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大きくなったら、と、小さくないと

 2歳の娘はよく、「3歳になったら」という。

3歳になったらお姉さんパンツがはける
3歳になったらこーしー(コーヒー)が飲める
3歳になったらからいカレーたべる
3歳になったらお魚釣りできる

 3歳になったらお勉強もお仕事も行くのだそうだ(お勉強とお弁当の区別があんまりついてないにも関わらず!)。

 3歳になったら、というのはつまり、大きくなったらという憧れが強いのだと思う。自分はまだ小さいと思っていて、いずれは大きくなると疑いもせずに思っている。

 「(娘)ちゃんの手はちっちゃいねぇ。ママの手は大きいねえ」と比べるのも好きだ。
(手は、微笑ましく感じるのに、「ママの鼻大きいねぇ」と言われると複雑な気持ちになるのは何でだろう)

 そんなことばを聞くたびに、パンツ履いたり、コーヒー飲んだりできるようになるまで、どうか無事に元気に大きくなってほしいと、願ってしまう。何事もなく、彼女のささやかな願いが叶えられる日がきますように。

 昨日、娘がパパに肩車されている写真を見て、「ママいいなー?3歳になったらママもたかいたかいする?」と聞いてきた。
「いいなー。たかいたかいしたいなー。ママはもう3歳終わっちゃったけど、できるかなー」と返したら、目を丸くして「3歳終わっちゃったの?」とかわいそうな目でみる娘……。

 娘が生まれるまでは当たり前のように、大人になるっていうことは、どんどんできることが増えていくことだと思っていた。

 でも、生け垣の小さな穴のなかに友達と片寄せあって座る娘を見たりするうちに、小さいからこそ出来ていたことがあったなぁと、思い直している。肩車はシルク・ドゥ・ソレイユに入らない限りもう一生してもらえないし、水深10センチくらいの家の湯船の中で、わにさん歩き出来ない。
小さいからこそあんなに土との距離が近いし、それは小さな虫やどんぐりに気づくということで、身長を越える枝を魔法使いのように持って歩けるということでもある。

 小さいからこそ、世界がひろい。

 小さくて広い世界は、なんと豊かなことかと気づく。

 同時に、自分の世界だって、仕事をやめてこどもが生まれて行ける場所も限られ、世界が狭くなっているように思っていたけれど、生まれたからこそ出会えた人や場所や、豊かさがあると気づく。

 きっとどんな人生でも、できないことへの憧れも大事にあるけど、その時その場所でしか出来ない経験がある。
それも面白がって、大切に思えたら、きっと大変でも、これからもずーっと楽しい気がした。

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