ウチは今でも7人家族

舅が脳溢血に倒れたのは今から4年前の6月末だった。
半年に渡る入院生活を経て自宅へ戻ることが出来て舅本人は大変に喜んでいたけれど、同時に怒涛の介護生活が始まったと言うことでもあり。

敏感なわが子たちはすっかり人が変わってしまった祖父に邪険な態度を取ることもなく、半身不随な為上手く食事を摂れなくても嫌な顔したことはなかったし、自分たちが食べてるオヤツを祖父が物欲しそうに見つめている時には言われずとも
「ご飯が食べられないとおばあちゃんに怒られるから少しだけね」
と言って、介護用のお皿に取り分けてくれてたっけ。

そんな舅の在宅生活は8ヶ月で終わってしまう。

平たく言うと癌に侵されていたのだ。原発巣が特定出来ず(検査しようにもカラダが拒否をしてどうにならなかったし、治療の施しようがないと言われた)、そうと分かった時には既にカラダ中に転移しており急性期の病院からは早く言うと看取りの為の病院に移るようにと言われて。

何ヶ所か見学に行ってやっと入れた病院で過ごした時間は2週間。肺炎にかかって体力をゴッソリ奪われた舅は一人あの世へ旅立ってしまった。

もう四年目になるんだなと未だにしんみりしている私を横目に、わが子(成人してる二人)たちは時折祖父が好きだったからと
「人数分ドーナツ買ってきた!」
と言い、お皿に取り分けてラップをかけてから仏壇にお供えして更に手を合わせて
「ご先祖様と仲良く食べてね、おじいちゃん」
と言っている。
末っ子だけは自分で何かを買えないのだが例えば誕生日などに
「おじいちゃんの分のケーキも買おうね!」
と、実に健気である。

舅は孫たちが大好きだった。(叱ったことはあれど)怒ったことはなかったし、親しい人にもそのように触れ回っていたと亡くなってから聞かされて、親としては嬉しいやら恥ずかしいやらである。
だから、未だに感覚としてわが家は7人家族のままで超現実派の子どもでさえ、
「え?だって生きてない人にケーキなんて無駄でしょ?」
なんて言わせないのだ。

きっと、あの世でも舅は孫自慢をしてると思う。私も大切に扱って貰ったから優しい心を持っていてくれるわが子たちに心の中でもそっと言う、
「ありがとう」
と。

#こども達よ_いつもありがとう

ミクさん好きすぎてひたすら編んでるのでちょっとでも関心を持って頂けたら嬉しいです。