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ユチョンとピアノ

凄く個人的なことなのですが「BEGIN」の歌いだしは当時のユチョンじゃないと駄目だと思っています。このかすれて乱暴でいてエロティックな冒頭は誰も真似できないと思っています。(多分 今のユチョンでも)

旧東方神起時代のユチョンの魅力は魅惑という言葉が一番しっくりくるのではないでしょうか なんであの荒々しいスタイル(歌声やラップ、ダンス)からピアノを弾くという姿を想像出来るでしょうか? そのギャップたるや 大衆を惹きつけるのはそのギャップが一役買っていたと思っています。ピアノを弾くという行為そのものがユチョンにとって魅惑を引き立てるものであったと捉えています。

ユチョンのピアノは独学だと聞きましたが 彼が好きな音楽はR&BやHIPHOPだと思っていたので彼がピアノを独学で学ぶ程好きだということをうまく理解できないでいました。先ほど言ったように、道具としてピアノを弾いていたと当時は思っていました。

それが覆ったのは「あなたの財布にどれだけ愛がありますか」のアルバムの冒頭1曲目 倉本裕基さんというピアニストを招いたクラシカルな曲    当時まだアイドル枠であったユチョンのソロの1曲目がピアノだけの曲? これは誰もがビックリしたのではないでしょうか 倉本さんは辛島美登里のサイレント・イブの編曲を成された方だとか その方とユチョンがどの様な接点があったかは不明ですが バリバリのクラシックで全くキャッチーとは程遠いこの曲をアルバムの冒頭に入れたユチョンの真意とは?

「Da Capo」での冒頭の曲もピアノでした。              でもこれ等の曲の趣きは全く異なります。倉本さんの曲は力強いバロック風の弾き方に対して「Sun goes down」の方は限りなく優しいルービンシュタインのような流麗な弾き方です。ピアニストが違うといったらそれまでですが これはユチョンの見せ方が異なるんだと僕は思いました。        倉本さんの曲は音を響かせる 音を視覚的にというより聴覚的にピアノの響きを聴かせるという方に力点が置かれていて、このアルバムはK-popというカテゴラズされた大衆音楽ではないですよというユチョンの反骨的な意気込みみたいなものを感じる曲ではないかと思います。           一方「sun goes down」は視覚的な情景の見せ方 前にも書きましたがユチョンの家の窓から見える景色みたいなそんな趣きのある曲 次の「会いに・・」を意識した曲ともいえます。日は暮れるけれども悲しくはない 僕には会いにいきたい人がいるんだといった風な 決意の前振りの位置付けの曲のような気がします。

僕はユチョンがピアノを入れる真意は「決意」だと思いました。 勿論ピアノの響きが好きというのは伝わってくるんですが そこだけではなく「僕はこういうことをしたいんだ」ということを強い音(表現)ではなく ピアノという強さと反する媒体を通して、私達に伝えようとするある意味パンクなアテイチュードが見えるのではないでしょうか。               

ユチョンの本当の芯の強さみたいなのをピアノという具現化されたものを通して感じることが出来たと思います

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