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労働形態の変化がもたらした教育と子育ての課題

「子育て」で悩んでおられる方はたくさんいます。ある程度、共通するお悩みとして、「この子、将来大丈夫でしょうか?」というものがあるように思います。

それで思うのは、一見、子育てとは無関係に思えるかもしれないけれど、労働形態などの社会的歴史を把握しておくことが、保護者が抱く不安を軽減し、将来を予見しながら子どもの「いま」を支えるのにつながるのではないかと思っています。

例えば、子どもと教育とのリンクが難しくなってきたのには、教員に問題があるとか、子どもの能力が低下したとか、そういう目線でなく、時代の変遷の結果として見る必要もあるように思います。

このことを、精神科医の滝川さんは次のように書きます。

70年代を過ぎ、80年代に入ると子育てと教育のリンクがむずかしくなる。第三次産業(消費産業)が中心となるにつれて、学校で学ぶアカデミックスキルや集団規律が労働に直結しにくくなったからである。・・・・・・これらを背景に子どもたちの学業意欲は下がり、総じて子どもたちの学校生活へのストレス感が増大している。

滝川一廣 2017年『子どものための精神医学』

滝川さんも書かれているように、とはいえ、子どもたちが社会的な経験を重ねられる場は、現代社会においては学校のほかにほとんどありません。ですから、矛盾と困難を抱えつつ、子育てと学校教育とはリンクを続けています。

これから先、労働形態はどのように変化していくのでしょうか。様々な領域でAI化が進む中で、どのような職種が残っていくのでしょうか。このような目線で、子育てと教育とを考えることも求められるのかもしれません。

滝川さんも書かれているように、統計上は、乳児死亡率・子どもの殺人事件が劇的に減少しており、現代ほど子どもが護られている時代はない中で、それでも「生き辛さ」を抱える子どもがいるのはなぜなのでしょう?

子育てをめぐるあらゆる「支援」が「矯正」ではないことを、願わずにいられません。

どんな時代にあっても、精神分析は役に立つように思います。それは、生を育むうえで大事にすること、力を注いだらよいことがわかるからです。そして、子育てにおいても「大丈夫」と思えることが増えることと思います。

哲学するようにあんまり深く考えなくても、ふっと思考を日常から離れて、普遍的なものとか、いまも残っているもの、本質的なこととかに思いをめぐらすと、大切なことがわかるのはきっと私だけではないと思うのです。



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