生と死と、諸行無常な人生戦略

最近、幾つかの本や動画を見て印象に残ったことがあったので、内容を自分なりにまとめてみた。読んだ本は以下の3冊。

  • 『「さみしさ」の研究』 ビート たけし

  • 『クレア・バーチンガー自伝 紛争地の人々を看護で支えた女性の軌跡』

  • 『「利他」 人は人のために生きる』 瀬戸内 寂聴,稲盛 和夫



子どもの頃から親しんできた有名人が気づいたら亡くなっている

投資に関する動画でオマハの賢人と呼ばれるウォーレン・バフェット率いるバークシャーハサウェイの年次報告書を紹介していた。その報告書は2023年末に亡くなったチャーリー・マンガ―の追悼文で始まっていた。彼はバフェットの旧来の右腕にあたる人だ。その動画で初めてチャーリー・マンガ―の死を知り動画の内容そっちのけで驚愕していた。 

続けて、ビートたけしの「さみしさの研究」という本を読んでみた。その中では、さくらももこ、古今亭志ん生、樹木希林など、子どもの頃から慣れ親しんでいた人の名前が連なり、彼ら彼女らが亡くなっていたことをビートたけしが哀しんでいた。思い返せば、コロナが始まってからも、芸能界では志村けんさんや上島竜兵さん、スポーツ界だと飛行機墜落事故で突然無くなったコービー・ブライアントが亡くなった方として挙げられる。少し年齢を重ねるにつれて、死をこういった形で身近に感じるようになってきた。

親族の葬式で子どもを参加させるべきか/遺体を子どもに見せるべきか、と議論がある。聖路加国際病院の日野原重明先生はYesと言っていたが、僕もこの意見には同意する。人間社会が生きる上で生と死は切っても切り離せなく、死を身近に感じる機会があれば子どもの内から体験しておいた方が良い。大人になってから突然体験するよりも感情への対処を身に着けることが出来るからだ。特に医療・公衆衛生が発達した現代社会の中では同級生や年の近い人が亡くなる体験は激減しているし、なんだったら親世代の死を体験する機会もかなり減っているのではなかろうか。(それ自体は科学技術の進歩が生んだ大きな成果で良いことであることは疑いようはない。)

僕は個人的に近くの教会に通っていたが、生と死という観点からはとても良い場所であった。特に教会の中で色々な人と話すことができ、教会家族という形で一つの共同体という意識を持つ。僕の教会ではメールアドレスを登録していると、お知らせが届く。教会員の誰が亡くなるとお知らせとして知らせてくれるため、自分の共同体の人がどんどん亡くなっていくことを知り胸が痛くなる。この経験は、当たり前のことだが、人はどんどん入れ替り立ち替わっていき、いつまでも同じ人と過ごせるわけではない、という実感を持たせてくれる。悲しみや死との対面は頭で持った知識と実際に生じてくる感情の奔流とに大きな乖離があるように思える。戦争体験は実際に体験しないと理解出来ないのと似ている。

社会というのは常に定まったものではなく、時代と共に変化していくこと、また人というものは悲しいことに入れ替り立ち替わっていくということを感じる。諸行無常という概念があるが、これは生と死にこそ当てはまることだ。

社会で評価されることが正解ではない

生きる上で用意されたレールをそのまま走るような生き方は決して正解ではない。そして自分の好きなことをやること、一方で自分のやっていることを好きになること、これはどちらも大切なことだと思う。
ここでは、読んだ本に書かれていた人たちの経歴や考えを紹介していく。

読み書き障害を持った看護師の英雄談

西田佳子訳の「クレア・バーチンガー自伝」。クレアは看護領域の中では有名な方で、エチオピアの飢饉、アフガニスタンの戦地など紛争地帯に行き、赤十字国際委員として食料や医療を提供してきた。そんなクレアは実は読み書き障害を持っており、学生のときは勉強が出来ないと父親から怒られたり、そもそも看護の資格を取る際にも筆記がほとんどないところを選んだりと、いわゆる"世間一般の目"から見たら劣等生に分類されていた人なのだろう。一方でこういった人が、当時では非常に珍しい女性として現地に入り、紛争地帯を駆け巡り、現場に役に立つtips集を書いて赤十字のガイドラインに採用されていたりする。読み書き障害を持つ人が、書いた本が非常に役に立つと判断されるのも面白い話だ。その分、図や表を多用して文字を少なくする点が評価される点だったのかもしれない。

一方で、当たり前のことなのだが、人生はもちろん、順風満帆というわけでもない。エチオピア飢饉での命の選別は、のちにPTSDに近い状態をクレアにもたらしていたし、1年や2年、恋愛で振り回されて仕事に手がつかなかったこともあったよう。綺麗な水や食べ物がない状態を好んでいるわけではもちろんなく、美味しい食べ物、清潔な環境、庭の手入れなど日常生活の小さな幸せもとても大切にしていた。

著書の最後で締めくくられていた「変化を起こすのに小さすぎる存在なんて、ないのです」という言葉は印象的だった。

本を読んで、目的意識を持った行動はとても大切だということを学んだ。熱帯地域での活動に携わるのならば、もちろん熱帯医学について知識や技術、現地の状況を知らなければいけない。そういった鍛錬や活動の機会というものは自分で探し求めなければ勝手に振ってくるわけではない。他の人が避けるような過酷な現場に全員が全員行きたいわけではないと思うが、もしそのような貢献をしたいと考えるならば、それ相応の行動はしなければいけない。一方で、相応の行動というのは社会に敷かれたレールを質よくこなすことでは全くなく、関わるためのハードルは思ったより低かったりする。飛び込むか、飛び込まないかが大切だ。

ビートたけしの諸行無常な生存戦略

移り変わっていく様は生と死にはもちろん言えるが、それは一人の人生においても言えることだ。ビートたけしは自分を客観視する能力を特に優れていると述べていた。たけしは若いころに持っていた漫才に必要な瞬発力が下がってきていると感じたら、漫才だけをやり続ける道ではなく他に生きる道を考え始めていた。漫才はスポーツと同じで瞬発力がものをいう世界であり瞬発力を失ったら生きていけないと考えたからだ。その結果、自分で今のバラエティ番組の基礎となるような番組を立ち上げたり、役者として演じたり、アウトレイジなどの数々の映画作品を撮影したりした。小説や落語にも手を出しているようだ。

この勢いは老いが来ても衰えを知らず、むしろ数々の賞を受賞して、それ自体をネタに組み込んでこうとしたり、老い自体をネタにしていこうなどアイディアの創出が止まらない。自分が持っている野望があふれ出している。一方でシビアな面も持っており、面白さ、笑い、それぞれの立場が持つ責任やプロ意識といった意識が話の随所に感じられた。

自分の状態が変わっていくことを認識し、その中で出来ることを尽くす。かつ、社会の情勢に自分を合わせつつも、自分の核を決して失わない。この自分の核という部分を突き通すというのが、パーソナリティで重要なようだ。

「メディアと同時に潰れるのは二流。一流は自分の芸を媒体に最適化させる。」このビートたけしの文章を目にした後、パッと思いついたのは佐久間宜行だ。のぶろっくTVとしてテレビ東京で働いていたものの退社してYouTubeという媒体に自分のプロデュースする動画をバンバン作成し数百万再生を連発している。これは、一流の芸を媒体に最適化された事例だな、と自分の中で腑に落ちた。

稲盛和夫の意外な「自分がやろうと思った仕事に恋をすること」発言

稲盛和夫は経営者として非常に優れていると度々目にしてきた。悲しいことに彼も2022年に亡くなっている。彼は、京セラと現在のKDDIの創業者である。また、2009年に倒産したJALの経営再建の中核として2010年に日本航空会長に無報酬で就任し、わずか3年で営業利益過去最高の1800億円をたたき出すまで経営改革行った。

そんな彼と瀬戸内寂聴の対談の「利他 人は人のために生きる」という著書の中で、彼は「最初っから好きな仕事なんてないと思うんです。結局、仕事を好きになるように自分で努力しないといけないんじゃないんですかね。」という発言をしていた。これは、偉業を成し遂げている人から出る発言としてはとても意外だった。もちろん、好きなことをやって上手くいっている人は多くいるのは知っているけれども、「仕事を能動的に好きになり、」結果として他の人からみたら、仕事を好きでやっている人にみえる。こういったことを明かしている人には初めて出会った。

好きなことをやりなさい、好きなことを見つけなさい、とよく言われるが、見つからない人が多いと思う。そんな人は珍しいと思う。そういったときに、今自分がやっている仕事を好きになる努力をしている人はどれくらいいるのだろうか。そういった見方があることをもっと広がっても良いのではないかと思う。 

余談だが、個人的には、好きや職業適性の基準は「いくらやっても苦にならない」ことだと思っている。他の人にとって苦痛になるような作業量を平気でこなせるのであれば、それは好きな仕事と言っても良いのではないだろうか。

まとめ

今回は徒然なるままに読んだ本に書かれた内容を簡単にまとめていった。共通点としては、みんな自分のやっていることを好きになっているし、動的な社会との関係性で生きていっている。生き方を考える上で死は切り離せないものだし、生の中でさえ常に状態は移り変わっていく。短い人生とよく言うけれども、身近な幸せを大切にして1,2年寄り道は全然あることだ。

社会のレールに敷かれるだけが正解では全くないことが、少しでも伝わればと思う。


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