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叱る ということ

初めてたまひよ以外の育児雑誌を買った。
クーヨン てやつ。 
表紙の「子供を叱りすぎていませんか」の言葉にハッとして手に取った。
よく行く支援センターにも置いてある雑誌で、名前だけは知っていたから買ってみた。

子供を叱るという事はどういう事なのか、子供への影響や「叱る」「怒る」をどうして親は繰り返してしまうのか、子供はどう声かけしたら良いかなどが書いてあって、ふむふむ と私は読み進めた。

雑誌全体としてはなんか、自然派?(ワクチンの事とか食事とか)な感じでちょっと合わないなと思う記事もあったけどまぁこういうのは自分の欲しい情報だけを読めばいいし自分の中できちんと精査して取り込まなきゃいけないのはどんな情報でも同じなので気にしないことにした。
読みたかった記事も、「こういう考え方もあるよな」に留めておこうと思う。

で、何故私がこの雑誌を買ったのかというと、私自身が長男に対して大きな声や威圧的な態度で怒ってしまうことが増えて、それによって自分に対しても凄くマイナスな感情になってしまうことが増えたから。

言葉や態度でガミガミ言って聞かせたら、それは子供への「脅し」だよな、と思う。
思ってはいるのに怒る自分を止められない。
怒る時の私の口調を真似する長男を見て、あぁ私は彼にとってこう見えているのだと悲しい気持ちになる。
改めねばな、とぐっと抑えるのに口からは溜息が漏れ、息子に「ママ怒ってない?」なんて悲しい質問をされてしまう。

脅して、従わせるような事はしたくない。
息子が色々な困難を自分で解決できるように、手を差し伸べる存在でありたい。
夫にもそう伝えるし、夫が息子に対して威圧的な言動に出た時はストップをかける。
でもどうしてそれがダメなのか、自分なりの考えを論理的に言語化できなくていまいち夫には伝わらない。

そんなループで自分の中のモヤが大きくなっていた。

一応私の中で怒る時のルールは決めている。
長男にどういう時にママが怒るか都度提示するのだ。
①人や物を傷つけた時(物理的にも心理的にも)
②子供自身にとって危険な時
③食べ物を粗末にした時

ママはこういう時に怒ります。
いまはこういう理由で怒っています。
〇〇なので(君に怪我をしてほしくない、おもちゃを投げて壊れたらもう遊べなくなるので等…)もうしないようにしましょう。

気持ちに余裕がある時はこんな対応ができる。

でもできない時もある。
怒鳴り散らして長々と語り集中力が切れて話す私の横で遊び始める息子にまた怒り…なんて日もある。
2歳半にどこまで求めているんだ私は、と冷静な自分がいるのに、怒るという行為を止められないのだ。
私はこんなに君に向き合っているのに、正面から真面目に語らっているのに、何故、話を聞いてさえくれないのだと心の底から思ってしまう。
壁に向かってひたすらに声をかけているような感覚に怒りながら涙が出たこともある。
2歳半に反省の色を求める事が間違っているのだ。
わかってる。
何度も、何度も、繰り返し伝え、一緒に行動し、共に学んでいかなければならないのだろう。

そこまで自分の中で落とし込んでいて、なぜ繰り返してしまうのかというと、恐らくそれが雑誌の中にあった人間の本能的にある「従わせる事の快楽への依存性」にあったのではないかと思う。
聞こえはすこぶる悪いがたぶんそうだ。

一度怒鳴って息子が言うことを聞いたという経験があると、同じことがあった時にもこうすればいいのだと無意識に声を張る自分がいるのかもしれない。
そしていうことを聞かなければ「以前は言うことを聞いたのに何故できないのだ」とより腹が立つのだろう。

こうして文章にして明確に自分をみると親としてどうなのだと落ち込むが、、、

今一度、私は何のために息子に怒るのか、その行動は、言葉は、声量は、本当に必要なものなのか私自身に繰り返し繰り返し問い続けていかなければいけないのだと思う。

あと夫に私の言わんとすることがイマイチ伝わらない理由。

これは多分生存性バイアスが関係してくると思う。

彼は話に聞く限り彼の父にわりと鉄拳制裁を受けて育っていた。
生まれてこの方ずっと不仲だった、というわけでもなさそうだが彼は自分の実家を好いていない。
その理由はまた別のところにあると思うが。
彼の根底には 自分はこう育てられた があるのだろうと感じる。
彼の中でその生育環境にあって良かったと感じているか悪かったと感じているかはまた別として、こう育てられて今自分はこのように生きている、という考えがあって、だからこれくらいは必要なのだという認識があるのではないかと思う。

私からすれば君は充分ひねくれてるし、親からの拳なんてないに越したことはないし、幼い君も決してそんな事は求めていなかったのではと思うのだが。
君が、その環境でたまたま折れずにここまで来たのであって、そうやって育ててもらって良かったって心の底から君が親に思っていないのなら、そうすべきではないのではないか、自分の父親のようになりたくないという君自身の言葉を思い返して欲しい。
というのは既に夫に伝え済みである。
それでも彼が二十数年生きてきて築いた価値観や根底にある感情はなかなか覆らないので、ぶつかっても泣いても何度も何度もお互いの考えを伝えあっていかなければならない。


子供に接するのは私だけじゃない。
私と夫と私の実家と夫の実家と近所の人や支援センターの人、これから幼稚園児にだって入る。
息子と関わる人達それぞれにバックボーンがあって価値観があって方針がある。
でもみんなと子供との関わり方を統一していくのなんて無理だから、まずは私と夫がよく話して、親がやりやすいようにじゃなくて、子供にとってより良い選択を取り続けていきたい。



※夫に関する事は夫側からしかほとんど話を聞けていないし私から見た夫なので、上記のことが夫の全てではないです。


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