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昭和の人生すごろく――『草むらにハイヒール』への違和感

小倉千加子さんというフェミニストで心理学者で医学博士で、いまは家業の保育園を経営されている方がいます。上野千鶴子さんとの共著『ザ・フェミニズム』や、『女の人生すごろく』などの刺激的な本を書かれてきました。

小倉さんが書かれた記事をときどき読むことがあって、保育園経営を通して、第二派フェミニズムへの疑問を持たれているご様子はなんとなく知っていました。

それで、数年前に出された『草むらにハイヒール』を、けっこう期待して読んだのです。けれど、私は違和感をもってしまったのです。なぜなのでしょうか。

小倉さんが強く主張されていることのいくつかは、保育園に子どもを13時間預けて働くときに、「子どもが家庭で過ごす権利」を侵害しているのではないかということ。それから、『女の品格』を書かれた坂東眞理子さんのいう専業主婦禁止法に反対ということ、そして、母娘関係の確執についてです。

一言で言うと、国家政策はフェミニズムをイデオロギーとして利用し、女性を労働の調整弁にするべく政策を拡充し、そのしわ寄せが子どもにきているということかもしれません。

小倉さんは保育園という現場に身を置かれて、子どもが母親の帰りを待つ姿を、胸を痛めながら見ていたご経験があるのかもしれませんし、女性の生き方は上野千鶴子さんが言うように簡単に白黒つけられるものではないという現実を何度もつきつけられたのかもしれません。

それで、ここまでは私もとても同感するのですが、なぜか違和感をもってしまったところがあるのです。

まずひとつが、よくあることですが自己実現というワードの使われ方です。少なくとも、私が理解する自己実現とはカレン・ホーナイが言うような「真の自己が成長発達するプロセス」であって、何か、世間から評価されるすごいものにならねばらないとか、そういうものとは全く異なるものです。

もうひとつが、「専業主婦」という言葉の使い方です。小倉さんが引用されている、「とにかく働け、働けという圧力を感じます。子どもが小さいうちは傍にいてやりたいのに、家にいる母親は罪悪感をもつようにされて居心地が悪いのです」という女性の気持ちは共感するのですが、私はやはり女性が専業で主婦をやり続けることが生み出した、支配的な母親による諸病理のようなものを見過ごすことはできないのです。

というわけで何を違和感に感じているのか、よくまだわからないでいるのですが、おそらく、何とかしてくれない国家が悪いと不満を言うのでも、国家が何とかしてくれるとお任せにするのでもなくて、自分で社会資源を開発ないしクリエイトしたらよいのではないか、ということを私は言いたいのかもしれません。制度は「使う」ものなのです(ちょうど、先日、ある研修で社会資源の話をしたからこんなことを思っているのかもしれませんが・・・)。

小熊英二さんが『日本社会のしくみ――雇用・教育・福祉の歴史社会学』で参照している、経産省若手プロジェクトが作成した文書の中の「昭和の人生すごろく」で示される生き方は「新卒一括採用」「正社員・終身雇用」ですが、実際に、このような生き方をしたのは1950年生でわずか34%で、1980年生では27%と予測されるです。小熊さんは、この数字に驚くべきだと言います。

私たちの大多数がイメージしている「ふつうの暮らし」は少数派なのです。

みんな、「ふつう」になりたいのかもしれないけれど。「ふつう」のイメージに拘束されて生きるよりも、「ほんらいの自分」を堂々と生きる方が楽しいし、それは社会や政治にまなざしを向けないということではないと思うのです。そして、それが社会をも変革するかどうかは、歴史が証明してくれるのでしょう。

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