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「夢幻回航」14回 酎ハイ呑兵衛

世機は自分の霊感を鍛えるための修行を欠かしたことはない。
毎朝決まってトレーニングをする。
それが彼の日課だった。
軽いジョギングから始まって、軽く筋トレ、それからみっちり、独自の体術をトレーニングして、それから、霊力を高めるトレーニングである。
沙都子もトレーニングをやるが、練習メニューは違っていた。
それぞれに合ったトレーニング法があるのだ。
沙都子もランニングはやるし、筋トレと、体術は世機と組手もやる。
だが、霊感強化は別々のトレーニングだった。

今は、沙都子と組手をやっていた。
ただ、2人のトレーニングは、道場ではやらない。
連盟お抱えのマンションも、武術の道場までは完備していなかった。
むしろ実戦形式で、広い大地がトレーニング場だった。
だから、受け身を間違えれば、怪我の絶えない練習になってしまう。
それ故に、緊張した、濃密なトレーニングが出来るというものもいる。
練習で怪我をしたら、仕事に差し支えると言って、2人は道場を作ってくれと働きかけていたが、連盟は良い返事をくれなかった。

毎朝、1時間程度の組手をやる。
時間が短いから、練習の密度は濃いものにしている。
2人が何年もかかって、練りに練った練習法である。
体術の練習は、もちろん道着など着用するわけではない。
2人に言わせれば、道着を着た練習など、実践的ではないというのが持論だった。
だから、普段着に近くて、わざと動きにくい、大きくて、ゆるく余裕がある服装が、2人の練習着だった。

さらに世機は独自に、ブルースリーのジークンドーや、ロシアのマーシャルアーツのシステマを、独自に組み入れた格闘術を開発していた。
ジークンドーはブルースリーが実際に、世界チャンプになった、ブルースリー自信が編み出した格闘術である。
世界各地に布教団体があり、創始者の弟子達が、ブルースリーの教えを伝えている。
システマというのは、ロシア軍の正式採用のマーシャルアーツである。
共産圏のマーシャルアーツはかなり激しいが、このシステマは、練習初回に、ナイフで皮膚を傷つけたりして、どこまでやられても死なないかというのを、体感でおぼえるところから修行が始まる。
世機はこれをおぼえるために、5年を費やし、道場へ毎日通って習得したのだ。
もちろん仕事帰りに通っていたものだから、修行はかなり大変だった。

そうまでして格闘術に拘るのは、世機の才能ばかりでは無い。
本来彼は、こういったことが好きなのだ。
地道なトレーニングで力をつけてゆくのが好きなのである。
だから彼は、言葉付きも軽い感じを受けるが、実は非常に勉強家でもあるし、調査や推理は、足で証拠固めをする、金田一耕助や明智小五郎のようなタイプである。
決して、シャーロック・ホームズのような天才肌では無かった。
見た目よりも意外に泥臭いタイプなのだ。

沙都子も世機も、毎日トレーニングを欠かさなかった。
余程、体調が悪くて出来そうにない時はさすがに休んだが、それ以外は、毎日トレーニングを欠かす事は無かった。
朝四時に起きて6時までの2時間が、彼らのトレーニング時間だった。
毎日の日課として、習慣化してしまったので、やらないと、かえって落ち着かない。
だから毎日続ける事が出来た。

トレーニングが終わり、二人は交代で、シャワーを浴びた。
まだ事件の概要すらつかめていないので、本格的にどう動くべきか、協会側の助っ人との顔合わせが住んだとは言え、まだなにも決められない状態だった。
小林さんがどうやって殺されたのか。
呪術だろうとはわかっても、どういう手口でやったものなのか、それさえもわからなかったのだから、同じ呪法をかけられたら、どう対処するべきなのか、対策すら出来ていなかった。

沙都子は不安を拭うように、バスタオルで濡れた体を拭った。
世機は気合いを入れるべく、シャワーからの温水で、顔を擦った。
シャワーを終えてから食事をし、朝の情報チェック。
いつものルーティンが始まる。

それから、メールのチェックである。
パソコンをひらいて、表の仕事用のアドレスからチェックを開始し、最後に連盟がらみのアドレスをチェックする。
二人は、相手のよって個々にメールアドレスを使い分けていた。
ごく仲の良い山田などの個人メールは、個人用のアドレスを使っていたが、仕事用は、アドレスを使い分けていた。
こうする事の利点は意外に多い。
まず仕分けが簡単である事。
相手ごとに違うアドレスを使うから、そもそも仕分け作業もいらなかった。
目的のアドレスの受信箱をチェックすれば良いのだ。

さらに、相手によって分ける事で、要件を整理しやすくなる。
世機はそう思っていた。
普通なら、メールアドレスを増やすと、その分プロバイダーに追加料金を払わなければならなかったが、呪術師連盟は、インターネットプロバイダーまで運営しているものだから、メールアドレスは格安で何個でも作る事が出来た。
まったく都合の良い系列企業を従えた団体である。
世機も沙都子も恩恵を用いながら、呆れるほどの商売っ気に、舌を巻く事もあった。
なんせ近所のスーパーまで、連盟運営の関連企業であるのだから、本当に驚かされる。

「調査も進まないし、今日はリフレッシュしたいな」
沙都子が甘えた事を言ってきたので、世機はそれもそうかと、彼女の提案を考えて見た。
「どこへ行く?」
「わたし、欲しいものがあるのよ」
沙都子の言葉に、世機は背筋を震わせた。
まさか、スッゲー高価なバッグとか?
財布の中身を頭の中で確認してみたが、沙都子の要望はどうやら違っていた。
まあ、こちらの方が沙都子らしかったが。
「バトル用のナイフが欲しい」
「そんなの売ってるか?」
「研二さんのところで仕込んでもらおう」

五月研二、呪術師御用達の刀剣職人。
戦闘用のナイフだって作る刀鍛冶である。
呪術師には特別な許可も無いから、大型ナイフなんて持ち歩いていれば、警察官に見つかったら銃刀法違反になりかねない。
だが、案外かくして持っている者も居た。
だけど、ナイフとは・・・。
沙都子の戦闘スタイルとはずいぶん違う。

「ナイフなんて使うの?」
「ちょっと興味があるだけよ、見て見るだけでも良いの」
敵への警戒心はわかるが、彼女が武器を持ちたいというのは、めずらしいな。
「いつもの札じゃ、不安なのか?」
世機の問いに、沙都子は頷く。
だが、ナイフと言えば肉弾戦。
本当の意味での殺し合いになる。
それが嫌だから、二人は刃物や銃器を武器にする事はなかった。
その暗黙の禁忌を犯そうというのか。
ここは制止しておくべきかな。
世機は思案のしどころだった。

「どんなナイフが欲しいの?」
世機が訊ねると、沙都子は迷ったような素振りを見せた。
「そうね、術の施してあるやつ」
「どんなのが良いの?」
「護符みたいなのがいい」
「高くつくな」

世機は料金を計算して言った。
呪文つきの武器というのはかなり高価なものになる。
ナイフ1本で100万をくだらないものもあるのだ。
沙都子のスタイルだと、おそらく両刃(もろは)のダガーのようなものではなく、本当のバトルナイフ。
登山ナイフのデカいヤツが欲しいのだろう。
山刀みたいなものを考えているのかもしれない。
ブレードの刃の付いていない部分に、焼き付けや彫りで呪文を刻んだものが欲しいのだろう。
だが、呪文など、気分的なもので、効果など無いのは呪術師であれば誰でも知っている。
沙都子はなんでそんなものを望むのか。
アクセサリーのようなものなのか。
だが、彼女にはそんな趣味は無いはずである。

「そんなもの、何に使うんだよ」
世機は、沙都子の目的が理解できずにいた。
沙都子はニッと笑って、世機の見た。
笑顔が、まるで悪戯を思いついた少年のように見えた。
「一つだけ、効果のある呪文があるのよ」
その手のもので、効果のある呪文というと、目くらましくらいのものだが。
世機はその事を沙都子に言うと、更にいたずらっ子のような顔を見せて笑った。
「お楽しみよ」
意地悪い笑顔である。
本当に悪い顔をする。
こういった時には、本当に悪人面になるのが、沙都子である。
だから沙都子は嘘が下手なのだ。
表情に出てしまう。
故に、交渉ごとなどの仕事の時は、いつも世機が役割を担っていた。

「何を企んでいるんだよ」
「だから、お楽しみだって」
「いつからそんなケチになったんだ?」
「昔からだけど、何か?」
本当に教えてくれる気が無いようなので、世機は諦めて、話題を変えた。

「ナイフを見た後だけれども、オレも用があるんだが、付き合ってくれるかな?」
「なに?どんな用なの?」
「いつものところだよ。明日は大事な日だろう」
沙都子は世機に言われて思いだしたようである。
明日は先生の命日である。
あの事件があってから、もう15年経つ。
沙都子と世機のプロとして一人前になった思い出のデビュー戦でもある。
そして、2人の師匠である先生の命を奪った敵との戦いの記憶。

「そうだったわね」
沙都子も師匠との思い出に心を馳せたか、心此処にあらずと、遠い目をした。

二人の師匠である稜華(りょうか)の事を思い出していた。
当時、世機と沙都子と槇の3人は、稜華のことを師匠とは呼ばずに、先生と呼んでいた。
稜華が、大したことは教えていないから、師匠でなくても、ただの稜華でも良いよと言ったのだが、それじゃあ、先生で良いよね、と言いだして、呼称は先生になったのである。
最初に言い出したのは、槇だったか。

先生の死んだ直接の要因は、鬼のリーダー格である幽鬼神との一騎打ちであった。
事件の首謀格の幽鬼神と、運悪く出くわしてしまった先生は、3人の弟子を庇うために戦って、散っていった。

世機は一部始終を見ていた。
壮絶な戦いだった。
呪術師の集団に取り囲まれて、命からがら逃げ出してきた幽鬼神が、なんとか逃げ延びようと、死力を尽くして仕掛けてきたのである。
10人相手に戦っても、後れをとらない化け物鬼である。
世機たちも稜華の支援のために、必死に術を使ったが、善戦虚しく、師匠は倒されて、しまったのだ。

だが、師匠の稜華も、ただでは死ななかった。
幽鬼神を道連れにして、壮絶な相討ちだった。
幽鬼神の一撃を、腹に喰らい、内臓のはみ出した状態で、相手の動きを止めてから、渾身の一撃を決めて、霊力を送り込み、相手の命を絶ったのである。
まだ15だった世機は、戦闘が終わってからも、身がすくんで動く事が出来なかった。
結界の中の出来事だったが、強力な結界が効力を無くすほどの激しいバトルに、事態に気が付く一般人も多く、阿鼻驚嘆の場景であった。

世機を一番驚愕させたのは、相打ちを決めたはずの相手が残した、呪いめいた言葉であった。
「必ずオレは蘇って、お前の弟子も殺し尽くす」
幽鬼神の言葉は、いつまでも世機の心に暗い影を残した。
地の底から響いてくるような、怨嗟の情念の籠もった呪文となって、今でも世機の心を侵食しているのだ。
世機はこの時から、度々悪夢に襲われる様になった。
沙都子や槇は師匠の最後を見ていない。
師匠の指示で、2人を安全な場所に避難させてから、気になって自分だけで、稜華の元に戻ったのである。

稜華は、戻ってきた世機の姿を目にした時に、ほんの少し安心した表情を浮かべた。
そして、「なんで戻ってきたか」と、厳しく世機を叱った。
世機は泣き出したいのをこらえて、自分の母としての役割もこなしてくれた女性の最後の戦いを、必死でサポートした。
稜華は最後まで、世機を褒める事はしなかった。
年長者で、プロの自分の意見を無視して、危険な戦闘地帯に戻ってきた弟子を、厳しく叱りながら、最後の実地訓練を、世機に課した。

世機は師匠の最後の指示を的確にこなして、彼女をサポートした。
激戦の末に疲れ果て、立っているのも辛い状況でも、歯を食いしばって耐えた。
そして最後の瞬間。
幽鬼神の鋭く尖った右手が、師匠の左脇腹をえぐり、穴が空いて、腸がだらりと地面に垂れた。
その右手を、稜華は左手一本で、巻き込むようにして押さえ込み、次に自分の右手を幽鬼神の心臓の辺りに打ち込んで、一気にエネルギーを爆発させた。
幽鬼神は一瞬白目をむいて仰け反り、呪いの言葉を吐いて、絶命した。

世機は何が起こったのか、理解するのに時間がかかった。
そして、稜華の死に顔を見た時に、涙が溢れた。
親を2度亡くした、子供の心の少年が、泣きじゃくって、血肉だらけの師匠の体を抱きしめていた。
慟哭、そんな言葉が浮かんでくるような、激情に任せた感情の爆発だった。
世機の帰りが遅いので、心配になってやってきた沙都子や槇も、その様子を見て、悟った。

彼らにとっては、2度の親の死を目の当たりにしたのだ。
精神がおかしくならなかったのは、日ごろの訓練のたまものだった。
3人は抱き合って、血まみれ肉まみれになって泣いた。

結界がまだ完全に切れてしまう前に、連盟の処理班がやってきて、鬼と師匠の死体と、3人の子供を保護してくれた。
3人ともにもう師匠の元で修行をするのは辛いと言って、早めに呪術師の学校へ入れてもらう事が出来た。
稜華が3人に残してくれた金と、技術や精神力、それと、それなりに楽しい思いも出来た、様々な思い出とともに、沙都子、槇、世機は学校での訓練に入って行く事になった。
世機は苦い思い出をかみしめながら、沙都子と2人、2キロ先の武器屋まで歩く事にした。

この辺りはまだ田舎である。
田園風景や、自然の残る懐かしい光景が広がる。
だが流石に夜に星が眺められるほどに田舎ではなかった。
まだ夜とはほど遠い時間だ。
昼前である。

世機は沙都子を先に歩かせて、自分では、彼女の2メートルくらい後ろから、フラフラと歩いていた。
沙都子はまるで世機の所在を確かめるように、度々後ろを振り返りつつ歩いて行く。
年齢的には仲の良い夫婦に見えるだろう。
ただ2人は子供がいないし、結婚もまだ済ませていなかった。
何か切っ掛けが欲しいのだろうけれど、ズルズルと状態を維持していた。
早く結婚しろと言ってくれるのは、沙都子の妹の槇しかいない。
親代わりになる者ももうなく、そんな事もあって、結婚まで踏み切れないでいる。
世機だけではない。
沙都子だって切っ掛けが欲しいのだが、彼女は世機が言い出すのを待っているのだ。
乙女心と言うよりも、意地になっているのだろうと、妹の槇などは分析している。

そんな事を考えながら歩いていたら、30分もかからずに、目的の武器ショップに着いた。
作業服専門店を思わせる趣である建物の中には、散弾銃まで揃っていた。
ここは狩猟用品も扱う、本当に武器の専門店であった。
店の中を一通り物色して歩いていると、見覚えのある顔が、商品陳列していた。
この店の店長であり、呪術師学校を首席卒業の強者女子、西園寺時子だった。
彼女は沙都子よりも頭2つ小さくて、華奢な体つきは、男子生徒の羨望の的だった。
つまり、沙都子のコンプレックスを刺激するのに充分な人材だった。

西園寺時子は、2人を見つけると、「いらっしゃい」と言って、可愛らしく笑ってみせた。
彼女には嫌みな気持ちなど微塵もなかったが、沙都子はどうもそういった感じ方はしていない様子だった。


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