見出し画像

【DESIGNER INTERVIEW: TENDER PERSON ヤシゲユウト&ビアンカ】恐いもの知らずのデザイナーデュオ

学生時代にブランドを立ち上げてから、今年で7年目を迎えたTENDER PERSON(テンダーパーソン)の2人、ヤシゲユウトとメンドンサ ビアンカ サユリ。パリ メンズコレクションのタイミングに合わせた6月26日に、渋谷のミヤシタパーク内にオープンしたカルチャーハブステーション「オア(OR)」にて、2022春夏コレクションを発表したばかり。新しいステップへと踏み出すその2週間前、慌ただしい時間の隙間を縫って、インタビューに答えてくれました。ミレニアル世代の彼らが考えるファッションとデザイナーズブランドの定義、そして憧れの人とは?(ポートレート撮影:徳岡永子)

「自分で服を買っておしゃれをしようと思ったきっかけの人は、レディ・ガガ」ビアンカ

画像1

―お二人とも20代で、インタビューする私からすると子供ぐらいの年齢なのですが(笑)時代感が違いすぎるということもあって、とても興味があるのが、どういった人やモノ、コトの影響を受けてファッションに目覚めたのかという点です。そのあたりからまず伺いたいのですが。

ビアンカ(以下、B):ファッションへの目覚め。

ヤシゲ(以下、Y):よくあるやつですね。難しいですよね。どこからが目覚めかって。よく話したりしてるのは、中学校の時にエイプ(A BATHING APE®)を知って、それがカッコいいと思って、そこからファッションを好きになったんですけど。

B:私はもともと、おばあちゃんやお母さんがお洋服を作ってくれていたんですよ。テレビを見て「これ欲しい!」って言った服や、雑誌で見て「こういうのを着たい!」って言った服を作ってくれて。小さい頃はピンクのフリフリ系が好きだった。でも自分で服を買っておしゃれをしようと思ったきっかけの人は、レディ・ガガ(Lady GaGa)なんです。彼女を見て「え!かっこいい!」って思ってから、原宿をスナップした雑誌『FRUiTS』なんかを見始めて。その雑誌のショップをまとめた本が、年に一回発行されていて。それを見ながら、原宿のショップを網羅しました。実家が埼玉だから原宿のこと全然知らなかったし、高校が私服だったので、高1の時にそうやって勉強してました。レディ・ガガが行ったというドッグ(Dog)とかキャンディ(CANDY)にも行って。ガガが選んだ服と似たようなのを買ったりして。私のファッションの入口、目覚めはそこかもしれないです。でもベースには、おばあちゃんやお母さんが作ってくれた服を着ていた経験があると思います。

―10代の頃、一番見ていた雑誌は何ですか?

B:何だろう?全部見てたんですよね。赤文字雑誌も青文字雑誌も好きなジャンルも見るけど、ギャル雑誌も『装苑』も見て、いろんなことに興味がありました。母の影響で海外のイタリアの『VOGUE』とか、ブラジルの雑誌を持ってきてくれていたから、そこから好きなデザインを選んで、おばあちゃんに作ってもらったりもしていました。

―すごい贅沢な子ども時代ですね。ヤシゲさんも中学、高校生くらいには、原宿に出かけていましたか?

Y:ビアンカよりは原宿に行くのも遅かったと思います。僕は実家が町田とか横浜の方が近いから、中学校の時は町田とかで、中3の時に初めて友達と原宿に行って。エイプに行こう!みたいな。でも自分が行きたいエイプがどれか分からなくて。

―事前に地図で調べていくとかはしなかった?

Y:行けるっしょ!みたいな。でもその頃はまだスマホじゃなくてガラケーだったし。当時、べイプカッツ(BAPE CUTS)とかベイピー(BAPY®)とかいっぱいあって、どれが自分が行きたいエイプなのか分からなかったという。ありすぎて。当時はエイプがまだおしゃれな位置付けにあるタイミングだったと思う。カニエ(Kanye West)とかファレル(Pharrell Williams)とかがエイプを着ているとか。そういうところから入っていった感じですかね。それでエイプが見つからなくて買えないから、ステューシー(STUSSY)とかスラッシャー(THRASHER)とかを買ったり。あとは、エイプの胸の刺繍のシャツが欲しいんだけど、買えないから、古着屋に行って、ラルフ・ローレンのオンブレのシャツを買うとか。そうやって遊んでました。

「服は着ないと分からない。少なくとも、自分は分からないです」ヤシゲ


―2人が原宿を歩いていたのは2010年代だから、ラグジュエリーはもちろん、セレクトショップも古着もファストファッションも、すべてが揃っている時代ですよね。しかも全身デザイナーズというよりはミックスしてオリジナリティを出せる人が本当のおしゃれな人という感じ?

B:そういうのが好きでした。

Y:ミックスして、いかに自分のスタイルを作れるかが大切だった気がします。どこどこのブランドを着てるからカッコいいと言うより、どことどこのブランドを合わせてるからカッコいいみたいな価値観があった。ケンゾー(KENZO)のキャップかぶって、ギャルソン(COMME des GARÇONS)着て、エイプも着て、だけど古着も好き、古着も分かってるっていうのがカッコいいっていう。そういう価値観の人たちが多かった。

―今から10年くらい前ですね。

Y:ちょうどケンゾーのクリエイティブディレクターが、オープニングセレモニー(OPENING CEREMONY)の2人(ウンベルト・レオンとキャロル・リム)になったくらい。アツい時。

B:自分が初めて買ったケンゾーは、目玉のデザインだった。

―そういうのをミックスするのがかっこいいっていう感覚と同時に、実際着るのもすごく好きだったってことですね。

Y:服は着ないと分からない。少なくとも、自分は分からないです。分かる? でもビアンカはちょっと特殊だな。ビアンカのセンスは、ずば抜けてると思う。ドレーピングとかも、勉強しなくても出来るタイプの人。

ービアンカは原宿でショップスタッフを経験していて、 ヤシゲさんはストリート雑誌に載る常連だったと聞きました。

B:そうです。セレクトショップのシスター(Sister)にいました。そういう所で働かなきゃって思ってたんですよ。そこのお店とその周辺にいる人たちが、尊敬できる人達だったから。その人達と同じになりたいって、以前から思っていて。そこに行かなきゃ、そこに入りたいって。

Y:僕らの時は『TUNE』とか、ストリートスナップを載せる雑誌が多かった。

B:ヤシゲはよく『RID SNAP』(WEB媒体)に載ってた。『CHOKi CHOKi』のスナップで選ばれたキングたちとか、ショップスタップがおしゃれなカリスマとして載っていて。

―それが高校生の頃ですね。それで、文化服装学院に入ろうと思ったきっかけは?

Y:僕、文化入ろうと思って入ったわけじゃないですよ(笑)。ビアンカは文化に入ろうと思って入った?

B:うん。

Y:僕は横浜の専門学校でよかったんですけど、体験入学に行ったら、あなた文化に行った方がいいわよって言われて。全然体験入学させてもらえなかった(笑)。その頃はエイプとギャルソンを合わせるような着こなしが好きで、その日もそういう格好だったんです。中学校の時から一番仲良かったやつもファッションの専門学校に行くって言ってて、じゃあそいつと一緒に文化行こうって。

―ヤシゲさんはアパレルデザイン科ですよね?

Y:はい、アパデ。学校の見学で「高専(高度専門士科)とアパレルデザイン科だったらどっちがデザイナーになれますか?」って聞いたら、「高専はすごい大変だよ」って言われて。「あ、俺、大変なのは無理です。デザインしたいです」って。でも入ったら、アパデももちろん大変なんですよ(笑)。最初は何もできないし。先週までスポーツしかしてなかったやつが、突然ミシン触るわけですから。

―スポーツは何をしていたのですか?

Y:ずっとゴルフとかやってました。もともとずっと野球をやっていて、でも坊主になるのが嫌で。部活に入らないと遊ぶ人もいないから、放課後に祖父の家に行ったら「何かしないの?ゴルフすれば?」って言われて。その頃、宮里 藍がすごい人気で「お前もなれるよ」みたいな。たまたま1回だけゴルフの試合に出たら楽しくて。それでゴルフ部がある高校に行って。全国大会に行けたら、ゴルフ部がある大学に行ってプロを目指したいとまで思ってました。全国大会出場が常連のような高校だったんですが、自分たちの代がすごい弱くて。ダメだったらデザイナーになろうみたいな。

―振り幅がすごいですね…。

Y:でも実は、ゴルフよりもファッションの方が楽しかったです。洋服着てる方が楽しくて、でもゴルフも好きだった。ゴルフをするときも、当時はみんなスポーティな、オークリー(Oakley)とかプーマ(PUMA)を着ていたけど、僕はカラーパンツとか履いて。少しクラシックに。

―じゃあそうやって街に行くにしても何にしても、格好を気にするっていうのは小さい時からしてたんですね?

Y:見た目から入るタイプなんで、僕は。

―ビアンカもそう?

B:見た目から入らないかも。むしろ何でもかんでも全部を知りたいって思っちゃう。

―それで、文化に行き、出会い、ブランドスタートですね。

B:雑誌のスナップ写真のアンケートで職業の欄があって、そこを見ると、文化文化って書いてあって。それで文化祭に行ったら、会場や受付の人がみんな黒服を着ていたんです。「え、かっこいい!私も文化に入って、会場係やりたい!」って思って。その黒服の人たちが「今ファッションショーで会場係やってるから来て!」ってTwitterに書いてるの見て、このおしゃれな人は、今ココにいるんだ!と思ったり。それで私も真似して、文化に入って会場係になりました。そしたらヤシゲに会った。私は雑誌でヤシゲを見て知っていたから、実物がどういうブランドを着てるのかチェックしたり。ヤシゲは学食でも他の目立つ人達と一緒で、集団で、もの凄い派手で。そうしたら文化祭で声かけられて、話をするようになりました。

Y:ビアンカは文化祭のとき、レディ・ガガみたいな格好をしてた。ガガの靴をデザインした舘鼻(則孝)さんのヒールみたいな、靴底が分厚いのを履いていて。

B:そういう靴ばかり持ってました。ボッパー(TOKYO BOPPER)やドッグや、ラフォーレ原宿に厚底ばっかり売ってるお店があって、そこで買って。スニーカーは絶対履かない!みたいな。

―ちゃんと学校に通い、提出物も期限までに間に合わせるタイプでしたか?

Y:提出物はちゃんと間に合わせるようにはしてたんですけど。半分間に合って、半分間に合ってないかな(笑)。ピン打ちとかドレーピングとか、僕、得意じゃないんですよ。人に着せて作業するのは出来るんですけど、ボディだと全然だめで。今でも出来ない。モデルに服を着せて服をいじらないと、服のイメージがつかめなくて。

「コレクションのキーワードは、フリートークとか散歩から生まれる」ヤシゲ・ビアンカ


―ヤシゲさんは別のインタビューで、自分達のブランドでは「Tシャツにプリントをしただけのものじゃ嫌だと思った」と言っていましたが、その真意は?

Y:アンカバ(UNDERCOVER)とかエイプの時代はそういうスタートで良かったと思うんです。裏原のカルチャーが東京ファッションのトップをいっていた時期だったと思うから。でも、今の時代だったらそれはダサいことだと思ってました。Tシャツにプリントを刷るだけのアイテムは、コレクションの一部なら分かるんですけど、そのTシャツがメインのコレクションって、何?って。リアルにその時代のことを知らなくても、先輩たちが作ってきたカッコいいコレクションは知ることができるし、それを知っているから、ブレない感覚が自分の中で出来上がっていたんだと思う。

―最初にふたりでブランドを立上げようって決めて、学生ではあるけど、指針というか、ブランドの方向性みたいなものを決めたことはありますか?

B:決めたことないと思うんですよね。名前とかも、もう全部決まってたんですよ、テンダーパーソンって。私、何も決めてないですもん。

Y:ブランドの名前で考えたっていうよりも、中学生くらいからテンダーパーソンって言葉を、SNSのアカウント名とかそういうノリで考えていて。自分の名前の「優人」を英語にして、テンダーパーソン。

B:それに対しては私は、嫌とも良いとも別に何とも思わなかった。

― 2人の好みは似ていますか?デュオとかユニットといった言い方があるけど、自分とは違った一人がいることで客観性が持てたり、興味の範囲が広がったりすると思うのですが。

B:これいいよね、って思う、「いいもの」は一緒。でも好みは全然違うんですよ。好きなものとか見るものとかは全然違うけど、これカッコいいよねって思うところは一緒。

Y:そうですね。それだけは一緒。ビアンカはヴィヴィアン(Vivienne Westwood)が好きだけど、僕は好きじゃない。実はそれくらい、かけ離れてるんですよ。

B:私はスニーカーとかストリートブランドはあんまり好きじゃない。

―モノづくりはいつもどういうところからスタートしますか? 話し合いから?

B:話し合いが多いかもしれない。話しながらキーワードが生まれる感じ。

Y:話し合いっていう話し合いはしたことないかも。フリートーク?散歩?

B:散歩もする。

Y:散歩してる時の方がいいよね。

―散歩は、横並びだからいいのかな?

Y:それもあります。あと集中してデザインしようと思うと出てこなくて。今季はコレクション制作まで、1ヶ月くらいしかなかったんですよ。デザインしようって集中する時間を作らないと出来ないくらいだったんですけど、それではデザインが出てこないから、散歩したりとか。そこでディスカッションをしていく。ここ2、3シーズンなんですけど、コロナになってから、他のブランドの服をほぼ見ていない。元々他のブランドの服は、デザインがかぶりたくないから見て、いつもリサーチとかめちゃくちゃするんです。

―それはラグジュアリーからストリートまで全部?

Y:全部。ギャルブランドも見る。時代の指針として。今の流行りがすごい伝わって来るから。

B:H&MとかZARAとかも。

Y:何にスポットを当てたかをチェックするんです。それがファッションだと思うから。と同時に、そういったマス向けのブランドに似たものを自分達みたいなデザイナーズブランドがやるのは、すごい寒いって思うから事前にチェックする。デザイナーズブランドですって言っておいて、何かのパクリみたいなデザインをするブランドにはなりたくない。ここ最近3シーズンは、自分たちのバックボーン、生まれてから今まで感じてきたこと、見てきたことを表現する作品に変わってきてると思う。

―キーワードが決まったら、デザイン画を描いたり、パターンメーキングですよね?

B:デザイン画を描きますね。パターンは2人とも引くし、デザインも半々でします。

Y:僕はほんとパターンが得意じゃないから、あんまり多くないですけど。ビアンカの方が、パターン数の多い、ヘビーなデザインを担当することが多い。

―じゃあもう阿吽の呼吸で、それぞれがパターンを引き始めて、モデルに着てもらって修正という感じ?

B・Y:そうですね。

Y:デザインの展開の仕方なんかは、毎シーズン違うよね?

B:デザインはお互い出し合って、ものすごい点数を考えるんですけど。最終的に採用するデザインは、ふたりが良いって思ったものだけを残していって。そこからまた広げたり減らしたりを繰り返しますね。でも私、実際にトワルを組み始めたら、丈を短くしたり、全然違うディティールにしたり。ヤシゲは割と正確に、デザイン画からパターンまでが連動していますね。

Y:イメージとサイジングと着丈とかのバランス感覚が、もう自分の中で決まってて。

B:生地まで決まってるものね。私は最後まで悩む。

Y:生地からスタートする場合もあります。コレクションによって全然モノづくりの仕方が違う。工場行ってカッコいい生地を見て、そこからスタートする時もあるけど、本当に心に刺さらないと生地から生まれることはなくて。今ある頭の中のイメージから生地を探すことが多い。だから生地は始めに決まってるんです。ポピュラーな生地だけど、自分たちの手にかかればポピュラーじゃなくなるという自負がある。

―アトリエを昨年のコロナ禍になる前に外苑前に移動しましたよね。同時に不定期オープンのショップとしての機能ももたせて。展示会とか、ブランドを好きな人が集まれる場所は確保した。人が集まる場を確保したいという考えは、発展的な思考だなと感じます。

Y:直感です。前のアトリエは狭すぎて、空気が悪いし、居心地が悪いし。移動したい!って。急に物件探しを始めて、元々ビアンカはお店をやりたかったし。だから、お店を兼ねたアトリエにしました。

B:物件を見て良い感じで、これだったら大丈夫かなって。展示会のたびに会場を探すのも大変だったから。

Y:なんか分からないんですけど、感覚とか直感て、結構大事だと思う。

「自分たちができることは、ヤバいコレクションを作ること」ヤシゲ


―これからのことを聞かせてください。

B:2022春夏シーズンから、セールスを入れて展示会をやっていきます。海外も広げていきたいし、国内も自分たちでは足りない部分がたくさんあるので、そこをもうちょっと、他の人の力を加えて、ブランドを大きくしていきたいなって思います。

―コロナで変わったことはありますか? 他のブランドに聞くと、とにかく急ぎ自社ECを強化して売り上げを確保したり、もう一方でお付き合いのあったお店のオーナーとデザイナーがインスタライブで顧客に販売を促したりといった動きがありますが。

Y:ECで販売するとか、お店と一緒にタッグを組むっていうのは、もともと自分たちはやってきてるんです。受注会を開いたりして、お店と一緒に突き詰めているし。ECは過剰に在庫を積まない程度に、自分たちが販売できる物、かつ、セレクトショップに並んでないような商品、仕入れされていないアイテムを入れるようにして、完売してきた実績がある。その2つは元々やっていて。
コロナで変わったなって思うのは、自分たちの作品に対するアティテュードみたいなもの。コロナだからコレクションの規模小さくしようとか、売りやすいものだけを作っていこうといった、ファッションが出来なくて窮屈なのがすごい嫌で。そこをすごく2人でディスカッションしました。自分たちで何ができるかを探って、もっと明るいファッションとか、もっと強いファッションをしたい、表現することに注力していくようなスタイルに自分たちは変わりました。今後それが良いのか悪いのかって、誰にも分からないんですけど。他のブランドが「テンダーパーソンがお店やってるんだったら、自分達もお店をやろう」とか、「テンダーパーソンがあんなにヤバいコレクションを作っているんだったら、俺達も負けないようにやろう」っていう感じに、ファッション業界全体で盛り上がった方がいいなって思っています。自分たちができることは、ヤバいコレクションを作ること。1番イケてるコレクション作る。

画像2
画像3
画像4
画像5

TENDER PERSON 2021秋冬コレクションから

B:誰かの心に刺さってればいいなって。

Y:実際にはショップの数が減ったり、自分達の取引先も減ったけど、逆に問い合わせの数は増えていて。自分達がやるべきことはしっかりやったから、みんなついて来いって思っちゃう。それについて来れてるお店が、例えば1番最初に取扱いをしてくれたドッグ。

B:直感で、このお店に置かなきゃいけない、今!って最初に思ったんですよね。そこに再び置かれたわけです。

Y:そうしたら、納品した服が1週間で完売したり。やっぱりイケてるコレクションを作って、イケてる人たちがしっかりお客さんに伝えてくれれば、変わらずに売れるって確信して。ここ3シーズンはそれを信じてモノ作りをしているんです。そうしたら、エクストララージ(XLARGE)とエックスガール(X-girl)のグローバルのディレクターが、急にテンダーパーソンのルック写真にポンポンってタグ付けして、インスタグラムのストーリーにあげ始めて。フォローされてるわけでもないのに。その人をフォローしている人たちって、ヴァージル(Virgil Abloh)とかセレブリティで。あとイギリスの『10Magazine』から、リースの依頼が急に来たり。だからこそ2020年にはパリに行きたかったけど、行けないから、目標がなくなっちゃって。それで上海の展示会に出たりとか、次のシーズンでショーをすることにしたんです。

―パリメンズのスケジュールに合わせて東京でショーをすると聞きました。

Y:渋谷のミヤシタパークで。

B:ショーに続けて1週間くらい、ポップアップをします。

―ブランドのPRになるといいですね。

Y:だといいな。コロナで限られた人数しか会場に呼べないんですけれどね。ブランドのPRと結びつくといいなって。とにかくカッコよく、ファッションができたらいいな。そのマインド、自分たちにあるのはそこかな。コロナになってブランドの本質が出たと思うんですが、ギャルソンなんて、コロナに関係無くショーをするじゃないですか。ヨウジ(山本耀司)さんも、パリに行ってまでショーをしようとするじゃないですか。そういう先輩のアティテュードを感じて。自分達の祖母や祖父と同じくらいの歳の人が超頑張ってるのに、若いブランドの自分たちの世代が、続けられないとか弱音をはいたり、無難なデザインをしたりするなんて、何のためにファッションをしてるのかなって僕は思う。川久保さんとか見て、あるいはダブレットの井野さんの逆再生のショーとか見て、感動しましたもん。そういうカッコいいブランドを見て、自分たちも頑張りたいなって思いました。実は前回の展示会のインビテーションを川久保さんに持っていこうと思って、オフィスから出てくるところを待っていたけど。大雨で。(川久保さんの)出待ちをしてたけど、出てきてくれなくて。

―そういう気持ちにさせる人は、そうそういないですよね。

Y:川久保さんがやってきたことは生で見てないから分からないことも多くて。ギャルソンが好き、川久保さんが好きと言いながらも、ギャルソンファンには申し訳ないくらい知らないと思う。でも、あの歳で現役はすごいなって思う。やり続けることの凄さみたいな。もちろん他にもキディル(KIDILL)とかルルムウ(rurumu:)、ケイスケヨシダ(KEISUKEYOSHIDA)なんかも、バカじゃないですか? こんなタイミングでフィジカルでショーをするとか。そういうファッションバカな人が周りにいっぱいいるから、自分にもバカが移ってるのかもしれないですけど(笑)。そういう人たちといると楽しい。

―2人の話を聞いていると、尖ったものを感じつつも、どこかほのぼのとしていて。そうかと思うと、他のどのインタビューを読んでも、明快に答えているのが印象的です。

Y:お客さんとかにも、不良なんだけど繊細さがあるって言われます(笑)。インタビューでは結構真面目に話している。そのときしか話せない、その時々の状況みたいなのもあるし。学生の時のインタビューでは「海外とか興味ない」って言ってた(笑)。「海外の人達が日本に買いに来ればいいじゃん」なんて言っていて。それくらい魅力的なブランドになりたいですって言ってました。その時から思うと、随分成長したなとは思います。

画像6

―安心したのは、いろんな人がテンダーパーソンを助けたいって気持ちになっていること。みんな何かを感じてるんですよね、きっと。

Y:もっと遠いところの人も感じて欲しいな。ナイキ(NIKE)とかさ(笑)。そういうところがもっと注目してくれるような、状況が生まれるといいなと思います。テンダーパーソンのことなんて、多分ナイキは知らないし、ヴァージルももちろん知らないし、川久保さんも知らないし。でも、そういう人たちが「テンダーパーソン知ってるよ」って言ってくれるようになったら嬉しいな。

ヤシゲユウト & メンドンサ ビアンカ サユリ
TENDER PERSON(テンダーパーソン)は、ヤシゲユウトとメンドンサ ビアンカ サユリによる男女デザイナーデュオブランド。文化服装学院在学中の2014年にブランドをスタート。同年、原宿にて展示会形式でコレクションを発表。本格的なコレクション発表は、2016-17年秋冬シーズンより。コレクションは「クリエーションに対して常に自由に追求し、表現し続けることにチャレンジしていく、ポジティブな姿勢を反映した感性、そして心そのもの」という。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?