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2022年11月インド行きの裏のテーマ

表があれば、裏があるってことで。まぁ、最近は裏と表がわからなくなってきたり、そもそも裏のことばかり投稿してたけど。今回のインド行きで一つの裏テーマは「インドに行くと人生観が変わる」を人体実験してみようと言うことに。

テーマは「インドに行くと人生観が変わるのか?」


ただ、一口に人生観と行っても余りに広い。どう人生を観るのかってことだから。身体も心もスピリチュアルも仕事も家庭も趣味も友人持ってぜーんぶ含まれる。なのでとりあえずテーマを上げてみようって9月にインドメンバーでシェアしてみた。

せっかくなので僕のテーマをここでいくつかと書いてみる。

テーマは統合

最近自分の中で色んな自分が改めてあるなーと。そしてどの自分もあるのだから、もちろんあっていい。今まで隠したり、無視したり、抑圧していた自分も少しずつ自然に開けるようになってきたなと思う。出会って色んな影響を与えてくれた皆様のおかげ。そこはまたまとめるとして。どんな統合があるのか。

①インドがホーム/日本がホーム

2006年からインドに移住したのだが、やはりインドにいたときはインドをホームにしていた。「日本でも仕事をする」とかって口にしていたけど、どっかで恐かった。結局、何となくうまくいくインドだけで生きていた。

そしてコロナ以降。日本を拠点にした。その時は「インドを手放そう」とまで思っていた。インドがらみで痛みを抱えたところがあり、それを早く抑えたかった。でも、インドだからこそ受けられた恩恵ももちろんあった。

これからは改めて、どっちもホーム。どっちも拠点。そんな生き方になっていくように思う。それは、外側で何をするということではなくて、内側でインドの影響で僕になったところも、日本からの影響で僕になったところもあることを自覚したことだと思う。

同様に、僕もインド、特にプリーに与えた影響もあるし、日本特に府中に与えた影響もある。どっちかしかないというのが不自然だった。今回のインドは改めて、両方の地で生きてきたし生きていることを自覚する儀式になるように思う。実際にどういう行動に出るのかはきっとその後に続くこと。

②女性性/男性性


僕のインド滞在には二つの期間があった。2006年~2013年はイベンターで盛り上げまくっているゴリマッチョだった。男性性まっさかり!

その後2014年くらいからヨガの世界に入っていき段々痩せていき(-20キロ)、盛り上げるとかっていう言葉がネガティブに響いてきた。その頃は男性性をどこかしら否定していた。以前の自分とは違う!と表現したかった。きっと誰よりも自分に対して。

今こうして会社を立ち上げて活動を進めて行く上で、どっちもやっぱり不自然だなって思うようになってきた。だって、ただあるものだから。自分の中に女性性も男性性もあるもの。そのバランスっていうことを言って、目覚めさせよう!とみたいな語り口があるように思う。ただ、その出発点はただただ自分の中にどっちもあることを知ること。感じることなんだと思う。

今までのインドは女性性か男性性かのどっちかを表現してこなかった。でも、今回は初めて両方在るよねっていう自分でインドに、そしてこの世界にいるっていうこれまた儀式になるように思う。

③好かれる/嫌われる


①も②も根本にはこれがある。僕はどこかしら「人に受け入れられるか否か」で生きてきた。所謂、恐れを起点に生きてきたっていうやつだ。

「インドみたいなちょっと変わったところで起業してアクティブな俺どう?面白いでしょ?」そんな風にって思って欲しかったろう。日本でも仕事してみたい。でも、失敗したら受け入れてもらえないんじゃないかと。自分の奥底からの願いは簡単に無視されてしまった。

男性性や女性性もそう。どっちの方が受け入れてもらえるのか。男性性ごり押しで生きていた頃は無自覚だったがこう思ってた。「マッチョでイベント盛り上げる俺どう?」って。ほんと全然主体的じゃねぇ!

今度はその反動。ヨガしてたら何となくフェミニンな方が受け入れられるんじゃないかって無自覚に思ってたろう。心地よさを重視したら痩せたのもあったけど、ちょっと必要以上に痩せていったのは「ヨガでどんどん痩せる俺どう?」ってのもあった。

考えてみればどういう自分であっても受け入れてくれる人もいれば、そうでない人もいるだけ。冷静に見てみれば、単純なこと。それをどこまでも複雑にしてしまっていた。多くの人に受け入れられれば調子に乗りつつ実はバレやしないかとヒヤヒヤ。受け入れてもらえなければ、人生の終わりのごとくどこまでも落ちていってた。

今はこんな風に思う。僕のことを受け入れてくれる人も受け入れてくれない人も、好かれる自分も嫌われる自分も、そんなことは一切関係なく、もっとでっかい何かには許されて、祝福されて、愛されてる。

だから、お日さまは変わらず照らしてくれるし、呼吸はできるし、水は飲め、ご飯も食べられる。許されない、祝福されない、愛されない人がいるなら、それらが全部なくなるはず。どんな人にだって平等に恩恵がある。それは状況には関係ない。

インドとの関係で痛みが出てきた部分もあった。でも同時に「あぁ、ヨガの哲学の本質的な意味ってこれだったのか」と気付きのヒントをくれたのもまたインドだった。

何というか、こういう好かれるとか嫌われるみたいなことも生きていればただあるもの。そういうことも全部丸ごと、自分の人生だよねって引き受けてそれらも愉快に受け入れちゃう。そんな儀式としても今回のインドはあるように思う。

そう、インド/日本、女性性/男性性、好かれる/嫌われる。統合というと何か大げさに感じる言葉かもしれないけど、きっとシンプル。どれもただ在るってこと。それを自分がただ受け入れていることじゃないかと。

今回のインドの裏テーマはあるものはある。ということかもしれない。

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