物が朽ちる、風は時間
ベランダの洗濯ハンガーが折れました。
洗濯バサミもそうですが、プラスチック製品は紫外線に弱いようです。
確か、可塑剤?だったかな?
素材を柔らかくする材料でしたっけ?それが抜けて、硬くなって、バラバラになる…そんな話だったかと思います。
そんな風に言われると、理由はそうだろうと納得しますが、そもそも、どうして物が朽ちるのか?痛んでいくのか?を常々疑問に思っていました。
物が出来上がると同時に、始まるそれ。
時間が進むにつれて、なぜ物は勝手に朽ちていくのでしょうか。
エントロピーのアレで、可塑剤が空気中に…とか、そう言う話じゃないですよ。
もっと根本的な所の疑問です。
話は飛びますが、先日、ヌーソロジーの点球次元の事を改めて見直しておりました。
点球次元は、主に我々の三次元感覚の元になっているような空間認識で、空間と時間、尺度と触覚の世界です。
物1つの、嵩張りの元…と考えて良いと思います。
ボール1個、本1冊などです。
そして人間は、この物1つの空間を広大に広げて、宇宙は広い、地球は広い、部屋が狭い…なんて勝手に感じています。
点球次元は、物1個の空間の広がりの逆方向の収縮側が時間になっています。
つまり、空間と時間はセットになって切り離せないモノ…です。
と言う事は、物には時間がセットになっている…と考えて良いでしょうか。
この物とセットになっている時間が物を朽ちさせるのか?
取り敢えず、これはこのまま置いておきましょう。前提みたいな話です。
ヌーソロジーでは、物質に精神を見ます。
って、ちょっと何言ってるか、分からないと思われるかも知れませんが、人間とか人間以上の存在…ありとあらゆる宇宙の精神の流れとかウネリのようなものが、三次元世界に現れると、つまり人間が認識出来る状態になって現れるのが、物質となっている…そんな感じの話になっています。
この話をを、とんでもない話のように感じる人は、ちょっと想像力が足りませんよ。
普段、当たり前のように目にする、コンビニにシュークリームが並ぶと言う事は、誰かが小麦の種を植えて育てて収穫して、鶏が卵を産んで…誰かがレシピを考えて、工場で作って、トラックに乗せて運んで、ようやく棚に並びます。
どれだけ多くの人…いや、自然や動物の力もありますね。
こう言った、シュークリーム一つにも、多くの存在が関わっている過去を想像が出来ない、すっ飛ばしている事を、もっと人間は自覚した方が良いと思います。
pcのクリックで、スマホのタップで物が配達される。
むしろこの事実の方が、とんでもない無い話です。
だから物と精神がセットになっていると言うのは、とんでもない話でも、なんでも無くて、むしろ当たり前の話なんですよね。
少し脱線しましたが、こうして物一つが現れる(目の前にやって来る)のに、多くの人や自然、ある意味での目に見えない存在が介入しています。
だからヌーソロジーが物質に精神を見出す話は、ごく自然な話なのです。
さて。
今までの話を踏まえると、物が朽ちる事にも、我々の精神が影響すると考えて良いかも知れません。
物が精神からなるのなら、朽ちる事は精神的な我々の魂側の影響がある…そんな取り方です。
だから我々が日々、色々な方向で考えたり、悩んだりする事がそのまま「変化」として物に変化として投影されている…。
そんな具合で考えて良さそうです。
つまり、我々の意識の変化こそが、物に時間を流れさせている…と考えて良いのでは?と言う話です。
ところで、ヌーソロジーでは化石の事で、こんな面白いオコツトとの交信記録がありました。
オコツトさんと半田さんのやり取りは、私には全く意味の掴めない話ですが、「人間が持った進化の方向性を消しているのです」の一文が気になる所です。
化石として残る事と、物が朽ちていく事は全く別の方向なのかも知れません。
ヌーソロジーでは人間の精神が、より進化を目指すために必要なのは内面だそうです。
ψ7辺りの回転で、モノの中で、他者の外面と自分の外面が回転する。
この辺りが集合意識だと思うのですが、回転後は逆向きなので、自分の内面と同じ方向になります。
だからモノは自分と他者を交差する重要な存在になります。
ところでヌーソロジーでは外面、奥行き、目の前を大事にしますが、それは今の人間が内面ずっと進化させて来たから、そろそろ反転させましょうね…の段階だから…と言う側面もあるようです。
とは言え、ψ7、8までを見出す面も、もちろん有ると思います。
内面の進化と言われると確かにそうで、人間は内面の働きによって文化や文明を発展させてきました。
そして行き着いた現代は、もはや内面しか価値が無いような、内面しか見ないような段階まで来たような気がします。
でもね、まだまだこの内面側優勢の感覚は続くと思います。
昨今、占星術では風の時代が持て囃されていますが、四元素の風は分解作用です。
どんどん崩していきます。
そして風の要素が強いのは、文字、言葉です。
言葉は目に見える広がる世界、空間から、一つの対象を絞り出します。
例えば夕飯。
夕飯が並んだテーブル。
おかずが乗ったお皿。
今日のおかずは唐揚だな。
…こんな具合に、唐揚げを見ている時は、食卓全体は視野として見えていても、見る意識は働いていません。
視覚と言語は相性が良いのです。
だから見る方の外面は、言葉側に寄ると一気に内面側へ馴染みます。
だからこそ、外面を見ましょう、奥行きを意識しましょうって話だと思います。
そしてこの時の思形側の内面は、物から生まれる3次元時空間です。
ですから、物が朽ちるのは、物が「洗濯ハンガー」とか、「洗濯バサミ」と言う名前を持ったが故に、物の時間が我々の3次元空間へ引っ張られたからだ…と考えるのもどうでしょうか。
さて、目の空間で奥行き以外に見えないものに「空気」があります。
四限素の火、風、土、水の中で唯一見えない物と言って良いでしょう。
風は空気の動きそのもの。雲を介在しないで見える人がいたら教えて欲しいものです。コツとか聞いてみたいです。
つまり、風、とは、空気の流れです。
流れは運動ですから、時間が動いた結果と言っても良いでしょう。
人間に風は見えませんが、肌では感じる事が可能です。
なので物にも触覚があって、風を感じているかも知れません。だって物1個は点球次元で、触覚の次元ですからね。こう言った妄想もヌーソロジーの楽しさの一つです。
(あくまで妄想ですよ、モーソロジーです)
物が朽ちると言うのは、物が風を感じて、小さくバラバラ…元の原子とかそんな存在に単に帰っているだけかも知れません。
と言う事で、この話には、何のオチも無いのですが、この所、朝晩の涼やかさの一つに、涼しい風を感じる…と言うものがあります。
さて、アナタは風を感じていますか?
風が空間の流れで、流れが運動でそれが時間の結果なら、我々の持っている時間と違う時間の結果です。
地球側とか、3次元空間側の時間ですね。
もしここに情景や、情念が生じれば、それは自分の持続側へ吸い込まれるのかも知れません。
これからは風の時代…。
折角ですから、実際に風を感じて、とことん自分が分解されて、小さくなるのを感じるのも良いかも知れませんね。
そして小さくなったら、素粒子の世界へ入って見るのも楽しそうです。
追記
風繋がりで、秋の夜長のBGMにこんな曲はいかがでしょうか。
(昭和のファミコンキッズだった人に響けば良いな)
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