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「2年間のコミュニティカレッジバスケットボールで得た学びと経験」
どうもSangoです。軽く自己紹介をすると現在、アメリカのカリフォルニア州の2年生大学(コミュニティカレッジ)に通っている学生です。
今日は僕が2年間アメリカでバスケをしたことについて簡潔に書いてみました。
なぜアメリカでバスケをしたかったのか?
一年目の苦労
二年目の学び
これらについて話していこうと思います。こういう事を書くのは初めてなのでぜひ最後まで拝見してください。
なぜアメリカでバスケをしようと思ったか?
私は一般的には強豪と言われるところでバスケットボールをしていました。そこで3年間、朝の6時半から朝練をして夜の8時半頃まで練習をしていました。月曜日は1週間に一度のオフ(休みの日)でした。高校時代は試合にはあまり出ることができず、三番手ぐらいの試合が決まった時に出るような選手でした。それから大学に進学してサークルというものに入りましたが、それほど面白くなく半年で大学を辞めて渡米することを決めました。なぜアメリカに行ったかや、なぜ大学を辞めようと思ったのかは、またの機会に話そうと思います。
一年目の苦労
アメリカに渡米して1年目、英語もわからないまま運良くチームに合流することができました。正直に言うと、僕の身長は172cmしかなかったので、舐められていたと思います。しかしコーチは優しく、英語がわからない自分にも良く話しかけてくれました。練習は日本と違い、対人の練習が多く、試合の組み方もとても違っていました。日本では1日に2試合することもあるのに対して、僕がいたカレッジではそんなことはなく、1日1試合でした。また、8月から本格的にチーム練習が始まり、10月から12月にかけて練習試合が組まれ、1月から2月半ばまでシーズンがあり、そのリーグ戦に勝てばplayoffに進むことができるという感じです。本題に入りますが、一年目は最初試合にも出ることができず、出場しても相手のデカさや豪快なダンクに圧倒されました。しかし、なぜか人は適応していくものなんですね(笑)、後半になってからは、その怖さもなくプレータイムが増えていきました。後半戦では、1試合に10分は出場できていたと思います。こうして、1シーズン目は終わりました。
2年目の学び
2年目になりましたね。もう1年やっていたので、自分の持っている能力についてはわかっていたため、焦ることはありませんでした。しかし、2年目の最初は前年より試合に出ることはできたものの、結果を残せませんでした。しかし、後半になるにつれて、ミスをしないで、指示通りに動く、安定したプレーが認められました(自分自身の見解ですが)、12月ごろからスターティングメンバーとして出ることができました。スタメンで試合に出ることは中学校以来なので、緊張しましたが同時にワクワクもしました。さらに、スタメンで出場することと控えてから出場することの難しさを学びました。結果的にはプレイオフには進めませんでしたが、貴重な経験をすることができました。
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