盆前の虫の知らせと祖父の言葉と猫のこと。
よくないことが起こる前兆を「虫の知らせ」と言う。
お盆に入る数日前、夜中に猫のタピオが宙を仰ぎ、私はなぜか涙がとまらなくなった。何かよくないことが起きそうな胸騒ぎは、ある人との別れを予感させた。
翌日、祖父が永眠した。94歳、大往生だ。
東京に住む私は、地方へ帰ることは憚られ、通夜・葬儀ともに出れなかった。
弔いの意味を込めて、このnoteを書いている。
祖父のことを考えると哀しい。哀しいけれど、もう一人の自分が「哀しいことなの?」と問いかける。それは、祖父が幸せな人生を送り、苦しまずに生涯の幕を閉じたと心で感じるからである。
祖父はいつ会っても、ニコニコした笑顔で名前を呼びかけてくれた。
2年前までは、母が産まれた雪の日のことをしっかり思い出して話すなど、記憶力が良くて、バイタリティーがあり、お話好きの祖父だった。
思い出すのは米寿のお祝いのとき。
祖父はテーブルを囲んだ娘、息子、孫の席まで一人ひとりお酒を持ってまわり、感謝の言葉を伝えていた。
ちょうど私は3回目の転職をした頃で、おしゃべりな母がその話をしていたらしく、祖父も知っていた。
「珊瑚ちゃんはまた転職をしたんだってね」と祖父は話し始めた。
地方では公務員以外の仕事はなかなか想像してもらえない。安定した職に就くだけではなく、長く続けることが一番なので、転職ともなると「???」だろう。
私は、次に続くであろう何かネガティブな言葉を想像して、キュッと身構えた。
祖父は言った。
「珊瑚ちゃんは、なんでもできるんだね」
驚いた。ただ、驚いた。
そして、
「自分の人生は自分で決めていかなきゃいけないんだ」
と祖父は続けたのだった。
私には「人にどう思われるか」を気にしすぎてしまうところがあった。
期待に応えなきゃという気持ちもあった。
自分の夢を周りに宣言しすぎて、転職を機に夢を諦めたことに後ろめたさもあった。
でも、
途中で夢を諦めてしまったとして、
途中で目的地を変えてしまったとして、
それがどこかの夢番長にバレてしまったとしても、
鬼の首を取ったかのように騒がれることなのだろうか。
いや、誰にもそんな権利はない。
大事なのは、自分が自分の人生に責任を持っているか。自分に嘘をついていないか。
そう考えるきっかけになった祖父の言葉を今も胸に刻んでいる。
その米寿のお祝いの最後は、
祖父が感謝の意を述べ、「お互いに健康には気をつけて長生きしましょう」という言葉で締めくくられた。
「お互いに」
祖父の中には上も下も男も女もなく、分け隔てなく人に接する人だった。
数々の思い出に感謝しながら、私もそう生きていきたい。
***
ここからは少しスピリチュアルな話をしたい。
私には霊感の強い友人がいる。
彼女の能力は母方の祖母から引き継いだというが、おばあさんが亡くなる数日前から、深夜に、
「紫の着物がない…」
と家中のタンスを開ける音が聞こえてきたそうだ。
さらに、親戚の車のバックミラーにおばあさんが映っているなど、紫の着物を探す執念は皆を疲弊させるほどだったという。
最期見送るときは「もう帰ってくるなよ~」と言い放った親戚の人もいたとか。
彼女に、祖父が亡くなる前夜の不思議な話をしたら、
「おじいちゃんはみんなのところにお別れに行ってたと思うよ。あんたのところにも。
『なんだこの猫は!』って言ってるもん。
『なんだこのふてぶてしい猫は!太ってる!』って(笑)」。
哀しいのに笑ってしまった。
そういえば、おじいちゃんは私が猫を飼ったことを知らないもんな。
去年、祖父不在のなか親戚一同が集まったとき、
叔父が「お前の飼ってる猫は三毛か?」と私に聞いて、
叔母が「なに言ってんの!タピオだよ!」と答えてくれた。
病めるときも健やかなるときも、ズッコケた笑いに包まれるのが母の家系。
その中心にはいつも笑顔の祖父がいた。
これからもそれは変わらないだろう。
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