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タロットカード「節制」の水
今回の記事は先日の「タロットと流しそうめん」の記事の補足…蛇足みたいなものでしょうか?
とりあえず、書いていきます。
生命活動が記憶の連続性にあるとしたら、それは永遠に流れ続ける水のようなものである…とは誰の言葉でしたっけ?タロットの節制の壺から壺に流れている水がそうなんだ…と言う話でしたかね?
節制のカードの人物は両手に壺のようなものを持っています。
そしてその間に水が流れています。
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この両脇の壺が人間の体です。
壺は土の元素で、グルジェフ水素で言うと、h768の土(肉体)ですね。
下向き太陽のh12が抱える下限の部分になります。
因みに、小アルカナカードのカップが壺の中身が水…と言うような関係と考えて良いでしょう。
つまり四元素の水は、土の要素を加味して捉えた方が良いという感じです。
生命の定義は人によって色々あると思いますが、個人的には「記憶の連続性」と言う言葉が一番しっくりと来ています。
3次元世界は断片的なもので、一瞬の出来事ですから、その時間を繋いでいるものが生命だ!という感じです。
これは聞いた話ですが、図形を作る時に、一点だけ覚えていても成り立たないという話がピッタリだと思いました。
つまり「頂点を追って行く連続性が維持されて、全体を把握した結果が図形になる」と言う事です。
これを節制のカードで例えるなら、図形の頂点が壺で、頂点を追う連続性が水です。
追った頂点(連続性)を全部まとめて同時に見ると図形の形が現れます。
これがヌーソロジーの持続でしょうか。
そうなるとタロットの中では、ヌーソロジーの持続はカードの中央の人物と考えて良いでしょうね。
私の肉体が壺。
私の記憶は生命であり、永遠に流れ続ける水。
そして記憶や生命を把持するのは私であり、カードの人物でもある…。
ヌーソロジーを学ぶ前は、中央の人物はもっと高次元の存在…私とは違う神のようなものや、もっと別の根幹のような、恒星的な意識だと見ていたのですが、ヌーソロジーの入った今の感覚で言うと、「別に私でも良いか?」と考え始めました。
つまり、持続の奥底のようなもの、持続が持続である、もっと深い全体性を支えるようなものが、私であっても良いのかな?…なんて。
ヌーソロジーにそのような解釈が有るのかどうかはわかりませんが、感覚的にそんな風だったら良いな…と思っています。
まぁ、この辺りのお話はヌーソロジーの理解が進めば変わるかも知れませんので、この辺りで良いでしょう。
もし壺が人間だとしたらタロットの節制は、人間から人間に渡る図なので、輪廻転生を表せるかも知れません。
けれど、壺の位置に上下があるので、人間的な器の存在にも階層があると言うニュアンスが近いかもですね。
因みに、節制のカードはタロット大アルカナの7番目のグループになります。
第7グループ
発見:7戦車
物質界に設置している・1面の不安定さゆえに動く
包まれる:14節制
肉体と肉体の間を流れる私・自分が流れるのではなく時代が流れている
なりきる:21世界
第五元素の中にいる・エーテル界にいる(戻る)・次の世界への前段階
上記の記事をまとめた頃は、「自分が流れるのではなく、時代が流れている」としましたが、この時代を時間に変えても良いでしょう。
この場合の時間とは、3次元時間の過去から現在へ繋げた、太陽h12のもたらす、地球の自転です。
こう考えると、自分の時間は持続の方へ沈んでいきますので。
時代のチョイスと言う言葉は、輪廻体験から選んだものだと思いますが、ヌーソロジーの「持続」と言う言葉に出会ってからは、輪廻転生も、パラレルワールドも私の中で一気に影が薄くなった気がします。
それらが皆無だとは言いませんが、重要視する度合いが変わった…という感じです。
こんな風にタロットも、ヌーソロジーとリンクさせて考えると、大アルカナの世界の違う側面が垣間見えて楽しいものですね。
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