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【DESIGNER INTERVIEW: AURALEE 岩井良太】人と服が相まって完成する、それぞれのスタイル

日本を代表するブランドに急成長した「オーラリー(AURALEE)」デザイナーの岩井良太さんが、今回のゲストです。ブランドについてはもちろん、ファッションの世界を目指して、文化服装学院のⅡ部(夜間部)に通うことを決めた時の気持ちや、人生の方向性を決定づけた雑誌『装苑』でのアルバイトの経験についても、静かに熱く語ってくださいました。

「日々雑誌作りの現場に居て、編集者がカメラマンやスタイリスト、ヘアメイク、モデルといった人達とやり取りしている姿を見ていたわけですが、そうしたら、ますます『自分は服を作る側に行きたい!』と思ってしまったんです。」

2022秋冬コレクション

ー実は岩井さんが『装苑』でアルバイトをしていたときにお会いしていますね。それからもう16年が経ちました。懐かしい気持ちでいっぱいです。それはさておき、ブランドは2015年にスタートして、今年で7年目。パリコレクションへの参加もすっかり常連となりました。オーラリーの服は素材が持つ上質さと共に、どこか大らかで、良い意味で隙があって。最終的に着る人の個性と服が相まって、それぞれのスタイルに仕上がるような、そんな服だと感じていますが。さらに岩井さんの人柄というか、リラックスした感じが服に出ていますよね?

それが大事だと思っています。頑張りすぎない、無理していない見え方にしたいと思っていたので。

ーもう語り尽くされていると思いますが、ブランド名の「オーラリー」が「光る土地」という意味なのだと知ったときも、とても岩井さんらしいなと感じました。パリコレクションで発表されたばかりの2022秋冬コレクションのショー会場にも、光が優しく差し込んでいましたね。一貫して変わらないイメージ作りが、今の時代には安心感があるというか、好印象です。

でも逆に言うと、自分はそれしかできなかったんですよね。

ー自分の信じる世界観を貫くことができる“強さ”を持っているんだと思いますが。まずは学生時代のことから、お話しをきかせてください。文化服装学院のⅡ部(夜間部)を選んだのはどういう理由からですか?

地元は神戸で、大学の商学部でビジネスを学んでいたんですが、当時古着屋でアルバイトをしていたのがきっかけで、服を好きになりました。それで、古着屋になりたいとか、服屋になりたいと思い始めたんです。当時の彼女(今は奥さんで仕事も一緒にしています)に相談したら「そんなに服が好きなら、作るほうに進んだら?」って言われて。東京に出たかったという気持ちもあって、即実行したんですが、すでに大学は卒業しているし、昼間の学校は難しいと思ったので、無理の無い範囲でと思って、文化服装学院のⅡ部を選んだんですよ。

ー学校はどんな感じでしたか?

なぜか、とても焦っている自分がいました(笑)。大学を出て、もうすでに22歳だったから。もちろん僕と同じ様に大学を出てから来ている人もいれば、いったん働いてから入学した人もいたりして、いろんな年齢の人がいたことは良かったですよ。皆やる気があるし、意識が高くて行動的だったし、切磋琢磨していた。でも何だかとても焦っていて。それで入学と同時に「なんか将来に関係のあることをしなくちゃ!」と思って、就職支援室に求人票を見に行ったんです。そうしたらちょうど『装苑』のアルバイト募集があって。すぐに申し込んで編集長と副編集長の面談を受けて、ラッキーなことにすぐ入れたんです。入ったら、女性ばかりの中の、男子一人でしたが(笑)。

ーちょうどその年は、『装苑』の創刊70周年というビッグイベントを控えていたんですよね。もともと雑誌の編集にも、興味があったのですか?

もちろん雑誌は好きで、いろいろ読んでいました。でも『装苑』での仕事は初めてのことばかりで。創刊70周年の記念号を作る現場で、ファッション撮影を手伝う経験もさせてもらいました。周年のための特別なロゴをデザインしたのが、アートディレクターの服部一成さんだったんですけど、アトリエに荷物を届けたり、仕上がったものを受け取りに行ったりしましたね。当時、服部さんのアシスタントをされていた田部井美奈さんとは、最近仲良くさせてもらっているんですが、当時の僕のことは覚えていないそうです(笑)。日々雑誌作りの現場に居て、編集者がカメラマンやスタイリスト、ヘアメイク、モデルといった人達とやり取りしている姿を見ていたわけですが、そうしたら、ますます「自分は服を作る側に行きたい!」と思ってしまったんです。それで心して編集長に「辞めます!」と言ったら、「何かやりたいことがあるの?何も決まっていないんだったら、ここに居なさい」と言われたりして(笑)。でも負けじと「服を作る側に行こうと思います!」って宣言したんです。

「自分の強みである素材にこだわること。最高の素材で作って、気負いなく着られるTシャツやコートも、同じように熱意を持って時間をかけて丁寧に作ること。それから、朝の光が似合うような、軽やかな気持ちのよいブランドにしたいと考えていました。」


ーそれで「ノリコイケ(NORIKOIKE)」の、小池のり子さんの元に行くわけですね。上質なニットとカットソーでとても有名なブランドですが、そこには何年ぐらいたんですか?

小池さんから「勉強しに来ていいよ」って言ってもらえたので、そちらに本腰を入れようと思ったんです。結果、1年半くらいお世話になりました。実は地元の神戸にいるときから好きなブランドだったんです。自然体で、すごくいい服を着ているなと感じる人達が、みな小池さんの服を着ていたんです。彼らの姿から受ける「この感覚は何なんだろう?」と、ずっと思っていました。

アトリエに入ってその理由が分かりました。徹底的なこだわりを持って、服が完成するまでのすべてに手抜きが無いんですよね。糸からオリジナルで作っていましたし、パターン作りも、服作りのすべての過程を少人数で丁寧にしていました。勉強になりました。展示会の準備をして、顧客の方、ひとりひとりとお話しをしたり。実は、その時からのお付き合いの人が、オーラリーの顧客にもなってくださっているんです。ユナイテッドアローズの栗野宏文さんとも、その頃お会いしました。緊張しながら、お茶を出したりして。小池さんは、2011年に亡くなられたんですが、仕事や人として大切な基本的なことは、すべて習いました。

ー岩井さんは年上の方から、可愛がられるタイプですね。

仕事できなかったですよ。『装苑』にいたときも、良くできていたなと思います。

ー次に働いたカットソーのブランドも素材にこだわっていたと聞きました。それは今の「オーラリー」につながっていきますね。

「オーラリー」は親しくしていた生地問屋の社長との出会いから生まれたんです。社長と仕事を通していろいろお話ししていく中で、ブランド立ち上げに力を貸していただけることになって。もともと社長の会社が手がける商品が持つ天然素材の魅力というか、クオリティの高さがとても好きだったから、すぐに話が決まりました。

ーいつか自分のブランドを持ちたいというビジョンは、若い頃から持っていたのですか?

若い時は、そういうビジョンは無かった気がします。いつも目の前のことを必死でこなすだけで、自分のブランドを持とうなんて考えていなかったと思います。野心はあまり無かった。いつも、ちょっと先のことだけを考えていた。人の仕事ぶりを見て、いいなあって思って、パタンナーになりたいとか企画になりたいといった感じでした。ちょっとずつでしたね。それでも、自分ならこういうブランドにしたいといった考えを、社長には話せたんです。そのときに話した内容とか気持ちは、今とそんなに変わらないです。

ーそれはどんなことだったんですか?

自分の強みである素材にこだわること。最高の素材で作って、気負いなく着られるTシャツやコートも、同じように熱意を持って時間をかけて丁寧に作ること。それから、朝の光が似合うような、軽やかな気持ちのよいブランドにしたいと考えていました。

AURALEE 直営店

ーブランド立上げから2年目の2017年には青山に直営店が出来て、次の2018年には「第2回 FASHION PRIZE OF TOKYO」に選ばれました。このアワードに応募を決めたのは岩井さんご自身ですか?

会社のみんなには相談しましたが、自分で決めました。反対するスタッフも多かったのですが、ちょうど次のチャレンジがしたいと思ったんですよね。このアワードを受賞したことはブランドにとっても、自分にとっても大きいです。

「海外で売れている日本のブランドは、もっと装飾的だったり、コンセプチュアルだと感じていたから。それと比べると自分のやりたいことは、海外から見たら特徴がないと思われるんじゃないかと思っていました。」

2019秋冬コレクションのバックステージから

ー受賞したことで、2019秋冬と2020春夏の2シーズン、パリコレに参加することが出来たんですよね?

それまではパリコレに参加しようとは思ったことがなかったんです。

ーアワードを受賞したからには、行かねばならなかった、ですよね?

そうです(笑)。でもデザイナーになってからも、フィジカルなショーは見た事がなかったんですよ。今みたいにオンラインで世界中のショーがリアルタイムに観られるわけでもなかったし。それこそ『装苑』のときに、編集部のかたに連れて行ってもらったのが最初で最後という感じで。

ーどんなブランドを観られたんですか?

グリーン(green、現・HYKEハイク)なんかは良く覚えています。隣の隣の席が、本木雅弘さんだったんですよ!そういうの、凄い覚えている(笑)

ーフィジカルなショーには、そういう楽しみもありますよね。「オーラリー」の初パリではショーというか、どちらかというとインスタレーション的な表現を選んだんですよね?

パリでのインスタレーションは、とても勉強になったし、凄く良い経験でした。張り合いが出てきましたよね。自分が創り出す世界観を客観的に観ることができて、もっとこういう風に見せないといけないなと思ったり。新たな、次の目標ができたり。

2019秋冬コレクションのバックステージから

ーパリを経験しても、モードなブランドに転身してしまうわけじゃなく、何というか、気負いがないのが良かったです。それはある意味、とても強さがあるというか。今どきは変わらないことのほうが強いから。

アワードに受賞する前に海外で初めて展示会を行ったときは、卸先は12〜13店舗でした。でもパリコレに参加して3シーズン目を終えた頃には60店舗ぐらいまで増えたんです。行く前までは、正直あまり海外で売れるタイプのブランドじゃないと思ったんですよね、自分では。でも認めてもらえるところがあったんだなと思いました。

2019秋冬コレクション

ーなぜ海外で売れないと思ったんですか?

海外で売れている日本のブランドは、もっと装飾的だったり、コンセプチュアルだと感じていたから。それと比べると自分のやりたいことは、海外から見たら特徴がないと思われるんじゃないかと思っていました。でも、そうじゃなくて、自然にストレートにやっても、意外と結果が良かったから、それが悪いことじゃなかったんだなと安心したんです。自分が考えるブランドの方向性に確信が持てました。

ー海外の方からは、どんな感想をいただきましたか?

日本と本当に変わらない感じですね。着心地がいいとか、素材感がいいとか。エレガント過ぎず、でも上品とか。評価は変わらなかった。それも嬉しいことでした。これでいいんだなって思えたりして。取り扱いは、北米とかヨーロッパ、アジアもありますが、意外と北欧も多いんですよ。

これまでのインビテーションから

ー光というか透明感のある色彩が、どこか北欧のプロダクトに共通しているかもしれないですね。すでにオーラリー・ブルーとか、オーラリー・グリーンとか、オーラリー・ピンクと名付けても良いようなブランドのイメージカラーがありますよね。実は毎シーズン、インビテーションに刷られたキーカラーをじっくりと眺めるのが好きなんです。厚みのある紙に、シルクスクリーンで絶妙なかすれ具合で印刷されていて。毎シーズンのキーカラーは、どうやって決めているんですか?

ファーストシーズンから、インビテーションのあの表現は続いています。キーカラーというかメインになる色を決めるのは、結構早めですね。というのも、うちは反染め(たんぞめ)ではなくて、ほとんどが先染め(さきぞめ)とか、綿染め(わたぞめ)なので。結構、早い段階で決めないといけないから。

色って、めちゃめちゃ種類があるから。突然は浮かんでこないですよ。何千色とあるカラーチップから、最初は100色ぐらいに絞るんですが、そこから気になる色を選んで、選んで。もちろん、過去の色見本なんかも参考にします。その色のままではなくて、調整してもらったり。すでにあるサンプルを変化させたり。土臭いものを見せたかったら、そこから選んで、それをもう少し洗練させるにはどうしたらいいか考えたり。見たことが無い色とか。ほんのちょっとの差で、上品に見えたり見えなかったりするので。最終的には自分の勘というか、そのときのムードとかインスピレーションですかね。と言っても、インスピレーションを得るために、特別な旅に出たりはしないタイプです。

ーデザイナーによっては、気持ちや感覚を言葉に落とし込んでから取り掛かる方もいますよね?

僕はまったく違いますね。言葉は最後の最後になってしまうくらいです。本当に感覚から入るというか。何かしら、ちょっとあるんですよね。そのときどきの気分が、ちょっとだけ。

「ブランドのことも、自分のことも分かってくれている、そういう人達が自然と集まってきてくれて。とても恵まれています。」


ー東京・表参道ジャイル(GYRE)の地下にある、インテリアショップのシボネ(CIBONE)にも商品が並んでいます。

スタイリストの二村毅さんがセレクトをされていたんですが、ファーストシーズンから買い付けていただいてます。嬉しいですよね。ブランドの見え方に広がりが感じられて。

ースタイリストの方に気にしてもらえるというのは、ブランドにとって財産ですよね。ショーのときとか、お仕事を一緒にするスタイリストを選ぶときの、基準はありますか?

パリではシャーロット・コレという女性のスタイリストにお願いしていました。国内では、清水奈緒美さんにずっとお願いしているのと、二村毅さんや檜垣健太郎さんもお願いしたことがあります。今回の2022秋冬コレクションは山口翔太郎さんにお願いしました。どの方も、これ見よがしのスタイリングはしないところが好きなんですよね。ブランドの姿勢を理解してくれているというのが一番ですね。あと、上品だけどコンサバにならないとか。

ショーの収録場所を決めるにしても、演出家のかたと話をして決めますし。あんまり自分がリーダーシップを取って、ぐいぐい引っ張っていくというのでは無いから。もうすでにブランドのことも、自分のことも分かってくれている、そういう人達が自然と集まってきてくれて。とても恵まれています。

ー信頼関係が基本で、とても大切ですよね。

人と一緒じゃないと進まないところもあるし、服作りって、めちゃめちゃ沢山の人が関わっているので。相手からは信用してもらいたいし、信頼してもらいたいし、それはとても大事なことだと思います。昔一緒に働いていた先輩に言われたんです。相手の立場にたって仕事をしなさいと。当たり前のことだけど、とても心に残っています。

ーパリもそうですが、これからは継続していくことが大切になって来ると思います。オーラリーの成功がすべての関係者を豊かにするというか。そういう意識を持った人が成功していくと信じていますが。ブランドのこれからについてはどうお考えですか?

続けることが一番、目標ではあるんです。いろんな人がかかわってやっていることなので。全員と顔を見て仕事をしているわけですし、毎回すごい無茶を言っているからには、それなりの数字をオーダーして、返していきたいと思う気持ちはずっとあります。関わるからには、ちょっとでも幸せになってもらいたいとか、そういうことは思います。産地が抱える問題に対しても、実際に現場を見ているから、危機感はずっとあります。だからこそ自分ができることは、とりあえず、仕事をどんどん作って、仕事をお願いすることが出来ることなんだと考えています。

「学生時代や若い時は、自分が求めるものを得るために、一般論は気にしないで、徹底的に自分だけの時間の使い方を考えて実行して行くっていうのが大切なんじゃないかなと思うんです。」


ーこのインタビューの一番の読者は、ファッションやデザインの世界に進もう!と決めた学生達なんですが、彼らにアドバイスをいただけると嬉しいです。学生時代にするべきこととか、考え方のレッスンとか、積んでおいて欲しい経験とか。何でも。

学生時代に限らず若い時は、時間とお金について自分なりの使い方をしたほうが、将来的には他の人と差がついてくると思います。自分の経験で言うと、若い頃は朝10時から夜中の2時ぐらいまで、ずっと働いていました。自分としては、それが当たり前。それぐらいして普通という感覚で。そうしないと周りに追いつかないと思っていたから。何が言いたいかというと、そういう自分が求めるものを得るために、一般論は気にしないで、徹底的に自分だけの時間の使い方を考えて実行して行くっていうのが大切なんじゃないかなと思うんです。あと、ファッションの道を選んだなら、服もできるだけ沢山買って着たほうが、自分の実になります。今自分の回りにいる優秀な人達は、並行して色んなことに取り組んでいます。普通から考えたら、とても変わった仕事の仕方をしている。一般的に良いとされることを自分に無理強いしていない。もちろん、たまには思い切りぼーっとするのも大事なことだと思います。

あと、ファッションのどんな仕事を選ぶにしても、経験していて損じゃないのは、販売という仕事なんじゃないかなと思います。地元神戸の古着屋で販売員のアルバイトをしていたって言いましたよね。その時の経験から、「1着を売る」ことの大変さは、身に染みて理解しているつもりです。それを経験したからこそ、ものを作るときの考え方が他の人と違うのかもしれません。

ー具体的にはどう違うのでしょうか?

洋服を作ることは、自分の思いや理想を突き詰める作業であると思います。でもいったん商品が売り場に出ると、消化率や売れ行きを考えなければビジネスは続いていきません。そのことはブランド立ち上げ当初から頭にありました。

ーオーラリーで、人を採用するときの決め手は何でしょうか?

感覚的に合うかどうかですね。あと、自分がする仕事を限定しない人。ブランドの仕事の全体を理解して、いつでも自分がするべきことを発見して、すぐに取り掛かれるような気持ちがある人がいいですね。普段から、自分はブランドにどう関わっていきたいと思っているのかがポイントだと思います。

ー小さなブランドで全てをこなした経験のある岩井さんから言われると、説得力がありますね。

小さいブランドで集中して沢山のことを経験させてもらうと、自分ができることが拡がって、最終的にパタンナーになったとしても、より自由に動くことができると思うんです。他の人との距離に触覚があるというか。

ー岩井さんから見て、今の会社の社長は、どういう存在ですか?

家族みたいな存在なんですよね。昼ごはんとか晩ごはんとかを一緒に食べたり。全部抜きにして、本当のことが話せて、損得勘定の無い関係。本当に近い存在です。強い絆です。

ー岩井さんが一番リラックスしているときは、どんなときですか?

銭湯に行くときかな。出張ついでに温泉に行くのも好きなんです。温泉めぐりも好きです。もちろん、羊を追いかけにいったりするのも、いいんですよね。そういった仕事の現場に行くことも、僕にとってのリラックスタイムかもしれません。

ー朝は何から始めますか?

朝ごはんを食べます。荷物が届いているんで、それを開けながら1日の内容を考えていく感じです。仕事も、ゆるやかに、本当にゆるやかに、スタートさせます。

岩井良太 Ryota Iwai
1983年、兵庫県生まれ。大学で経営を学んだのち上京。文化服装学院Ⅱ部(夜間部)に入学。卒業後、いくつかのブランドを経て、2015年春夏シーズンに自身のブランドとなる「オーラリー」を立ち上げる。2017年9月、南青山に初の直営店をオープン。2018年には「ファッション・プライズ・オブ・トーキョー」を受賞し、2019秋冬より、パリコレクションに参加。


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