実に27年振り!インドへ誘ってくれた恩師との再会

高校時代、3年間担任の先生としてお世話になった田中先生。
27年振りの再会を果たしてきました。

先日、インドカレーとチャイセット持参してきました。

いやぁ、何とも楽しい時間を過ごさせてもらいました。

田中先生からの影響だと思っていたこと

インドへ誘ってくれた先生。
というのが僕の中の大きなイメージ。

ことあるごとに視聴覚教室でインドのスライドを見せてくれました。
多感な高校時代です。
部屋を真っ暗闇にして、バックミュージックは喜多郎のシルクロード。
インドの写真の数々を見せてくれながら、語ってくれます。

「世界にはこんな場所のあるんです。
人生観が変わってしまうような国があるんです。」

お時間ある方は是非上記の音楽をかけながら想像して頂きたい。

わかって頂けるのでは無いでしょうか。
それはもう
洗脳です笑。

少なくとも大学入ったら一度は行ってみよう、と思うくらいには。
僕もまんまと洗脳されました。

実際に20歳の時のインドが楽しすぎたこと。
その後に、大きな影響がありました。

これらの影響があったことは先生と再会するまでも思っていたことです。

再会するまで

まず、探すのに苦労しました。

コロナ渦で帰国してから改めて、
先生の影響の大きさを思い立って連絡を試みました。
ところがこれが難しいのです。
「個人情報」の壁が立ちはだかります。

卒業アルバムに先生の住所・電話番号が載っていました。
でもそれはもう繋がらなくなっていました。

その後も

  • 卒業高を尋ねる→個人情報で・・・

  • その後赴任された高校に連絡→個人情報で・・・

  • アルバムの同級生の実家に連絡→つながらないorつないでくれない

  • いくつかSNSで聞いてみる→手がかりをみつけられず

1年間くらい手がかりを見つけられませんでした。

先生と電話での再会

再会後の夕日

ふと、先生と仲の良かった同級生を思い出しました。
その同級生もアルバムの住所と電話番号のみ。

祈る気持ちで電話をかけたらまずつながりました。
たまたまその時同級生が家にいました。
しかもそのままつないでくれました。

話してみたら、7年くらい前まで連絡を取っていたといいます。
その時の電話番号とメアドを教えてもらいました。

メールアドレスに連絡してみたら、すぐにお電話を頂きました。
近況を報告し合い、とんとん拍子で御自宅を訪ねる約束を。 

奥様手作りの絶品チーズケーキとインドチャイ

ちなみに先生、思ったいたよりずっとおしゃべりw
自分で
「電話魔」
というのは驚きました。

進路選択への先生の影響 ㅤ

「人からどんな影響を受け取っているのか」
実はそんなに、ってか全然わかっていないのかもしれません。

実際にお会いして
先生から聞いたこんな話から思ったことです。

高校2年。
僕の成績はクラスでドベ。
その状況では進学はまぁ無理。

進路面談 

先生とのマンツーマンの面談にて

先生に
「どうするんだ、坂本?」
と聞かれ、僕は聞き返しました。
「先生はどの大学に行ったのですか?」
先生が、同志社大学行ったと聞いて
僕は言った(らしい)のです
「では、そこに入ってみせます。」
と。

らしいというのは、これら全く覚えていなかったからです。  ㅤ

当時偏差値は30ちょっと。 ㅤ

その後、高3で改めて進路を考えることに。
結果、無謀にも同志社を目指し浪人するわけで。

でも同志社大学を志望校にして結果そこに入るという選択。
自分で考えた結果だと思い込んでいました。
先生と再会するまでは。

実は影響を受けたこと

インドでの柔道のエキシビジョンマッチが新聞に

インドもそうだし、柔道をかじることになるのも
実は、この先生の影響もあったんです。

怖え先生だな、と顕在意識で思ってました。
でも、実は畏怖みたいな感情を持っていたんです。
実際ヤンキー連中からも怖れられてましたしね。

周りの空気を読まずに授業以外のやってました。
今でもサウナとかで腕立てをガシガシやっちゃうとか、
我が道をいく姿は顕在。

ただインドのスライドを見せてくれた、ということでは全くなく。
この先生だからっていうことが大きかったんです。

こんな影響を受けていた 

枠に囚われずに自分を貫く。
人目を気にせず大切だと思うことを表現する。
忖度せずに一人で進む。

こんなあり方がそこにはありました。

でっかい背中です。

影響はインドそのものではなく

そう考えてみたときに僕が先生から受けた影響は
ただインドに誘ってくれたということでは説明不十分です。

少なくともそれだけではなくて、
多少の危険や人の目を怖れずに冒険の旅に出る姿勢
というのをを教えてもらっていたのです。

呼応関係

先生との呼応関係、ある種の共犯関係も
実はあったのかなとも思っています。

先生から
「坂本は不敵なヤツだった。」
(不敵:敵を敵とも思わない態度。物事におじ恐れないこと。)

そんな風に見えていたというのです。
僕がそうありたい姿をどこかで見て下さっていた、そういうことかと。

この再会、僕にとっては大きな伏線回収の始まりになっていっている
のかも知れないなーと。

辞書・本・先生の手記などたくさんのお土産を頂いちゃいました

次なる目標

上記の文章は実際に先生が卒業アルバムに載せていたもの。

なんとか実現させたいですね。
次なる目標とします。

卒業アルバムの個人写真。不敵といえるのでしょうか。は、恥ずかしい!!

 
 
 

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