幸福の増税論

私も増税は必要と考えていますが、それをいきなり実施すると、弊害が生じるでしょうから、まず社会の立て直しをおこなってからという条件付きですが。政治への信頼回復が、優先されなければいけない、ということです。

経済が「脱成長」の段階に達してしまっている以上、社会保障の充実には、その財源は税金に頼る必要があるように考えています。

 勤勉と倹約によって積みあげられていった貯蓄は、政府をつうじて道路や鉄道の建設資金にまわされ、これがさらなる成長と税収を生み、所得減税や公共事業のための財源を用意した。(略)
 同時に、貯蓄が社会インフラ整備に利用されたということは、増税をせずともくらしに必要なサービスがあたえられることを意味した。政府は税金を取らずにサ-ビスを提供するものだという国民の記憶は、のちに税の痛みを生みだす重大な原因となっていくことになる。

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このようなことは、「勤勉と貯蓄」という通俗道徳が支配的であった高度経済成長期でなければ、適用できるものではありません。しかし、そのようなマインドは生き残り続けています。

そしてこのシステムで弱者となるのは、「通俗道徳」に従わなかったからだ、という自己責任によるものだとされ、その救済は重視されにくい、という心性に落ち入りやすい、ということになります。

 税は、多くの納税者にとって、どのように使われるのか、という不信感を生む。一方、社会保険料は年金や医療など、自分の負担と給付との関係がわかりやすい。他の人のための負担は拒否し、自分の利益につながる負担増なら受け入れるという構図だ。

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多くの人は良心にもとづいているという信頼関係をもてずに、他者への猜疑心にとらわれている、といえそうです。

公共のものへの投資と保障、これの財源となるのは国債か税金です。

この国債の原資は国民の貯蓄である。つまり、僕たちの貯蓄が銀行経由で国債にむかうのか、税によって直接政府にむかうのかのちがいにすぎない。
 いや、実は大きな相違がある。それは税とちがって国債の場合は、金利が発生するということだ。(略)
 現在、国の利払いは九兆円であり、その四割が銀行や生保等にむかっている。(略)これは税であればなかったはずの負担である。

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と、国債は金融機関らの不当所得になる、ということです。

井出英策『幸福の増税論 財政はだれのために』 岩波新書 2018

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