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大いに憧れよう!「死に触れた3.11 命にスイッチが切り替わった~その再現性を模索する~」から

府中の地域課題解決スクールみんぷらに参加したときに出会った山本将裕さん(アダナはもっつさん)。そのもっつさんの3.11での経験に耳を傾ける対話会が開催された。既に3週間以上前になる。

30分ほどのトークの後に質疑応答やブレイクアウトルームで少人数での対話、その後放課後タイム的に皆の感想のシェアなどを行った。

探求するテーマとしては以下。

再現可能性を模索することだった

以後、つらつら僕の感想などをシェアする。
が、ともあれもっつさんのお話を聞いてもらえたらと思う。
以下動画。(6:46くらいからがもっつさんのお話)

もっつさんの動画と画像

画像をクリックしたら動画に飛びます
3.11を体験したもっつさんのリアルな心情
そこから導き出されたこと
大好きだという、Aviciiの10のルール。強く共感するのだという。
特に共感するというAviciiの「The Nights」

「The Nights」の歌詞の和訳はこちら。

いつか親父が言ってた
息子よ、今を無駄にするな
親父の腕に寄せられて、オレはその言葉を聞いてた
大人になったとき
若い頃のように無茶したくなるだろうけど
恐くなったら、オレのことを思い出せ

「いつかお前もこの世を去るんだから
忘れられない人生を送るんだ」
オレがまだ子供の頃、親父は言った
一生色あせない日々があるんだと
親父はいった

感想

僕の立ち位置

今回のもっつさんの対話会においても僕は
「ホスピスボランティア体験したり、インドに14年も住んでいたりしていたにも関わらず、生き切るとはほど遠いあり方でした。」
というような視点に立っていた。これを仮に「にも関わらず」視点と呼ぶ。

そしてそのような「にも関わらず」視点に立つことで、
謙虚に学ばせてもらいたい。
それがその視点に立つことから出てくるあり方だった。

もっつさんのFBより

立ち位置の変化

これは死生観の研修を進める中で言葉にこそしないが、当初は
「僕、ホスピスでボランティアしたり、インドに長年住んでたんですよ。インドってほら死が身近でしょ?まー、そういうところ住んでましたから、死と向き合い、生と向き合ってるんですわ!」
という視点に立っていた。こちらは「やってきましたから」視点とでも呼ぼう。

この「やってきましたから」視点。
研修を重ねる中で、徐々に重くなってきた。
だって実態と合ってないから。

研修では相応のことを言うし、言わざるを得ないけど
実生活で本当に、生が有限なことや人生が1回限りってことを
思い定めているとは到底思えない過ごし方もしていた。

更に、もっつさんもそうだしほの香ちゃんのように
実際に死と向き合い生をありありと生きる人を見ていると自分が情け無くなった。

全くもって、向き合ってない自分だったから。
だから、「にも関わらず」視点だったのだと定めていった。
だから僕も学びたいんだと。

でも、やっぱりこの「にも関わらず」視点ってどこか自己卑下の香りがする。いつまで経ってもそこに居続ける場所ではないような。

対話会の様子

憧れる、という視点

実際にもっつさんの凄まじい体験をしながら、
そこから導かれるご自身の内側からあふれ出てくる思いに
突き進まれる姿勢に心を打たれた。

上記にあるようにマイルールのようなものを定めて
社会に生かされている。だから貢献しようと行動される姿に
大いに鼓舞された。

質感の話だが、「にも関わらず」視点とはどこか違う。
そう憧れだ。
命を使い切るあり方、生き切るような生、何かにとりつかれたかのように邁進する生き様。

どこかそんな生き方に憧れていたのだ。
この時はまだ言語化できていなかった。

インド映画RRR

インド映画史上最高の製作費7200万ドル(約97億円)をかけた超大作、みたいな触れ込み

もっつさんの対話会の翌日とあるご縁でインド映画RRRを見た。

RRRと踊りのシーン

イギリス植民地時代のインド。ゴーンド族のビームは、軍に連れ去られた少女を奪還すると誓う。そんな中、ある列車事故をきっかけに、ビームは警察官ラージュと友情を育んでいく、、、

3時間全く飽きないスーパーアクションムービーだ。

その中で踊りでいけ好かないイギリス人と対決するシーンがある。
まぁ、踊り勝つのだが、その後も調子に乗って大人げなく
踊り続けた結果。

足を怪我する。。。

インド好きにはたまらない。笑いながらこんな風に言うかも知れない。
「あるよね~、こういうところ。」
「インド人は大人げないから。」
「インド人は空気読まないよね~。」

空気読まないインド人?

インド在住時に日本人旅行者がそういうことを言っていると僕も
「まぁ、そういうところありますね。」
みたいに言ってた。

実際にそう思ってた。だってこんなこと日常的だ。

・ホテルのロビーでお客が静かに話しているのに、従業員が馬鹿でかい声でケータイで喋る。
・ちょっとしたゲームでも青筋立ててめちゃくちゃムキになる。
・高級ホテルでのランチしてて、一緒に来たヨガを学びに来た人が心の琴線に触れ涙を流す。その時にご飯ができる。そのまま「できましたー!」ってやってくる。なんなら「どうしたの?泣いてるよね?」みたいに聞いてきちゃう。

日本では「空気読めよ」と言われちゃうことの連発だ。

この「インド人空気読まないよね」と見る向きは確かにずっとあった。
しかしRRR見たときに「はっ!」となった

インド人が空気読まないんじゃ無くて、、、

「インド人は空気読まない」としたい自分。
つまりそこで言いたいのは「日本人は空気を読む」ってこと。

僕らは空気を読む心地良い人間達だろ~と言いたいわけだ。
それに引き換え・・・
頼まれてきたわけでもないのにねぇ。

ただ、僕の場合はそれに留まらない。
というかそういうことをいいたいわけじゃない。
むしろ、インドに来る学生さんなんか見てて空気読みすぎてて生きづらそうだなと思ってたくらいだった。

では、僕にとっての「インド人は空気読まない」と言いたい背景は何か。

「インド人は空気読まなくてもいいよね。でも日本人の僕は空気読んじゃってもしょうがない。本当は人の目なんか気にせず、もっと自分らしく生きたい。でもしょうがないよ。だって僕は日本人であって、インド人じゃないのだかだ。」

ダサイ!
書いてみてより思う。
激烈にダサイ!!

言い訳がダサイ。
国のせいにしてるのがダサイ。

でも一番ダサイのは
本当は憧れているにも関わらず、「空気読まない」とどこか小馬鹿にすることでバランスを取ろうとしている根性がもう本当にダサすぎる。

憧れだ!

そうだ!
僕はインド人に憧れていたんだ!
それに憧れて良い。

20年もインドと渡り合っても外側のインドにしか触れられなかった。
その憧れる気持ちを抑圧してたんだ。
内なるインド人とようやく繋がれた。

それに憧れるってことは内側にそのリソース(資源みたいなもの)が
あるってことだ。

積極的に人に迷惑かけはもちろんしないが、
人の目ばかり気にしてやりたいことを我慢したり、
言いたいことを口をつぐんでなどいられない。

抑圧する時期も
卑下する時期も
あってもいいのかもしれない。
でも、その上で思いっきり憧れるのもいいもんだ!

めちゃくちゃ自由を感じた。今もこれ書きながら感じている。
インド人に憧れていたんだ、僕は。

ほんと全ての感情は美しいよな。

もっつさんと千晶さん

もっつさん

改めてもっつさん。

別にその臨死体験という体験に憧れているわけじゃない。
様々な功績を挙げられているそのこともその一部。

そうじゃなくて、今イキイキと自分の人生を生きてるなー!
お話の中にもあったけど、時にというか大体上司の顔色なんか
考えずにこれが大事だと思えばだだそうだ!っていうその有り様に。
憧れるんだ。

もう恋と呼んでも良い。
どんどん恋をしちゃおうと思う。

千晶さん

もっつさんの対話会でのブレイクアウトルーム。
アフリカのケニアから早川千晶さんが参加され同じお部屋に。

左上からもっつさん、僕、左下ほの香ちゃん、右下千晶さん

もっつさんの3.11の壮絶なお話の後で
「ケニアではそういうのが日常」
という言葉に戦慄が走る。

そのような状況で多くの方と共に進み続ける千晶さん。
千晶さんのSNSをフォローさせて頂いているが政治状況なども不安定で
ドキッとすることも多々。

同時にもっつさんにもほの香ちゃんにも
「是非お二人の言葉を多くの人に届けて欲しいと思う。
話すときは丁寧に命に寄り添うような言葉を選ぶと良いと思う。」
ということだった。

僕は勝手に千晶さんをパワフルな戦士のような方を想像していた。
もちろんそういう部分もあるのかも知れない。
でも、とても繊細で慈愛に満ちあふれている。
そんな印象を抱かせてもらう。

千晶さんの講演会

そんな千晶さんの講演会が5月14日(日)に開催される。

テーマは
「死に向き合う 生を見つめる ~ケニアのキベラスラムから~」
これは本当にたまたま。

詳細はこちらのイベントページをご覧ください。
申し込みフォームはこちら。

以下、千晶さんのメッセージを引用する。

生きることとは何か、人はなぜ生まれなぜ生きていくのか、何を目指して生きていくのか、そして私はどんな人生を生きたいのか。どんなふうに死を迎えたいのか。それが子どもの頃からずっと私の中にあった究極の問いであり、世界中を放浪した末にケニアで定住し、キベラスラムでリリアンと共に孤児や貧困者の救済の手助けをするようになりました。

私が喉から手が出るほど知りたかった命の真実を、最も明確に示し教えてくれたのは、どん底のような貧困の中で生きるキベラスラムの仲間たちでした。真っ暗闇の中に光り輝く命の力がここにはあふれていた。どんなにボロ雑巾のようになっても命ある最後の最後まで生きることをあきらめない人々が、ここにいました。

もしもアフリカに出会っていなかったら、私は今でも地球の果てまでさまよっていたのかもしれないと思うことが時々あります。でも私は、自分も生命と精神のギリギリ状態の経験をした末に、確信を得ました。だからもうさまよわなくていいし、困難な状況にある人々がより良く生きるチャンスを生み出すために、私に出来ることを具体的に精一杯、取り組んでいます。

もうね、恋してる。
パネルディスカッションはめっちゃ緊張する。

でも大いに憧れて恋していこう!

まだお席ちょっとあるので興味ある方は是非ー!

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