令和6年能登半島地震・支援活動について
2024年(令和6年)1月1日に発生した、石川県能登地方を震源とする大規模な地震により、お亡くなりになられた方々に謹んでお悔やみを申し上げますとともに、被災されました皆様には心からお見舞い申し上げます。
また、被災地での救助活動・復旧作業に従事されている方に深く敬意を表します。
冒頭の写真は、10年程前に訪れた能登半島の西部にある「千里浜なぎさドライブウェイ」の風景です。車で走ることができる世界的にも珍しい砂浜なのですが、当記事の公開日現在も通行規制が設けられているようです。早くこのような素敵な景色が蘇ることを願ってやみません。
被災地における、葬祭分野の被害状況について
今回の被災地である能登地域では、火葬場にも大きな被害が及んでいる模様であり、1月12日時点の報道では、奥能登地方では能登町にある能登三郷斎場の1基のみ使用可能で、その他地域の復旧の目処はたっていない、とのことでした。
このままでは火葬の問題が深刻化してしまうため、石川県では地震の被害が少なかった金沢市などに協力を要請し、1月5日より受け入れを開始しました。また、1月10日からは関係団体を通じて、故人様の搬送用車両の確保も開始されました。
燦ホールディングスグループ各社(公益社、タルイ)も当該要請を受け、このたび「現地での故人様のご搬送」や、日用品・飲料・納棺用具等の「支援物資の運搬・提供」といった活動を実施いたしました。
支援活動レポート①(株式会社タルイ・西元 治)
災害対策緊急搬送の一環として、現地での支援活動に従事した2名に話を聞きました。
【今回の出動の経緯について】
祖父江:
この度の災害支援活動、大変お疲れさまでした。
被災地へ支援に赴くこととなった経緯についてお聞かせください。
西元:
1月1日の地震発生直後、報道の様子を見て「これは当社にも支援要請が来る可能性があるぞ」と感じました。その後まもなく、関係団体から、正式ではないのですが支援予告のような知らせがあり、この時点で私の心の準備はできていました。
私は、阪神淡路大震災での支援経験もあり「当社内から被災地へ赴くのであれば、自分しかいないだろう」ということで、自主的に名乗り出て参加することとなりました。
【活動の期間および概要について】
祖父江:
実際の活動スケジュールは、どのようなものだったのでしょうか?
西元:
活動期間は1月12~18日までの7日間で、初日は今回の支援活動の拠点となる金沢市内の葬儀社に集合して開所式があり、実際の搬送支援活動は13~18日に行いました。
今回の支援活動では、全国各地の葬祭業者の搬送スタッフが30名ほど集結し、北は函館から、西は広島からと、遠方から支援に来られる方もいらっしゃいました。
祖父江:
1月13~18日のあいだは、どのような活動を行われたのでしょうか?
西元:
期間中は毎朝8時に拠点へ集まり、そこから被災地である輪島市や珠洲市の安置所へ搬送用車両で赴き、現地で然るべき書類手続きを行った後、お亡くなりになられた方を金沢市内の安置所へお連れするという活動を行いました。
祖父江:
自動車による移動が主体の活動となりますが、地域の交通インフラの状況はいかがでしたか?
西元:
能登半島の北へ向かうほど被害が多く、たくさんの場所で道路が寸断されてしまっていました。また、峠道は雪のために運転に慎重にならざるを得ないため、平常時とは比較にならないほど移動に時間がかかる状況でした。
通行止めの情報は、ナビゲーションの画面を通じてある程度取得ができたので、その点においては心配はなかったです。
【石川県内の方々のくらしについて】
祖父江:
その他ライフライン(電気・ガス・水道・住居など)の状況はいかがでしたか?
西元:
金沢市内は被害も少なく、ほぼ普段通りの生活を行っている様子でした。私が宿泊していたホテルは、インフラの復旧に従事されている方が多くいらっしゃいました。
一方、深刻だったのがやはり輪島市内であり、電気が通っている場所もところどころでした。ほぼ全域で断水しておりトイレも満足に利用できない状況で、現地の医療関係の方も「衛生面が一番の課題である」と仰っていました。
【今回の活動を振り返って】
祖父江:
今回の被災地支援はいかがでしたか?
西元:
今回要請のあった団体では、阪神淡路大震災での教訓を受け、このような大規模災害が発生した場合には全国の会員企業と連携し、救援に駆けつけることのできる体制づくりと、直ちに活動を開始できるよう定期的に(年2回)訓練を行っています。
今回の被災地支援も、地震発生直後より即座に関係各所に連絡を取り合っていたことから、スムーズに活動が開始できたのではないかと思っております。
祖父江:
この記事を見て「被災地に赴いてボランティア活動を行いたい」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。最後に、注意点やアドバイスを頂ければと思っております。
西元:
被災地は、昔ながらの木造の建物が多く倒壊しています。前述のとおり、道路もいたるところで寸断され、積雪のある場所もあるため、移動することが想像以上に大変です。下手をすれば二次災害を招きかねません。
現地でのボランティア活動を検討されている方は、独自の行動を取らずに、災害ボランティアセンターのような組織を通じて勤しんでいただければと思います。
祖父江:
本日は貴重なお話を伺うことができました。
お忙しい中インタビューにご協力いただき、誠にありがとうございました。
支援活動レポート②(株式会社公益社・西村宣茂)
もう一名、現地での支援活動に従事した、株式会社公益社の西村にも話を聞きました。
【今回の出動の経緯について】
祖父江:
この度の災害支援活動、大変お疲れさまでした。
早速なのですが、西村様が被災地へ支援に赴くことになった経緯についてお聞かせください。
西村:
私は、近畿霊柩自動車協会での事務担当として組織運営に携わっていたことや、東日本大震災発生の際に同じような任務の経験を行っていたこともあり、協会側より直々の指名で、現地に派遣されることになりました。
祖父江:
実際の活動スケジュールは、どのようなものだったのでしょうか?
西村:
私の場合は、1月9日に金沢市内へ入り、任務終了日の16日まで計7日間、金沢市内と輪島市内を毎日1往復する形での活動でした。
祖父江:
実際の活動は円滑に進めることができたのでしょうか?
西村:
現場では混乱が起きないよう、石川県の霊柩自動車協会や、地元の葬儀社さんを中心に指揮系統が整えられており、支援に入るスタッフ側も、混乱することなく活動を行うことができました。
また、東日本大震災発生時にはなかった「LINEのグループ機能」を利用し、各々が随時情報共有をするなど、時代にあわせた情報インフラの活用も功を奏したのかと思います。
祖父江:
余震や道路の寸断、悪天候など、期間中に危険な目に遭うことはなかったでしょうか?
西村:
交通規制により足止めされてしまうようなことはありましたが、大きなアクシデントに遭うこともなく、任務を終えることができました。
石川県の小松市に知人がおり、「道路が傷んでいるので、パンクのリスクが高まる」との忠告を受け、予備のスタッドレスタイヤとホイールを4本積んでいくといった対策も行いました。
また、積雪のある地方での常識ではありますが「ガソリンは半分を切ったら給油する」「足止めになったときのために、食料は車の中に用意しておく」を励行し、被災地周辺では、地元民のために食料品や必需品の購入、給油は控えるなど、支援に赴く側として最低限の気遣いは行ったつもりです。
祖父江:
やはり過去の経験を活かした準備や対策が重要だということが、よくわかりました。
本日はお忙しい中、インタビューにご協力いただき、誠にありがとうございました。
おわりに
このたびの地震により、ご自宅を離れ、避難所などでの生活を余儀なくされた皆様におかれましては、非常な事態が一刻も早く終息し、平穏な日々に戻られることを心よりお祈りいたします。