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いまもある中世からの自由と平和の力

子どもたちの遊びには、誰が教えたわけでもないのに、昔々から続いているものがあって。

「エンガチョ」というのもそのひとつでしょう。

子どもたちが「カラスの羽を見たからエンガチョして」と言って、両手の親指と人差し指で鎖のような輪をつくって、それを切ってもらうやりとりを見かけることがあります。

この、「エンガチョ」という遊びは、日本中世にまでその原理は遡るものなのです。そして、似たような遊びは、西洋史学者の阿部勤也さんによればヨーロッパ中世にもあるとか。

「エンガチョ」について、素晴らしい考察をされている本に、網野善彦さんの『無縁・公界・楽――日本中世の自由と平和』があります。

ひと昔前の知識人たちの間では、網野善彦さんの本を読むことはマストと言われていた時代があったようで、網野さんの研究者としての真摯な姿勢や、研究とは何かという態度が、伝わってきます。

昔、「ポストモダンと中世って似てるね」って話をある研究者とした覚えがあって。なぜそんな話になったのかは、すっかり忘れてしまったのですが。

中世と現代とは、随分かけ離れているようにも思えるけれど、子どもたちはいまもなお、その頃の知恵を使っていて。

「無縁」「公界」「楽」の場は、日本の人民生活の中から生み出された現実に存在する場であるとともに、「理想郷」への志向を示している・・・それはまさしく、西欧の自由・平和の場に当たり、中国の「桃源郷」にも相当する・・・戦国時代、「公界」を往来し、そこに生活の舞台を見い出す人々は、「芸能」民-「職人」として、なおそれなりの自立性を保っていただけでなく、「公界」に生きることの自信と誇りを決して失ってはいない。

網野善彦 1996年『無縁・公界・楽――日本中世の自由と平和』平凡社

最近のティーンエイジャーたちは、中世の神話に関心がある方が多いようです。しかも、この情報化社会ですから、もっている情報量が膨大で、話しているととても面白いのです。

もちろん、その子たちも悩みをもっているのだけれど、中世の神話を活き活きと語る姿に生命力を感じてしまうのです。

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