合わせない話し合いがしたい
私は、話し合いが苦手だ。合わせられないからだ。話し合いというのは、会議とか、議論ともいうけれど、実際の話し合いは、議論って感じが全くしない。わからない、私が知らないだけかもしれない。少なくとも、知っている限りは、そんな感じだ。まず、意見を出して、出た案の中から決めるわけだけれども、一つ有力な意見があると、みんなそれに票を入れ、結局それに決まってしまう。これはみんなも、議論って感じがしないだろう。議論だと堅苦しいか。会議にしよう。でも、会議って感じもしない。別に私が会議が好きって訳ではない。ただ、話し合ってる感じがしないだけ。誰かが一方的に話して、みんなそれについていく感じ。それで個性がどうとか、他人の意見に触れようとか、よく言うよな。みんな同じことしか言わないのに。(やべえ話それてきちゃった)
というわけで、今日は私が嫌じゃない話し合いについて話そうと思う。まずは、みんなの興味や関心があるかってこと。なぜなら、興味のない話し合いには、参加したくないだろうから。じゃあ興味がない人はどうすればいいって言ったら、それは当然参加しなければいい。興味がない人が参加したところで、その人にとってはつまんないだろうし、話し合いの効率も悪い。それから、決めることに精一杯になっていないか。話し合いは、勿論決めることも大事だけど、私はみんなが納得いくように話し合いをすることの方が大事だと思う。決めるだけなら、多数決でもジャンケンでも、あみだくじでもできるもの。でも、みんなが納得いくには、誰か一人でも納得いかない人がいたら、その人が納得できる案を考える必要がある。それって、とっても難しいことだと思う。人は百人いれば百通りの考え方ができると言われるほどいろんな考えを持った人がいるから。だからこそ、それができる話し合いって凄くレベルが高いと思う。そういう話し合いができないのは、反対意見とかがあっても、言いづらいのが原因だろう。同調圧力とか言うけど、日本人の嫌いなところだ。(自分も日本人)私の場合だと、「言ったら嫌な反応されるかな」とか考えてしまう。でも、反対意見を言えるってことは、一般的な考え方に囚われないっていう長所でもある気がする。大げさな言い方をすれば、天動説と地動説の話と同じものだ。票数の多い意見が正しいとは限らないし、票数が多いというのは、大した理由にはならない。そして、話し合いのときは、常に出た意見を疑っていかないと、適当なものに決まってしまうことだってある。「本当にそれ大事かな」とか、「それは面白くないんじゃないの?」とかって思える姿勢が大事だ。適当に周りに合わせて、それで決まったからいいやーってしてると、後で「あー…あっちにしていれば…」と、悩むことになるかもしれない。でもそれは後からは変えられないし、「誰かのせいで」って言っても自分のせいだから自業自得ってわけだ。そんな話し合いはみんなもしたくないたろう。だったら最初から納得いかないなら意見を言って、自分の納得いくように話し合えばいい。
ってことを私がここで言ったところで、何も変わらないし、「はあ?」って思う人もいるかもしれない。でも、これを読んで「ほんとだよ!!」って思った人は私の味方です。味方についてくれてありがとう。そして、「はあ?」って思った人も、今日のこの記事を頭の片隅、そうだな…右脳の端っこのほんの0.1ミリでもいいから、どっかにしまっといてくれたら、もしかしたら有名になって、教科書に載るかもしれない。