて言っていたら、父もゾーンに入ったことあると言い出した。父は高校生の時のとある試合中に。40年以上も前のことだが、未だにその試合の内容をまるまる覚えているらしい。母も幼い頃、歩きながら読書に熱中するあまりドブに落ちたり、行方不明未遂になったことがあるらしい…。

……もしや過集中、遺伝なのでは!?!?

もしくは両親ともに「集中傾向」が通常運転だから、それが「良し!」とされてた説もある。…通りで医者に「幼い頃の生育環境」を訊かれるわけだ。

家族全員で過集中の気質を持っていると認識した上で、じゃあなんでわたしだけがパンクしたかというと、これはもうすぐに答えがわかってしまった。

クソ文系のオタクだからだ……………!!!!

心の底から満足するまで好奇心のままに追い求め、考え続けることに何の躊躇いもない。答えのない問いに対して、ひとり禅問答を延々とやる。そうして”答えのような何か”にたどり着いたときに、脳内を駆け巡る快楽がたまらない。
その”答えのような何か”を次の瞬間に反駁しては、新たな思考の海に潜る。そうして次の仮説と結論を繰り返す…脳内快楽永久機関が完成してしまっている。

簡単に言ってしまえば「推し、かっこいいか?かわいいか?」の問いで、ずっと遊んでいられる。ふたつの概念の定義づけからはじまり、情報収集、仮説、検証、考えなければいけないことがあまりにも多すぎる。

ずっとずっと深く潜ったときには寝食を忘れるからこれがよくないのかもしれない。
思考することはいつでもどこでもできるから、歯磨きとかドライヤーとか寝るまでとか起きた瞬間とか電車の中とか、本来ならぼんやりしているだろう時間まで侵食している。

だから、脳が休まらないのだ。愚か。でも楽しいからどうしようもない。

どこで楽しいにストップをだすか。どこまでがOKかNGかのラインを検証していく9月にしたい気持ち。

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