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3月の、「とある日」

先日、私の誕生日だった。
誕生日を迎える度に思う。

「ひとつ、歳を重ねることができた。」

と。

1年が、あっという間に過ぎてしまうことには、健康だった時とかわりはないのだけれど、その真剣さと充実感が全く違う。

この9年間。
義務教育と同じ期間。
小学校、中学校に通った期間と同じ期間。
私は、様々な制限の中で、奇跡的に生きている。

そして、もうひとつ。
病気になった年の3月の私の誕生日。私が病気になる前のこと、東日本大震災から数日経った日。

職場で大変お世話になり、とても縁のある先輩が、闘病の末亡くなった、
との電話を受けた。
「お前とは、縁がある。また何処かで会うと思う。」と、握手をしてから4年が過ぎていた。

あれから、9年。

誕生日がくる度に、先輩のことを思い出す。
「一匹狼」的なところが似ている。だから、気が合ったのだろう。

何回、みんなで飲んだり歌ったりしただろうか。

優しい先輩だった。
何度、救われただろうか。

毎年私の誕生日は、

私が生まれた日だけではない、特別な日

となった。

「先輩の命日」でもあるのだ。

生きていくのは、大変なことのほうが多いけれど、

「今」を生きることができている。

ことを感じながら、精一杯生きたい。

病気になった時、家族に手伝ってもらいながら、部屋の断捨離をした。
実は今も、ちょくちょく物を整理している。

そんな時に出てきたもの。それは、「誕生日カード」だった。幼稚園の年長組の時に、先生からもらったカード。

そこには、

◯◯ちゃん、おたんじょうび
おめでとう
きょうの、おたんじょうびかい、たのしかったですね。6さいになったら、すぐしょうがっこうですね。
いつまでも、やさしいこころと、ただしいものをみるめをもった、おんなのこでいてください。

とお祝いのメッセージと、あどけない表情の私の写真が貼られている。

このカードが、机の中に入っていたことも、すっかり忘れていたのだけれど、出てきた瞬間に涙が溢れてきたのだった。

当時から、「私」の軸は変わっていない。

幼稚園の先生、私のことをよく見ていてくれたな、
と思う。

私は、人生の最期まで

「優しく、正義感の強い」

人間であり続けたい。

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