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打ち明けられる人を持つべきだったのだ
私は小学校2年生あたりから中学校3年生までの長きの間にわたり、不登校を繰り返す子どもだった。
原因は明らかで小学校2年生の時に病気で入院と自宅で長期療養を余儀なくされた後に登校した折、担任が私の体調を気遣ってくれたことを同じクラスの子たちが上級生まで巻き込んで
「エコヒーキ!エコヒーキ!」
と教室やなんなら校庭の隅っこの砂場とかで囃し立てていたのだ。
(この後、父が教室にいじめてるヤツはどいつだ
ウチは今でも7人家族
舅が脳溢血に倒れたのは今から4年前の6月末だった。
半年に渡る入院生活を経て自宅へ戻ることが出来て舅本人は大変に喜んでいたけれど、同時に怒涛の介護生活が始まったと言うことでもあり。
敏感なわが子たちはすっかり人が変わってしまった祖父に邪険な態度を取ることもなく、半身不随な為上手く食事を摂れなくても嫌な顔したことはなかったし、自分たちが食べてるオヤツを祖父が物欲しそうに見つめている時には言われずと